第2章 これは今からの出来事 その3

 結局、毎回の休み時間に真実妹は神崎のもとを訪れていた。

 おまけのようにくっついてくる眼鏡も眼鏡だが、妹も妹だ。性懲りもない。

 相手をしない神崎にも関わらず、妹は赤い髪を揺らして元気に話しかけていた。横取りするように妹に話しかける縁なしが空回りして見えたほどだ。

 そんな眼鏡が今こちらを見ている。

 時は昼休み。場所は屋上、本来立入禁止。

「……いい加減にしろ」

(うんざりだ)

 呆れかえる神崎。購買部前の特設で買ったふたつのパンの内、中にコロッケが入っているものをかじった。肉汁が口内に注ぎ込まれる。温かくはないのだが。

「なんでそういうこと言うかなぁ」

 不満そうに突き出された唇。眼鏡を右指で持ち上げ、もう一度同じことを訊く。

「絶対に真実ちゃんお前のこと好きだよ。応えてあげないのか?」

(くだらない)

「今日初めて会って、それで好きにはならないだろう。お前の錯覚だ」

 きっぱりと断言。これ以上口にするなとの意味も多分に含まれている。

 だが、山村も懲りない。

「ひと目惚れだって、絶対。俺が言うんだから間違いない」

「……その自信の根拠はなんだ。これ以上戯れ言を続けるつもりなら、俺は帰るぞ」

 神崎はパンにかぶりついたまま、空いた手でそこだけ冷えているコンクリートに手をつく。

「待て待て! お前が言うと本当に帰りそうだから、ちょっと待て!」

 慌てて自分が先に立ち上がる眼鏡。押さえ込もうと相手の肩に手を置く。

 圧迫感に顔をしかめながら、神崎は口だけで器用にパンを食べ続ける。ひとくずも欠片を落とさないのは曲芸の領域か。

「……だったら、もうくだらない話はするな」

 念を押し、ついていた手を離す。そのままふたつ目のパンへと手を伸ばして、それを掴み取る。

 完全に神崎の立ち上がる気配がなくなったことを確認してから、ようやく山村はもとのように座り込んだ。

 まだ昼休みは始まったばかりだ。ここで神崎に帰られたら、残りの時間が暇だ。

「わかったよ。もう今は言わない」

「『今は』っていうのが引っかかるが、まぁいい」

 神崎はジロリとひと睨みをくれてやってから、おもむろに手に持つパンにかぶりつく。今回は甘めの、糖分たっぷりアンドーナツ。

 こちらはさすがに曲芸には無理があるのか、砂糖の粒が転げ落ちる。制服のズボンを汚してしまっているそれを手で払う。

「俺の分も買っといてくれればよかったのに」

 うらやましそうな目が眼鏡の奥に見える。

 このアンドーナツ、実はこの学校で人気トップスリーを争う貴重なもの。いくつかのバージョンがあり、甘さ控えめから甘党大満足までと様々だ。お調子者の一年生が甘党でもないのに、最甘を食べて保健室に担ぎ込まれたというのは有名な話で、毎年同じような話を聞く。

 神崎が食しているのは、下から三番目くらいの甘さのもの。全部で七近くの甘さがあるため、標準より甘くはない。

 俺の分と言っている山村は、食べるとしたら上から二番目のもの。神崎には信じられない甘さをしている。

 ちなみに、人気ランキングを競っているものは他にコロッケパンと焼きそばパンがある。これらは、入手難度が高い。手に入れるためには授業終了と同時のダッシュか、授業を早めに抜けるしかない。これが速すぎても特設ができていないために無駄になるので難しい。

 そんな三強の内のふたつをさりげなく入手している神崎は、自慢するでもなくパンを食べ続ける。

 簡単に食べ終わると、

「ひとりひとつまでだからな」

 誰でも知っていることを口にする。

 悔しそうに口を引き結び、自分の手にある野菜サンドに目を落とす。山村はもうひとつ、小さなビニール袋に入っているチョココロネに視線を落とすと、深く溜め息をついた。

「トイレ我慢しとかなきゃよかった……」

 三時限目の授業の途中――この学校は午前三コマ、午後二コマの七十五分授業――に急な尿意に襲われた山村は、今行くべきかパンを買ったあとに行くべきかの決断を迫られていた。

 だが、その時は時間的にパンを買うために抜け出したと思われる確率がかなり高かった。他の人はともかく、自分はそんな疑いをかけられたくはなかった。

 やむなく我慢を選んだのだが、結局それが敗因となった。

 授業終了と同時にダッシュした中で、一番速かったのが山村。誰もがパンを買いに行くと思ったことだろう。だが、みんなの予想を完璧に裏切って山村は右折――左が購買部への道――した。

 トイレに直行して至福のひと時を味わった代償が、野菜サンドにチョココロネだった。

「変なこだわりを持つからだ」

 神崎の言葉は自分だったら迷わず授業を抜けるという意味だ。

 しょんぼりとパンをかじる眼鏡の姿は非常に切ない。

 ここでは一種の勝ち抜き戦であるパン購入。それに敗れた者は、誰しもが遠からずこの姿になる。

 食事の終わってしまった神崎は、ひとりのどかな時間を過ごし始めていた。

 今ふたりが寄りかかっているのは、事故防止のための囲い。これはコンクリートでできている。その上には金網がかなりの高さで設置されているが、一部に穴があって役目を果たし切れていない。

 そのために屋上は立入禁止になっているのだが、そんなことはお構いなしなのがここにいる者たち。神崎と山村以外にもぽつぽつと。

 ようやく眼鏡が渦巻きパンを手に取った時、階段から人影が現れた。思わず身を隠そうとしたふたりだったが、あいにく隠れる場所はない。それに、そもそも隠れる必要がない。

「ふぅ……、やっと見つけた」

 語尾にはあいもかわらずハートマーク。

 大きく肩で息をしているために、赤い髪が揺れている。ちょっと前屈みになっているために、制服の胸元に怪しい空間ができていた。

 神崎が隣をそっとうかがうと、眼鏡がキラリと輝いて中の目が見えない男がひとりいる。

 落ち着いてきたのか、妹は両手と胸で可愛らしいキルトの入れ物を抱えながら近づいてくる。

 ふたりのそばまで来ると、迷うことなく神崎の隣に座った。スカートの中が見えないように膝を横にたたんでいる。膝の向きは神崎。

「お昼いっしょに食べよ?」

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