第2章 これは今からの出来事 その4
自分の中ではすでに決定事項なのだろう、妹はスカートの上にスカーフを広げ、その上にキルトから出した弁当箱を乗せる。
「……ここは立入禁止だぞ」
「うん、知ってる。張り紙あったから」
追い返そうとして言ったひとことだが、返答にはためらいがない。
「だって、神崎君たちここにいるでしょ?」
それで充分だった。
自分たちが立入禁止区域にいる以上、それを理由に追い返すことなどできはしないのだ。褒めるならば、ここにいる神崎たちを見つけられたことだろう。同時にそれは神崎にとっては失態で、山村にとっては思わぬよろこびだった。
来られた以上、神崎はもはや離れるしかない。
だが、さりげなく少しだけ横にずれても、それにさりげなく追随される。
押し出されるように、だんだんと山村の体が斜めになっていく。
「……お前はなんなんだよ」
山村のことを押し出しながら、低くつぶやいた神崎。「ん?」と聞こえていない妹。
「おい、神崎! これ以上押したら押し返すからな!」
傾斜が四十五度を超えて、節々が痛み始めた眼鏡が怒鳴る。
やむなくそのままの位置で留まり、神崎は空を仰ぐ。抜けるような青空。午後の快眠モードに移りたい気もしてきたが、今のこの状況ではそれは無理だろう。
「ねぇ、神崎君と山村君って仲いいよね。いつから友達なの?」
まともな質問だった。なぜか安堵する自分に驚きつつもそれを隠し、神崎は返答を隣にいる斜めの男に委ねた。
見るまでもなく、震えるほどよろこんでいそうな山村の顔が目に浮かぶ。
案の定、勢い込んで身を乗り出してきた。
「病院から!」
(そんな答え方はないだろ……)
神崎の体を右手でグイとうしろにのけて、ふたりの間に割り込んでいく。
意味がわからなかったのか、妹は箸を口に挟んだまま目をパチクリさせている。
「びょういん?」
可愛らしい声で、ちょこんと首を傾げる。
病院といえば、病気を治すために行く、その場所だろう。
「あっ、言い方が悪かったかな? 産まれた時からいっしょ。腐れ縁も腐れ縁。まさか高校までもいっしょとは思いも寄らなかったけどね」
(俺も思ってもみなかったよ)
「そうなの! すっごぉ~い!」
神崎は必要以上に驚く赤髪をなんとはなしに見やり、目が合うとすぐに逸らした。
「運命なのかな?」
山村のうしろに隠れ込んだ神崎を、わざわざ体を傾けてまで見てくる妹。両掌は合わさっている。
「……そいつの言ったとおり、ただの腐れ縁だ」
「同じ病院で同じ頃に産まれるなんて、あたしは運命だと思うなぁ」
(また運命……)
同じ場所で産まれて、今でもいっしょにいるだけだ。それは運命でもなんでもなくただの偶然にすぎない。神崎自身はそうとしか考えていない。真実妹がどう思おうと、それは本人の勝手だ。それは自分の知ったことではない。
「いいなぁ、そういうの」
憧れ口調で言う妹に対し、神崎は冷めた目でしかいられない。
(なにも変わんねぇよ)
「そういえばさ、まだ訊いていなかったけど、真実ちゃんは前にどこの学校にいたの?」
眼鏡がうれしそうに妹に訊いた。
確かに知らない。
赤い髪を少しだけ前に垂らすと、すぐにもとに戻った。
「新潟。……寒かったなぁ」
思い出したのか、自らの体を抱き締める。
神崎はなにか頭に引っかかるものがあったが、その正体がなんなのかがさっぱりとわからない。無表情を決め込む。
「新潟か。俺行ったことないな。どんなとこ?」
「すてきなところよ」
(すてき……か)
当り障りのない回答。どこでも通用するもの。別に新潟である必要はまったくない。
釈然としないものを感じつつも神崎は沈黙の姿勢を貫く。相手をしてやる気になれない。
「……今度機会があったら行ってみようかな」
数瞬のタイムラグがあってから山村はそう言った。
「うん。きっとすてきなところって感じると思うな」
妹はうれしそうに微笑んだ。
(本当にすてきなのか)
釈然としないのはそのままだが、だからといってどうしようもない。神崎はこの件を一旦頭の隅に押し込んでおくことにした。
それからは特に変わったことはなかった。あいかわらず妹が話しかけ、眼鏡がそれに答える。その繰り返しだった。
のどかな――実際そうでもないが――昼休みはいつの間にか終わりを迎えていた。
「そろそろ戻るぞ」
腕時計を見た神崎は、落ち着いて重くなってしまった腰を上げた。
「あ、待って!」
ようやく弁当を食べ終わった妹は、立ち上がってしまった神崎に制止の声をかける。だが、それで待つ神崎ではない。
さっさとその場を離れていってしまう。
「待ってって言ってるのにぃ!」
可愛らしい声で怒り、赤い髪を忙しく揺らしながら弁当箱をたたんでスカーフに包む。それからキルトに収めて急いで立ち上がった。曲げていた足は急な直立に反抗をする。
「きゃっ!」
足がよろけてつまずく。勢いよく飛んでいくキルト。そのまま神崎の足元まで飛び、ぶつかって止まる。
「……」
「……」
神崎がうしろを振り向くと上目遣いの妹と目が合った。しばしそのままでいる。
ちょっとだけ腰を落とすと、神崎は足元にあるキルトを拾い上げた。ポーチになっているその紐に指を通すと、クルクルと回しながら階段へと向かう。
「あ~ん、返してよぉ!」
山村に助け起こされてから、妹は神崎の冷たいうしろ姿を追いかけていった。
そのふたりをさらに追いかけるのは、両手をまじまじと見つめながら走る眼鏡。ぎゅっと握ったり開いたりと忙しい。「よしっ!」と小さくガッツポーズをひとつ。
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