第4章 起こり始める変化 その11
「――神崎君!!」
激しい痛みが広がる中、なんとか腕をついて体を上げる。
「どうしたの!?」
言葉を返す気になれない。体を支えているだけのはずなのに、それだけで全身から汗が噴き出してくるのがわかる。
頭の中になにかが侵入してくるようだ。
腕が小刻みに震え、油断するとまた崩れ落ちてしまいそうだった。
「だいじょうぶ? なにが起きたの?」
心配そうな声。顔を見ればきっと泣きそうなのだろうが、見るほどの余裕はない。
息が荒くなる。
額から垂れた汗がベッドに小さな染みを作る。
「……うう」
山村の声だ。苦しそうに胸を押さえている。
視界の端でそれを捉えながら、神崎はなんとかベッドから降りた。立っているだけでフラフラしてくる。
「ねぇ、どうしちゃったの……」
未だ返事をする気にならない。間断なく頭に痛みが走っているのは、耐えているだけで力を消耗する。返事に余力を与えられない。
山村の目が薄っすらと開いていく。苦しさが収まったのか、手は胸の上にあるままだが押さえてはいない。
「……」
状況が理解できていないのだろう。曇っていそうな目で神崎と妹を交互にゆっくりと見ている。山村もどきと同じ動きだが、今は不気味さはない。
「どうして真実ちゃんがいるんだ……」
(……そう、来たか)
痛みが少しだけ薄らいだために、そんなことを考える余裕が生まれた。まだ、口を開ける気にはならないが。
「それに神崎も。なんでふたりとも俺の部屋にいるんだ?」
思考がはっきりしてきたのか、山村は体を起こしながら赤いほうだけを向く。
「お見舞いに来たの。三日も学校休んだから。……それよりも、神崎君が」
「神崎がどうしたんだ?」
山村はようやく視線を固定すると、神崎の顔色の悪さに気がついたのだろう。神崎は顔中に汗が浮かんでいるし、手も震えている。
「……どうした?」
返事はできない。
痛みは薄らいだだけであって、なくなったわけではない。しかも、頭が揺れるようで立っていることが困難なのだ。
「山村君がなにか別人みたいになっちゃって、それで急に倒れ込んだかと思ったら神崎君が苦しみだして……」
心配なのだろう。手が触ろうか触るまいか迷っている。
神崎の痛い部分が頭だとわかるために、不用意に触ることができないのだ。
「俺が別人……?」
そう言われたところでわかるものでもない。
「……二重人格?」
考えた結果の結論がこれだった。ここしばらくのことはよくわからない。三日休んだと言われても、三日休んだ実感がまるでない。
だとすると、完全に寝込んでいたか、別人格が体を支配していたと考えるのだ妥当だろう。別人みたくなったと言われたのだから、二重人格を疑ってしまう。
「わからない。でも、そんな感じ」
「まったく憶えてない。……いつの間に俺は二重人格になったんだ」
過去に二重人格の疑いをかけられた憶えはない。テレビとかで見ても、嘘か真かわからなかったくらいだ。
そんなものがいざ自分の身に起きたかと思うと薄ら寒いものを感じる。
「で、どんな奴だった?」
「え? ……山村君がそのことを気にするのはわかるけど、今は神崎君のほうがが心配だよ。病院に行ったほうがいいのかな」
「……いい。平気だ」
ようやくしゃべることができた。掠れているし、低く重い声だが。
妹の顔に一瞬よろこびが走る。だがすぐにそれは曇る。
「でも――」
「平気だ」
なにか言おうとしたところを一瞬で遮る。同じ言葉を強めに言って念を押すことで、二の句を告げなくさせることができた。
妹は神崎の剣幕に押されてしまってどうすることもできない。
神崎はあきらかに顔色が悪く、汗の量も尋常じゃない。震えている体を押さえている手も震えている。
「……こいつもこう言っていることだし、俺の別人格について教えてくれないかな?」
「うん……」
顔は思い切り心配そうなまま。声も小さく、視線は神崎。
「よく、わからない人だった。ほとんど意思のようなものがない――そんな感じの」
「意思がない?」
「おんなじ言葉を何度も繰り返してた。『楽園、楽園がやって来る』って」
「『楽園』? なんのことだろう?」
思い当たる節などあるわけがない。
どう考えても自分の一部とは思えない。たわごとを繰り返す上に、その内容が『楽園』では。
「あたしにもわからない。でも、何度も言っていたの。……それを、KF彗星を見ながら、ずっと」
「……なるほどね。ということは、KF彗星が『楽園』ってことか」
「ううん、違うみたい」
「え? ……どういうことだ」
確かに妹自身が山村もどきに訊いたところ、『楽園』はKF彗星ではないと言う。否定と肯定を同時に使うという、わかりづらい回答を得られたところで会話が終了してしまったため、それ以上のことはまるでわからない。
「『違うけどそうだ』――こう言ってた」
「つまり……KF彗星ではあるけどKF彗星ではないものが『楽園』なんだな。わけがわからない」
三人にはあまりにも情報が足りなかった。
山村もどきの正体もわからない。神崎の頭痛の原因もわからない。KF彗星のこともわからない。
わからないだらけの中、神崎は再び生じてきた痛みに耐えていた。
声は出さない。顔にも出さないようにする。
「……だいじょうぶ?」
それでも看破する妹。
(だいじょうぶ、では……ないな)
鈍い痛みが広がり、思考能力が落ちてくる。まともに立っていることが不思議なくらいだ。いつ倒れてもおかしくはない。
「本気でヤバそうだな、おい。どうする、ここで寝るか?」
山村がベッドを指差すと、神崎は手を前に出して断った。頭を振ることは自殺行為にすぎない。
「そうか。知らねぇからな、どうなっても」
まるで心配している様子はない。
神崎もそうだが、山村も同じなのだ。このふたりはお互いに心配はしない。わざわざそんなことをする必要がない。
「やっぱり、病院に行ったほうがいいよ」
(平気だ)
声には出なかった。だから、信憑性もまるでない。
上げた顔には苦痛が乗り、垂れ落ちた汗が大きな染みを作る。
「あたし、神崎君を病院に連れて行ってくるね」
「ああ。救急車のほうがいいか?」
(嫌だ)
目を見てわかったのか、山村は小さく肩を竦めた。
「じゃあ、行ってこい。ちゃんと検査結果を教えるんだぞ」
全部神崎に向かって言っている。意識を確かめるためか、ただ言ってみただけか。
小柄な女の子が自分よりも遥かに大きい男を肩に乗せて歩いている。階段を昇ってきてその姿を見た山村の母は、心配そうな顔でふたりのことを見送った。
「あっ……びしょ濡れになっちまうかな」
あの状態では傘を差すことはできないだろう。ふたりともが病院に着く時にはずぶ濡れになっているだろうと思うと、山村はなんだか申しわけなく思えてきた。
そこではたと気づく。
開けられたカーテン。ぶら下げられた五体のテルテル坊主。そして――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます