第4章 起こり始める変化 その9

(どうして俺はここにいるんだ……)

 場所は山村家。その二階。

 二日目は乗り切ったのだが、三日目についに捕まった。

『今日こそお見舞いに行くよ!』

 そのあとは、あれよあれよという間にここまで連れてこられてしまった。とは言っても、結局案内したのは神崎なのだが。

 妹は山村家を知らない。それでも見舞いに行きたがった。そして、神崎は強引に連れ出されたために、知らない内に案内役に内定してしまっていたのだ。

 山村が学校を休むこと自体が珍しかった。それが三日連続となれば、神崎も多少は心配する。

 そういえば、昨日母親にも聞かされていた。

『山村さんのところの勇気君が大変みたいよ。どうしてお母さんに教えてくれなかったの?』

 教えてあげようにもなにも教えることがなかった。せいぜいが珍しく学校を休んだ、ということだろう。

 でも、主婦のネットワークは強大だ。神崎も知らないことを軽く網羅していたりもする。

『お見舞いに行ってあげなさい』

 確かその時に『明日行くよ』と適当に答えたような気がする。

(……しょうがないか)

 ベッドには、半分身を起こしている山村の姿があった。今は眼鏡をしていない。

 髪の毛はボサボサで、常に一点を見ている。虚ろな目には神崎たちの姿が映っていないように思える。

『君のお友達のところにはお見舞いに行かないほうがいい』

 青髪の言葉が思い出されたが、すでにあとの祭りだろう。

 せっかく来たのだ。こうなれば見舞ってあげたほうがいい。

「……山村君、だいじょうぶじゃなさそう」

 妹が声を抑えて言う。ちょっとばかり神崎の袖を掴んでいるのはなぜだろうか。

「そうだな。こいつは思っていたよりも深刻そうだ」

 雨の日は確かに山村は無気力になる。それはいつも見ている神崎だからわかる。だが、これほどまでに生気がないのには、正直驚かされた。

 植物状態――その表現が一番合っていそうな気がする。

 自分で思い浮かべた想像を、神崎は頭をぶんと振って掻き消した。

「どうすればいいのかな」

「……雨がやむのを待つしかない」

 そうすれば元気になる。いつもそうだ。だから、きっと今回もそうなのだろう。たまたま雨の日が続いた――それも大雨が――ため、一時的に症状が悪くなったのだ。

 神崎は思考をそう導いていた。

「治ると、いいね。……あたし、晴れるようにテルテル坊主作るよ」

 おまじないだが、効果がないとは言えない。願いが届けば、長い雨もきっとやむ。

 神崎にとっては圏外の話だが、魔法や超能力と違い、おまじないにはそれほどの嫌悪感はない。自身、その世話になったことが何度かあるからだ。

 たとえば『痛いの痛いの飛んでけー』

 たとえば今のような『あーした天気にしておくれ』

 効果のほどはよくわからないが、効かないわけでもない。あくまで暗示や偶然が重なったものだろう。

 それでも、非現実的なものよりはいい。説明がつかない事象こそ、神崎にとってもっとも恐るべきことなのだ。

「……そうだな」

 自分は作るつもりは毛頭ない。

 雨が晴れることには賛成する。さすがに連日雨だと気が滅入ってくる。

「ねぇ、今作ろっか?」

(それは困る)

 今ここで作ることになったら、自分も手伝わなければならない。高校二年にもなってテルテル坊主もないだろう。

 ぜひとも阻止したいところだったが、一瞬にして手遅れだと悟ることとなった。

「あのー、テルテル坊主作りたいんでティッシュもらえますか?」

 階下に呼びかける声は、大きい。

 神崎は額に手を当てて目を覆ったまま天を仰いだ。

 すぐに山村の母がティッシュひと箱――親切なことに輪ゴムとマジックもある――を持って二階にやってきた。

「ありがとうございます」

 さっそく部屋の中央に置き、妹は座ってティッシュを取り出し始めた。

 鼻歌混じりにティッシュを引き出すその姿は、見舞いに来ているそれではない。

 ひとつ作り終えたところで顔が上がった。怒っているのか、頬がぷうと膨らんでいる。

「いっしょに作るの!」

(やはりか)

 しばし逡巡してから、神崎はしかたなく座った。その間ずっと睨まれ続けていれば、さすがに居心地が悪い。少し手伝って機嫌が直るのだったら、そのほうがマシだ。

 ティッシュを引き出してクルクル丸めていると、案の定妹の顔には満面の笑顔が乗った。

(わかりやすいな……)

 改めてそう思う。

 兄が得体の知れないものを抱えているのに対し、妹は純真無垢といったところだろう。

「何個作る? いっぱい作ったほうが効果ありそうだよね」

 はたしてそれはどうだろう。テルテル坊主はあくまで願いを伝えるための小道具のひとつにすぎない。真に願う気持ちがあれば、その数は問題ではないはずだ。

「じゃあ、十個! ふたりで五個ずつね」

 どうやらこの作業がすでに楽しいものになっているらしい。

(十個も作ってどうする)

 そう思う。しかも、自分の割り当てが五個に内定している。

「よぉーし、どっちが先に五個作るか競争ね!」

(……だと思ったよ)

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