第4章 起こり始める変化 その4
帰り道。
ふたつの傘が並んでいる。片や黒、片や赤。赤のほうがややうしろ。
神崎に無視されることのなくなった妹がうしろをついてくる。
(別にいいか)
そう。別にいいのだ。『魔法』とさえ口に出して言わなければ、神崎は別に不機嫌になりはしない。無愛想なのはもともとで、それで不機嫌に見えるのであって、本当に不機嫌かというとそうでもない。
原因のわかった妹はもはや不機嫌を向ける対象ではなかった。
だから、うしろをついてこられても神崎の顔は普通のままだ。
「本当にやまないね」
雨のことだろう。
「そうだな」
困ったものだ。ずいぶん長いこと連続で降り続けている。
(これだと今年の米の収穫に悪影響が出るかもな。高くなる前に買い置きしておいたほうがいいって言っておくか)
まるで主婦さながらのことを考えながら、のんびりとしたペースで家路を進む。
ずっと暗いために、外灯は点いたままだ。そして雨のために虫はいない。
静かだ。
ここに妹がいなければ、きっと雨初日のような静寂を感じるのだろう。だが、いる。妹がしゃべっている間だけはここに温もりがある。
「山村君、だいじょうぶなのかな?」
眼鏡は先に帰っている。というよりは、いつの間にかいなくなっていた。相当体調が悪そうだったが、雨の日はいつもああなので、神崎は特に心配などしていない。
だが、妹は違う。なにせ、あんなに死人同然に活力がないのだ。心配するのもいたしかたない。
「平気さ。いつもあんな感じだからな」
「そうなの? ……なんだか、かわいそう」
(これだけ心配されればあの眼鏡もさぞよろこぶだろうな)
神崎の口元がわずかに緩む。
もし山村が元気なら、今ここにいたかもしれない。しかも、雨のあとに晴れたのならば、その復活ぶりは凄いことになる。『心配してたよ』なんて言われた日には叫びだすかもしれない。
「まぁ、この調子だったらあいつが元気になることはなさそうだな」
「やむといいのにね」
「そうだな」
左手側が斜面になってくる。やがて階段がある位置まで来る。
錆びた手すりに雨が当たる音。そして、その雨がひょろり細長い滝となって道に落ち、坂に沿ってずっと流れていく音。雨が作り出す様々な音がいやに大きい。
「……」
神崎が無言で妹に振り返る。
「……寄ってっていい?」
すぐさま「どうするんだ?」と言っていることがわかった妹は、可愛らしく首を傾げた。語尾は当然ハートマーク。
そのままなにも言わずに神崎は階段を昇る。
決して認めてはいないが、拒否しない時点で寄っていっていいことは明白だった。
「……手、つないでもいい?」
言った時にはもう掴まれていた。
確かにここは足場が悪い。もともとコケや蔦などがあるのだが、雨が降ったために滑りやすくなっている。神崎自身、ひさびさの雨で油断したのか、初日にコケそうになったほどだ。
すでに手を繋いだ状態になってしまった以上、今さら離してもしょうがない。拒絶できたのは掴まれる直前までだったろう。その時に拒んだかどうかはわからないが。
すっと冷えた手。
神崎は妹の手があまりにも冷えていたことに驚いた。いくら秋の始まりとはいえ、それほど寒くはなかった。そう、晴れている時は。
だが、ここのところずっと雨。気温もずいぶんと下がっているはずだ。太陽が当たっていないのだから当然のことだろう。
思わずその手を包み込んであげたい衝動に駆られたが、なんとか踏みとどまる。
「神崎君の手……あったかい」
見上げているのがよくわかる。だが、神崎は視線を足元に固定したまま変えない。
階段をゆっくりとした歩調で昇り、ようやく上に辿り着く。
昇り終えた時点で手を離したが、また掴まれたのであきらめた。おそらく何度そうしても同じことだろうから。
だが、手を繋いだままで帰ることには気が引ける。
さて、どうしたものだろうか。
「……玄関まで行ったら手を離せよ」
だから注意した。直接的に言ったほうが早い。
「…………うん」
妹は思い切り悩んだ末に小さくうなずいた。
神崎の手が暖かいから離したくないのか、それともまた別の理由なのかはわからない。
ただ、よけいにぎゅっと握られたことが意味することは……。
「ただいま」
戸を開けて中に入る。その前に傘についている水滴を玄関先で落としておく。
あとから妹も同じようにする。
「おかえりなさい……あら、愛ちゃん」
「こんにちは。おじゃまします」
エプロンで手を拭いながら母が出迎えると、妹はお辞儀をした。明るさ的には『こんばんは』のほうがしっくりとくるが、時間は『こんにちは』の範疇になる。だから『こんにちは』
「ふたりとも少し濡れてるわね。今タオル持ってくるから、ちょっと待ってて」
すぐにどこかへと向かう母。
神崎は玄関の一段高くなったところに腰をかける。体の向きは戸口。立って待っているのも疲れるので、座って待つことにしただけだ。
赤い髪が上下に揺れる。そしてしばらく停滞した末に、ふわりと広がった。
ふたりで同じ方向を向いているだけ。
特になにも話していないが、そこに緊張はない。
無言のままでいると、神崎は妹に横顔を覗かれているように感じた。
じっと見られているのがわかるが、だからといってどうしていいかわからない。
横を向いたらおかしいし、目を合わせるのもためらわれる。
それで、正面を見続けることにした。
結局、母がタオルを手にして戻ってくるまで、ずっと見られていた。
「お待たせ。風邪引くといけないから、ちゃんと拭くのよ」
タオルを手渡されたふたりの行動は対照的だった。
神崎は適当に頭を拭き、やはり適当に制服の裾を中心に拭いた。
妹は濡れているだろう毛先を中心にタオルで包み込むように水分を吸い込ませ、それが終わると制服の袖を同じようにする。スカートのうしろと靴下から水分を取り終えると、ようやく靴を脱いだ。
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