第3章 小さな流れ その7
結局学校は通常通りだった。
なぜ人の数が少なかったのかはまったくわからないが、学校に来てみれば結構な数がいた。
一部いないのはサボリか。
「おはよー」
語尾にハートマーク。
「ああ」
これが挨拶。
真実妹が可愛らしいバックを背負いながら、登校即神崎。
「今日、すごいね」
「そうだな」
どうにも今朝の母との会話のようだ。立場は逆だが。
おはよう、みなはそう言うものの、真っ暗なままでは説得力がない。こんばんは――感覚はそのほうが近い。
「あたしがここに来てからずっと晴れだったから」
「そうだな」
「雨は好きじゃないけど、たまにはいいかな? って思う。だって、雨が降らないと困る人も多いでしょ?」
妹は小首を傾げる。
「降って困る奴もいるけどな」
うしろを指す。
ぐったりと机にかぶさっている山村。顔は窓を向き、なにを見ているのかわからないその目はまるで死人のようだ。
「……どうしちゃったの?」
「あいつ、雨苦手なんだ。特に大雨な」
「へぇ……。かわいそう」
それだけ。哀れ、眼鏡。
神崎も小さく苦笑し、半死人に同情の目を向ける。
目の前の赤髪が自分に好意を持っているかどうかは考えないとして、山村が妹に好意を寄せていることは明白だ。だが、それに妹は気づいていない。山村がまるで視界に入っていないことが不憫でならない。
「あっ! そういえば神崎君、この前お兄ちゃんと会ってなかった?」
この前とは、合気道の時のことか。
「そう言われると、会っていたな」
「言われなきゃ思い出せなかったの? それで、お兄ちゃんとどんな話したの?」
妹はやや興奮状態だ。自分に内緒の話に興味が湧くのだろう。
「……別に。特になんでもない話だ」
「うそ。どうしてなんでもない話をこっそりしなきゃいけないの?」
「そう言われてもな」
神崎は青髪をチラと見る。あいかわらずその姿は隠れて見えないが、なぜか視線が合った気がした。これも合気道か。
「う~。あたしだけ仲間はずれ? ……いじわる」
いじける赤髪。ふくれる頬。突き出る唇。大きな目が不審に細められる。
神崎は小さく肩を竦めた。仲間はずれと言われる理由が見つからない。
「そんなに知りたいなら兄貴に直接訊けばいいだろ? いつだって訊けるんだから」
「お兄ちゃんとはあんまりしゃべらないの」
さらにぷぅとふくれる頬。
そう言われて神崎は初めて気がついたが、この兄妹あまりお互いにはしゃべっていない。いっしょに住んでいるから学校でまで話す必要がないのだろうか。
兄弟のいない神崎にはそのあたり、よくわからない。
「……合気道だよ」
「は?」
これで通じるとは思ってはいなかった。妹の反応はあまりにも間抜けだ。
「あいきどう?」
「そうだ。お前の兄貴と、合気道をしていただけだ」
「……なんで?」
それはそうだろう。はっきり言って意味がわからない。
妹の思考を辿れば、『なんで?』、『神崎君とお兄ちゃんが?』、『あたしに隠れて?』、『ふたりきりで?』と疑問符ばかりになっていることだろう。
いくつかの部分で根底から間違えているものがあるが、それは彼女にとっては些細な問題に違いない。重要なのは、自分の疑問が解決されること、それ一点に尽きる。
「合気道っていうのは、つまりなんだ?」
「……護身術?」
「一般的にはそう考えたほうがいいな。そういった形で普及したからな」
「それがなんなの?」
「だから、お前の兄貴の合気道を俺が自分の体で味わったんだよ」
(まだわからないのか?)
真実妹のあごに手が添えられる。その状態で上を向き、目が宙を彷徨う。
なにかに思いが至ったのか、「あっ」そんな口をし、ポンと手を叩く。
「わかったわかった! 魔法ね!」
妹の疑問万事解決の笑顔とは逆に、神崎の顔に不機嫌が乗る。
そんなことも気づかずに、妹は浮かれる。
「そっか、それでふたりきりか」
神崎はもう妹のほうを向いていない。半死人と前後で並んで窓の外を見ている。
つい先日席替えをしたために、神崎と山村の席は縦に並んでいる。ちなみに神崎が前で山村がうしろ。さらにその横に真実妹、離れた場所に兄だ。
「……あれ? どうしたの?」
「……」
疑問に沈黙で返す。
困ったような泣きそうな、そんな顔をして赤髪が揺れる。
「あたし、なにか悪いこと言った?」
無視。
「どうしよう……。怒らせちゃった……」
聞こえるようなつぶやき。
神崎は『魔法』と言いさえしなければ、真実兄妹に対して嫌悪はしない。だが、ひとたび口にしてしまえばこの通り。ある種頑固だ。
まったく取り合ってくれなくなった頑固男を持て余し、妹はしかたなく自分の席に着く。それでも視線はずっと神崎のまま。
自分のことを見ているだろうな、とは思いつつも決して視線は向けない。
やりにくい。
兄のほうはすぐにわかってくれたが、妹は最初からずっとわかっていない。なぜ相手をされないのか、なぜ冷たいのか、そしてなぜ急に不機嫌になったのか。
神崎は彼女が自分で気づくことを願っていた。せっかく慣れてきたのだ。こうしてまた一から出直しももったいない。
わかってくれさえすれば、二度と同じことは起きない。わかっていなければ、何度でもスタートに戻れてしまう。
そのままふたりは話すことなく、教室に教師が入ってきた。
うしろには半死人。横からはすがるような視線。
神崎は未だやむことのない雨を眺めていた。
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