一緒に寝るということ(前)
ネトーブリアン様と再会した、その日の夜。使用人の寮に借りた自室の中、ふかふかのベッドに頭を埋めながら過ごすこと、多分、一時間程。
その間、寝る気も起きず、ただただ、ぼんやりとしていた。
喪失感。
この感覚は、ルディに浮気されていたと知ったあの日と同じ。これはきっと、喪失感だ。
ネトーブリアン様に二度と近づけない……、遠くから見ることしかできなくなった寂寥感に胸が埋め尽くされ、それにせき止められて、血液が脳に届かないのか、何も考えられなかった。
女々しすぎると、自己嫌悪だろうか。
「……我ながら、道化丸出しな人生だな」
一度目は、ルディの浮気。いや、浮気というより、むしろ、婚約を受けた以前より他の男と関係を持っていたようだけれど。最初から手に入るはずのない幸せを、掌の上で追いかけている俺の無様は、さぞや滑稽だっただろう。
それでも、幸運にもルリア様から授かった『読心』スキルのおかげで、こうして王都へと逃げて来られたわけだけれど、そこで二度目の道化。
ネトーブリアン様……、ネコ様に出会った。
喋る猫ならぬ、考える猫だった、彼女の心。それはとても清らかだった――、気高いとも言うべきか。
最初は、貴族様はみんなこうなのかとも考えたけれど、ネコ様の心から駄々漏れの、第二王子様に対する可愛らしい罵倒や
ネコ様が特殊なのだと。
「好き、だったんだろうな」
ぽろりと口をこぼすと、なるほど、それは体の中にすとんと落ち、じんわりと、隅々まで染み渡る。
一週間ほど前、ネコ様との別れを最後に、今日改めて出会って、そして、今度は近づくことすら許されないのだと知って。
そうして、今の今まで締め付けられていた心臓と、溜まっていた悶々が、さらに重いものになって、ようやく気づく。
だが、気付いた時には、もう遅い――いや、最初から、スタート時点で違っていたのか。
ネコ様は元々貴族様。対して俺は、しがない農民。
最初から、叶わぬ恋であった。
だからこその、道化(ピエロ)。
手に入らぬ幸せを、二度も追いかけた阿呆が、ここにはいた。
コン、コン、コン。
水浴びもせず、夕飯すら食べていないが、食欲も、起き上がる力も湧き上がらない。今日はこのまま眠ってしまおうか、そう思っていた頃、部屋の扉が三度叩かれた。
来客。この部屋に引っ越してきてから、初めてのことだった。
宮廷内で働く人間は、大体が貴族様か官僚クラスのやんごとなきお方々ばかりである。その中で平民――正確には、まだ農民であるが――の俺は、かなり浮いている。ニック殿下の秘書であるから、皆、どう扱えばよいのかわからないのだろうとは、俺の指導係さんの言葉だ。
「はい、はい」
気だるげな体と、うまく言うことを聞かない足に鞭を打って立ち上がる。そうして扉を開けると、そこにいたのは、
「夕飯、食べにきていなかったようなので。軽食をお持ちしましたよ」
俺の指導係――もとい、ハムペルトさんであった。その手には、軽食と思わしき箱が握られている。
ネトーブリアン様の専属メイドについた彼女だが、引き続き、合間の時間だけではあるが、俺の指導係を受け持ってくれている。指導係といっても、勉強を教えてくれるのは宮廷内に詰めている教育係さんなので、相談役とも言い換えられるかもしれない。
「……わざわざ、ありがとうございます、でも、今は食欲がなくて」
「おや、風邪でも引きましたか?」
「ええ、まあ、そんなところです」
俺のわかりやすい嘘に、ハムペルトさんは二重瞼のパチクリとした目を細め、ジトーっとした瞳を向けてくる。彼女は基本的にクールな女性ではあるが、それはあくまで仕事の間だけのことで、オフの時間帯は案外、表情が豊かなのだと、最近知った。
というか、ここは男子寮のはずなのだけれど、なぜいるのだろう……、どうでもいいか。
「煮え切らない返事ですね」
「ははは……でも、本当に大丈夫なので。一晩寝れば、心の整理もつくと思いますし」
「……心の整理?」
「あ、いえ、今のは言葉の綾で……」
「へぇ……」
そうしてうっすらと上げられる、ハムペルトさんの綺麗なピンク色をした、唇の端。
ニヤリ。そんな擬音が聞こえてきそうなほどに綺麗な、小悪魔地味た表情が、彼女の顔に作られる。
何か、良からぬことを考えているような、そんな雰囲気が感じられた。
「ええと、何か……?」
「もしかして、昼間のことが原因だったりします?」
「…………」
グサリ。
図星を突かれて、無理やりにでも思い出される――、ネトーブリアン様の逃げ行(ゆ)く後ろ姿と、頬を伝う涙の跡。
一時間かけて、ようやくまともに思考できるようになるまでに至ったのに。その一言だけで、俺の頭の中には、再びあの時の映像が再生され始めた。
「あらあら、重症ですね」
「……ほっといてください」
頭の冷静な部分が失礼だろうと訴えてはいるが、今の心境では、不貞腐れた返事をすることしかできなかった。
「うーん。とりあえず、中に入っていいですか?」
「どうぞ…………って、え?」
待て待て待て。
ハムペルトさんの言葉に、過去の映像を脳内で垂れ流していた俺は、思わず許可をしまうが、直後、現実に戻された。
それは、ダメだろう。独身の男の部屋に、女性が一人で入るのは、流石にまずい。そもそも、男子寮に女性がいること自体が変なのだが、これはその比ではない。
見られたら最後、娯楽の少ない宮廷内で働く使用人達の間に、噂となって波紋が広がることだろう。
「お邪魔しますね」
「ちょ、待っ……!」
だが、そんな心配を他所に、俺の遅れた抵抗むなしく、ハムペルトさんはぐいっと体をドアの隙間にねじりこませ、まんまと俺の部屋へと入っていってしまう。
俺は誰かに見られてないかと廊下の方をキョロキョロと確認して、人影がいないことに安堵すると、パタリと扉を閉めた。
そのままハムペルトさんを追いかけるように部屋に戻ると、机に軽食の箱を置き、ベッドに腰掛ける彼女の姿が。
「な、何考えてるんですか!? 女性が一人で男の部屋に入るなんて、まずいですよっ」
寮内に響かないように、空気を多く含ませたハスキーな声で、しかし強くハムペルトさんを責めるように言い放つ。
しかし、そんなことは知らぬとばかりに、彼女は涼しげな顔で、ポンポンとすぐ横のベッドスペースを叩くのである。
「まあ、座ってはどうですか?」
「そんなこと、できるわけないでしょうっ!」
それは、座れというジェスチャーだったらしい。俺が強く拒否すると、彼女はふむふむと顎に手を当てて、何かを納得するように頷き、続ける。
「では、一緒のベッドに眠るのは、良いと?」
「ダメに決まってますっ! どうしてそうなるんですか!?」
「でも、ネトーブリアン様とは寝たんですよね?」
「な、なんで知ってるんですか!?」
「ネトーブリアン様が、色々こぼしてましたよ。カイゼルさんの部屋のベッドは固かったとか、ラッキーラビットの干し肉を初めて食べたとか」
「っ…………」
――他にも、カイゼルさんの腕の中は安心したとか、普段行けない市場なんかも、新鮮だったとか。
そうしてハムペルトさんは、過去の俺とネトーブリアン様の生活模様を口にし始めた。その中には、そんなことしてたのか、なんて思わず思ってしまうほどの、猫生活の大冒険話もあったくらいだ。
そのストーリーの数々から、ネトーブリアン様は、ハムペルトさんに猫時代の話をかなり詳細に話したであろうことが伺えた。
特に、俺の知らない大冒険のお話は、ネコ様ならやりそうだ、なんて思ってしまうのは、決して短くない間、共に過ごしてきたからこその感想だろうか。
「――とまあ、ネトーブリアン様とは色々やったくせに、私とベッドで隣になってお話するのは、よろしくないと? ネトーブリアン様とは、一緒のベッドで寝たのに?」
「……いやいや、それは別の話じゃないですかっ! 結婚もしていない男女が一緒の部屋にいるなんて、ダメに決まっています! それに何より、あの時はネトーブリアン様は猫の姿だったから――」
話終わって、起点に戻る。俺はその言葉にハッとして、思い出に浸っていた思考を現実へと引き戻すと、否定しようと言葉を紡ぐ。
それを遮るように、ハムペルトさんは語気を強めて、こう、言い放つのだ。
「どのような姿であれ、女性であることに変わりはありません。そして、ネトーブリアン様は、気を許していない男性と共に寝るほど、貞操観念も緩くはございません……、それは、あなたもよく、ご存知だと、私は考えているのですが?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます