第4章

第4章 起こり始める変化 その1

 どうしよう。

 真実妹は悩んでいた。

 またもとに戻ってしまった。これでは転校してきた時とまるで変わらない。

 前には男のふたり組。片方はヒョロリ背が高い。もう一方は、それよりは背が低いがそれでも低いわけではない。自分よりは遥かに高い。

 ときおり背の高い男が振り返る。そのたび眼鏡がチラリと見える。だが、特に話しかけたりはしない。

 彼はまるで元気がないのだ。

「あの……」

 声をかけてみると、眼鏡はゆっくりと振り返ってくれるのだが、特に変わった反応はない。短髪の男のほうは振り返りもしない。

 それ以上なにも言葉には出てこない。

 乾きだした唇を舌で舐める。緊張しているのだろうか。

 今朝まではこんなではなかった。そして、今朝からこんなことになってしまった。

 自分がなにか悪いことを言ってしまったのか。そう考えてみるも思い当たる節がない。考えれば考えるほど深い闇に落ちていってしまうようだった。

(せっかく仲よくなれたのに……)

 彼と初めて会った時からずっと話しかけていた。前もこんな感じだった。いくら話しかけても反応が薄く、眼鏡が代わりに話すことが多かった。

 だが、今はそれよりもさらに悪くなっている。

 眼鏡はなんの反応もない。短髪もなんの反応もない。

 さすがにずっと話しかけていることがつらくなってくる。

(ううん。あきらめない)

 話しかけるしかないのだ。

 最初からそうだった。ずっとそうだった。今もそうに違いない。

 そう心に決めると力が湧いてくる。

「ねぇ、今日どこか行くの?」

 普段通りに訊いてみる。変に緊張してよそよそしくなるよりは、いつもと同じ口調、雰囲気にしたほうが、以前と同じ状態に戻りやすいかもしれない。

 だが、さすがに反応がなにもないと選択を間違えてしまったのではないかと思えてくる。

「ねぇ、雨やまないね。明日まで降り続けるのかな」

 沈黙。

「ねぇ、今日の数学の時間おかしかったよね! 先生いきなりコケちゃって!」

 雨音。

「ねぇ――」

 話し続けることを選んだ。

 前だってこうだった。こうしてずっと話しかけて、ようやく振り向いてもらえた。

 戻りたい。

 最初に戻っただけ。

 ……違う。戻りたいのはそこじゃない。

 雨はやまない。


 結局その日は話すことはなかった。

 男ふたりは無言のままだったが、自分を家まで送ってくれた。

 いつもなら短髪の男の家まで自分がついていっているのだが、今日はそれすらもさせてくれない。いきなり方向が逆だったのだ。

 しっかりと送り届けられると、ふたりはやはり黙したまま帰っていく。

 止めることもできた。だが、しなかった。

 きっと無駄であることがわかっていたからだ。

「どうして……」

 言葉がこぼれる。

 自分で自分を責める。だが、責めるポイントが見つからない。だからなんとなく責め続けた。

 そうして玄関先に立っていると、遠くに人影が現れた。

 その人影は傘を差してはいるものの、なぜか雨がそこだけを避けているように見える。傘だけが浮いているようだ。

 ゆっくりとした足取り。

 そばまで来て、それが兄だとわかった。いや、本当は見ないでもわかってはいたのだが。

「こんなところでなにやってるんだ? いつまでも雨の中突っ立っていると、風邪引くよ」

 うなだれる頭を上から軽く叩くと、クルリ回れ右をさせられて、ともに家へと入っていく。


「ずいぶんへこんでいるようだね」

 タオルを妹の頭にかけてやり、まったく濡れていない青髪はソファに座る。

「なにがあった? と訊いてあげたいところだけど、見当はついているから訊いてあげない」

 爽やかに笑う。

 その笑顔をうらめしそうに見上げ、妹は頭の上に乗っているタオルで赤い髪を適当に拭いた。

 その適当さからか、髪を結んでいたゴムが外れて吹っ飛んだ。片側だけ展開された髪はしっとりと重い。

「原因がわからないっていうのは、さぞかし嫌だろうね」

「……知ってるの?」

「まぁ、ね」

 元気がどこかへと行ってしまっている妹の姿を眺めながら、兄は薄く笑う。隠しておきたいのか、焦らしているのかはわからない。

「教えてっ!」

 タオルを頭の上に乗せたまま、妹が勢い込む。

 体がぶつからないようにわずかに上体を引きながら、兄は妹の頭を手で押さえ込んだ。

「わかったから離れるんだ」

 軽くしているようで強いその力に従い、妹は渋々と兄の正面に正座した。

「愛、お前は言ってはいけないことを言ってしまったんだよ」

「言っては、いけないこと?」

「そう」

 兄は人差し指をピンと立てる。その指先がほんのりと輝いている。

「……魔法?」

「それがタブー」

「魔法って……あたしが言ったから?」

「そうだよ。その言葉を口にすると彼が不機嫌になるって気づかなかった?」

「……全然」

 気づかないから二度もやる。

 だが、これで三度目はない。……かもしれない。

「そうだったんだ……」

 原因がわかったことで緊張が緩む。体の力が抜け、ペタンと完全に座ってしまう。持ち上がっていた肩も落ち、猫背になってしまう。

「わかった? だったらできれば口にしないことだね。どうしても口にしなくちゃいけなくなるんだ。その時までに、彼が平気になっていれば最高なんだけど」

「……?」

「まぁ、せいぜい仲直りはしておくことだね。今の状態は、愛も僕も望んでいない」

「うん」

 それが最後。

 普段からほとんど会話をしない兄妹は、それきり黙ってしまった。

 今日が珍しく兄が饒舌だっただけだ。

 降りしきる雨がそうさせたのだろうか。

 雨は降り続けて、二日目に入った。

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