第4章 起こり始める変化 その8

「仕組まれた、もの?」

「そう。いつか来る危機のために、あらかじめ用意されたプログラムだったとしたら」

「……どういうことだ」

 わけがわからない。

 全員同じ名前で生まれ落ちたことが偶然ではなく、必然だと。親が子にこの名前をつけることが、すでに組み込まれていたプログラムだと。

 ありえない。

 第一その方法がわからない。

「サブリミナル効果というものを知っているかな?」

 壁までうしろ向きに歩いていた兄が、その足を止める。

(サブリミナル……)

「聞いたことがある。映画とかで一定間隔で何分の一秒くらいの広告を流す奴だろ?」

「そう。それだよ」

 また役者。

 なぜか目を伏せたあと、屋上に出る直前まで歩く。手を雨の中に差し出し、引っ込める。その手は濡れていない。

「人間の潜在意識になにかを刷り込ませるための手法。今の時代、テレビでそんなものを流したら犯罪だ」

 戻ってくる。

「でも、実際あのアニメの影響力は大きかった。それはなぜだろう?」

 いちいち癇にさわる言い方だ。

 手短なはずが、長い。

「早く言えよ」

 だから急かす。こうでもしないと、延々と演技が続きそうだから。

「魔法だよ」

 なんとなく予想はできた。

 人間の動きを止めることもできるのだ。刷り込みくらいできてもおかしくはない。

「基本的には妊婦に対して効果を発揮するようになっていたはず。それと、その家族。そうすることが、ピンポイントに同じ世代の子供たちに同じ名前を与えることになるから」

 確かにそうだろう。

 どうしてアニメが流行ったのかはわからない。これもなにかの魔法のためかもしれない。

 妊婦がこのアニメを見て影響を受ければ、自然と子供に主人公兄妹の名前をつけたくなってもおかしくはない。そこにいわく魔法の効果が加わるのだ。全員が同じ名前にもなるものだ。

 だが、家族が反対したら? 特に父親やその夫婦の親にも名づけたい名前があるかもしれない。

 そこを防ぐのが魔法効果の真の狙いだろう。

「そうしてみな同じ名前の不思議な世代ができあがったわけだ」

「……どうしてお前がそんなことを知っている」

「それは言えない。君が協力してくれるんだったら言ってあげてもいいけど」

 これは取引なのだろう。

 兄はなぜか階段を二段ほど降り、手すりに体を預けている。

 その背中からではなにも読み取ることができない。

「……なら知らなくてもいい」

 向こうがあきらかに上位にいる取引だ。そのまま要求を呑むにはあまりにも分が悪い気がする。

「そう。それならそれで僕はまったく構わないけど」

 それはそうだ。言えないことを言う必要はない。相手が聞かなくていいのなら、聞かせてあげる必要があるはずもない。

 背を向けていた兄が振り返る。

 神崎はそこで自分の体が動くようになっていることに初めて気がついた。

「今日はここまでにしよう。僕の『お願い』をこれからゆっくり考えておいてね」

 そうして先に階段を降り始める。

 下位――単純な高低では高いほうにいるのだが――に立たされて、さらにうしろを歩かされるのが非常に腹立たしかったために、神崎は少し早足で兄を追い抜いた。すると今度は見下されているような感覚に陥ってしまう。

 しかたなく横に並び、ともに教室を目指す。

 兄に笑われたような気がした。

 不機嫌な顔をしたまま階段を降りていると、兄が神崎に話しかけた。

「言霊ってわかる?」

 まただ。今度はオカルト。

「言葉にはすべて魂がある。それは名前にしても同じ」

「……」

「つまりはそういうことだよ」

 全然わからない。なにがどうなったら『そういうこと』になるのだろうか。

 青髪はただ微笑むだけ。

「……そうそう。危うく言い忘れるところだったけど、ひとつ忠告がある」

 不意に兄がポンと手を打つ。

 神崎が立ち止まると、数段の距離が差となった。

「なんだ」

 自然、上から見下ろす形となる。

 青髪はさらに一段降りると、そこで振り返った。サラサラと反対側に回る青の余韻を残し、いつもよりもやや鋭くなっている視線を向ける。

 口角をくいとつり上げ、

「君のお友達のところにはお見舞いに行かないほうがいい。たとえ妹がなにを言おうと、ね」

「……なぜだ」

「それはね――」

 一歩だけ足を前に進める。

 たったそれだけなのに、気圧されそうになってしまう。手すりに掴まり、なんとか下がりたくなる衝動を避けるのが精一杯だ。

「君のためだよ」

(……なにが俺のためだ)

 さらに一歩踏み出す。

 圧迫感は尋常ではなく、まともに立っていることも困難になってきた。

 目と鼻の先にいる男に変化はなにもない。それなのに……。

「僕に協力をすることが嫌なのなら、僕の言うことを聞いておいたほうが懸命だよ。でも、どの結果を選んでも、僕が君の味方であることは憶えておいて欲しい」

(味方、だと)

 なぜ、その味方にこんなにも気圧されなければならないのだ。言うことを聞かないと押し潰す。まるでそう取れてしまう。

「……おや? そろそろ本当に教室に帰ったほうがいいみたいだよ」

 チラリと腕時計を見る。

 神崎も自分の腕に目を落とす。

(……三分、だと)

 まるで時間がたっていなかった。体感では軽く十分を超えている。あきらかに手短に終わっていなかったはずが、時計を見る限りではそうでもない。

 壊れた――そう断言することもできなかった。

「それも、あれだよ」

 神崎の心を見抜いたように、その答えを兄が口にした。

 爽やかな笑顔が、不気味に思えてならない。

「さぁ、行こう。これ以上遅れると、妹の追及がありそうだからね。もっとも、その対象になるのは君であって僕じゃないけど」

 これは和ませようとして言っているのだろうか。

 あくまで態度は同じ。だが、受ける側の印象は同じではない。その笑顔、少し芝居じみたその動き、どれもが神崎の心を逆撫でしていく。

 階段を降りていく青髪の姿は、どこか飄々としていた。

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