期待
ネコ様をニック殿下に保護していただいたその日、ニック殿下に秘書にならないかという打診を受けた。
正直、恐れ多いことこの上なかったけれど、これは出世どころか、成り上がりとも言えるような大チャンスである。平民が貴族、それも、侯爵家程になるようなことで、異例中の異例だ。
こんなチャンスを逃すことはありえない。なので、俺はその話を受けさせていただくことにしたのだ……、いや。
自分に言い訳をしたものの、それは建前なのかもしれない。ただ、ネコ様と会えない気持ちをぶつけるように、我武者羅に、仕事に熱中したい気分なだけのような、そんないい加減な具合の気もするのだ。普通は有っても逆だろうに、とは、自分でも思う。
ちなみに、その日のうちに自分の部屋は即座に代理人に引き払ってもらった。もともと荷物らしい荷物もないし、流石に、宮廷で働くというのに、ボロ服を着てはいけないと、ハムルペトさんに叱られてしまったのである。
それでも、忘れているだけで、大切な荷物はあるかもしれない。そこで思い出せる限りで、村からの手紙と、最低限必要なものだけは持ってきてもらい、それ以外は後日に確認しに、大家さんの元まで自分で行くことになった。
他人にやらせずに自分でやれという話だけれど、忙しすぎて、そんなことをする余裕はない。
毎日、勉強、勉強、勉強、たまに仕事。
王国語ですら書きは怪しいところが多々ある状態で、秘書なんて務まるわけがない。途中、礼儀作法の講習もあったけれど、勉強で疲れている俺の頭には、あまり入ってはこなかった。
そんなこんなで宮廷で過ごすうちに、6日が経ったある日のことである。仕事を頼まれて宮廷の庭園を歩いていたところ、こちらへと歩いてくる人影が4つ。
宮廷内にいる人間は、ほとんどが貴族か官僚クラスの偉い方々ばかりだ。厄介ごとのタネを避けるべく、道を横に逸れようと考えたが、歩いてくる人物の中に、ハムルペトさんとニック殿下が混ざっているものだから、そういうわけにもいかなくなった。
それに、ニック殿下と手を繋いで歩く、俺と同じくらいの、キラキラとしたブロンドを靡かせている可憐な御令嬢は、おそらく――。
「…………」
俺は遠目ながらに、その場でうろ覚えの礼をしてから、ニック殿下達へと近づき、膝をついた。
「ニック殿下、ご機嫌麗しゅう……ええと、本日も良いお日柄で……」
ぶっちゃけ、適当である。膝をつく必要があるかもわからないし、臣下としての挨拶として正しいのかもわからない。結果、
「…………やあ、君の活躍は聞いているよ。君を僕の直下においてよかった。ところで、その変な挨拶、誰に習ったの?」
変らしかった。
俺はすぐに口を開こうとしたが、その前に、その場ですぐに立ち直す。多分、膝をつくのは正しくないのだろうと、なんとなく思った結果である。
立ち上がる際、一歩下がった場所から俺とニック殿下を見つめる金髪銀眼の御令嬢へと、一瞬だけ視線をずらし、すぐにニック殿下へと戻す。
「と言われましても、そうたいしたことはしてない気が……」
今のところ俺に回された仕事は、『読心』スキルを用いた宮廷内のスパイ調査、ただ一つ。宮廷で働く人間の数は、当然ながら、相当に多い。ある程度、スパイの可能性がある人物は絞れてはいるようだったけれど、念のためということで、庭師のおっちゃんの調査までさせられた。
まあ、結論から言えば、スパイは若干1名。その庭師のおっちゃんがまさにその人であるのだから、念のための重要性を感じた経験だろうか。
「いやいや、そんなことはないさ。わざわざ『面接』と『試験』をした甲斐もあるというものだよ」
俺がニック陛下の元で働くとようになったきっかけが、まさにその『面接』と『試験』である。信頼できる『読心』スキル保有者を欲していたところに、ネコ様……ネトーブリアン様の婚約破棄騒動が起きたので、ついでに『読心』スキル保有者の秘書候補を探したようだ。
直属の部下になるわけだから、自分の目で見極めたいと思っての『面接』が、最初に俺がニック殿下と出会ったあの時のことらしい。結果は、勝手に『読心』していなかったので、一応合格。
次に、ちょうどよかったので
これも翌日の朝に
「でも、本当に俺……私でよかったんですか?」
だが、『面接』と『試験』をしたとはいえ、『読心』スキル持ちをそばに置くというのは、とんでもないことである。簡単に心の内を読まれてしまうため、『読心』スキル保持者、つまりは俺に対する相当な信頼がなければ出来ない芸当だ。
仮に俺が裏切った場合、最大の不利益を被るのは、ニック殿下となる。だというのに、俺を側に置こうというのは、かなり豪胆なお方らしい。だからこそ、そんな信頼に対して、応えなければいけないと思うというものではあるのだが。
「いいんだよ。僕は僕の目を信じている。そしてその目が信じた、君も信じているんだよ?」
「……ありがたき幸せ」
素でこういうことを言ってくるお方なのである。こっちがむず痒くなってくるというものだ。
「ところで、君は人間の姿のネトーブリアン姫を見るのはこれが初めてかな?」
そう言って、ニック殿下は先程から後ろで呆然としている金髪銀眼の御令嬢……、ネトーブリアン様の方へと振り返る。
「…………」
近くで改めて見ると、それはもう、大層に美しかった。
猫の美醜は俺にはわからない。けれど、人間の美醜はわかる。目の前の女性、ネトーブリアン様が、あの時の白猫だったと思うと、なるほど、確かに、猫の姿の時も美人だったのだろうなと、すとんと理解することができた。
「ネトーブリアン姫には言っていなかったかな。カイゼルには、僕の秘書になってもらうことにしたんだ」
ネトーブリアン様に見とれていた俺の背中を、ニック殿下に押されて、前に出る。
俺は臣下の礼をとろうとして、しかし、よほど緊張、あるいは慌てていたのか、先程間違っていると感じたはずの、膝をついて、頭(こうべ)を垂れる礼を取ってしまった。
やってしまったものは仕方ない。俺は割り切って、そのまま合っているかもわからない、適当極まりない口上を述べることにした。
「ご機嫌麗しゅう、姫殿下。お元気そうで、何よりでございます」
「…………」
「………………………………姫殿下?」
いつまでたっても、何の反応もない姫殿下に感じる違和感。直後、ポタリと地面に水滴が落ちてくる。天気は晴れ。もしや、天気雨かと顔を上げると、そこではネトーブリアン様が――、
「ッ…………」
顔を真っ赤にして、涙を頬に伝せていた。
「……なんで」
「ひ、姫殿下、私が何か気に触ることでも……」
――してしまいましたか。
そう続けるつもりが、しかし、ネトーブリアン様が、俺の横を小走りで通り抜けて行ってしまったことで、途切れた。
「…………」
そこで気づく。彼女が一歩離れたところにいた理由に。
理解していたはずだった。けれど、今のネトーブリアン様のどこかに、ネコ様の残滓が残っていると、心のどこかで期待してしまっていたのかもしれない。
人は、心を読まれることに、強いストレスを感じてしまう。
今までの経験からわかるようなこと……、経験がなくとも、誰でもすぐにわかるようなことだ。誰だって、心を覗かれれば嫌だと感じる。
しかし、ネコ様は何事もないかのように受け入れていた。受け入れてくれていたのだ。
それが多分、俺は自分が認められたような気がしていたのだろう……、認めよう、今、少しばかり、俺は調子に乗ってしまっていた。
もしかしたら、以前と同じように接してくれるんじゃないかと、心の片隅で期待していた……、してしまっていたのだ。
俺は阿呆だった。
ネトーブリアン様は、ネコ様ではない。
彼女が俺を受け入れることは、もうないのだろう。であれば。
俺はもう、二度とネトーブリアン様には近づかない。それがきっと、彼女の望みだろうから。
そう、心の中で決意を固めて。
走り去るネトーブリアン様を、その背中が見えなくなるまで、ただただ、俺は見つめていた。
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