第2章 これは今からの出来事 その7
広々としたリビング――和室構えなので居間に、神崎と真実妹が並んでいる。正面には横長の低いテーブル。その上には常に置いてあるお茶菓子が数十点。
ふかふかの座布団に乗り、無言。
(なぜ横並び……)
神崎は自室にこもってしまおうと考えていたのだが、母によりあっさりと棄却された。いわく『せっかくお友達が来てるんだから、ここにいなさい』だそうだ。
(それでここにいる俺が悪いのか?)
自問する。
反抗して引きこもるのも悪くはないが、そのあとが怖い。軽く晩飯シャットアウトは当たり前。小遣いカットもやむを得まい。それに掃除洗濯ほか、家事全般の全面依頼のペナルティは痛い。とりわけ初日の自分で作った夕ごはんを見ているだけなど、精神的に参る。
神崎の若かりし頃――反抗期真っ盛りの中学二年――はひどかった。
反抗してペナルティを受けて、それが嫌で家出して、帰ってきたら三倍増し。ペナルティがすべて大変なことになっていた。
さすがにその日からは我慢を学んだが、反抗期間中だったために何度か苦い汁を舐め続けた。
そんな過去が、神崎の反抗心を萎えさせている。
ここにいて正解。初めから答えはそれひとつしかない。
「お茶淹れたから、ゆっくりしていってね」
(早く帰って欲しい)
湯気の立つ湯飲みを三つ置き、ふたりの正面に母が座した。おもむろに羊羹――これはお茶を載せた盆にいっしょに乗っていた――に楊枝を差し入れて口に運ぶ。
「そういえばまだお名前訊いていなかったわね」
「真実愛です。よろしくお願いします」
「勇気の母です。こちらもよろしくお願いします」
(よろしくするな)
お互いに丁寧な挨拶をし合い、母が妹に羊羹を勧める。
「あっ、おいしー!」
ひと口でひとこと。
(そりゃうまいだろう)
思わず自慢げに思ってしまい、慌てて平静を取り繕う。
(まさか顔に出てなかっただろうな)
「そうでしょ」
母もどこか自慢そうだ。
「これね、この辺りでは有名なお店のものなのよ。買う時に並ぶのよね」
神崎に訊いている。無視したいのはやまやまだが、やはり怖い。
「ああ。毎週日曜に俺が並んで買っている」
「水曜は母さんよ」
羊羹はおひとり様ふたつまで。二本では三日ともたない。母が人をよく呼ぶからだ。呼べば羊羹は馳走に振る舞われてしまう。振る舞われた方も並んで買っているはずなのだが、やはりそれは自宅用か馳走用なのだ。こうしたやり取りによって主婦のネットワークは形成されていく。
「そのお店ってどこにあるんですか?」
羊羹が気に入ったのか、それともなんとなくなのか、妹が訊いた。
母は得意になって場所の説明をしている。わかりやすく言ってしまえば駅前商店街だ。食材はスーパーに切り替えたが、まだまだ商店街は捨てられない。用具やこうした茶菓子などは、大抵駅前に買いにいく。そのほうが上質で、馴染み深いものが手に入るから。
「あたしの家から近いのかな? 今度調べてみよう」
普通に聞けば店の場所がわからないという意味だと思うだろうが、母はこの点に引っかかったようだ。
「あら? 愛ちゃんはここに越して来たばかりなの?」
「はい。つい三日前です」
「そうなの? 勇気ったらそんな子をもう連れてきたの」
(いや、連れてきちゃいないんだが……)
「あたし、今日転校してきたんです。それで神崎君――ゆ、勇気君といっしょに帰りたかったから……」
照れ臭そうにややしてうつむく。『勇気君』と言いよどんだのは仕方がないことだろう。
「……へぇ~」
母から疑うような眼差しで見られて、神崎の顔が不機嫌に歪む。
一体どんな疑いがかけられているのだ。
「こんな無愛想な子のどこがいいのかしらねぇ?」
本当にわからないと言いたげだ。疑いの内容がわかったのはいいが、母親にまで無愛想と言われると、さすがになんとも言えない。自覚がある分マシなのだろうか。
「無愛想で悪かったな」
一応返しておく。この態度こそ『無愛想』という言葉にふさわしいことを神崎は知っているのだろうか。
「気にしないでね。勇気は生まれつきだから」
(それは違うだろ……)
「平気です。あたしが嫌がってる勇気君に無理矢理ついてきただけですから」
(自覚はあるのか)
そう考えると神崎は妙な安心感を覚えた。まさか嫌がっていることがわからないはずはない。それが確かめられただけ、一歩前進だ。その道がどこに向かっているのかは知らないが。
「でも、愛ちゃんみたいに可愛い女の子にあとを追いかけ回されていたら、勇気もまんざらでもないんじゃない?」
(『嫌がってる』って今言ったろうが)
不機嫌さがもろに出たのだろう。母が首を傾げた。
「なにが不満なの? だって今日会ったばかりなんでしょう?」
「……なんとなく」
「『なんとなく』は理由にならないわよ。そんなに嫌ったら、愛ちゃんがかわいそうでしょ」
(嫌なんだってことがわかったんなら、もう構わないで欲しいんだけど……)
神崎の思いは表情としては『不機嫌』としてしか出ない。もともとが無愛想なだけに、それほど気にならない。
もしかしたら母はわかってやっているのかもしれない。不意にそう思い始めると、その考えが正しいんじゃないかと思えてしかたがなくなってくる。
単に自分の茶飲み相手ができた。それくらいしか考えていないのでは……。
「母さ――」
「愛ちゃんはお名前が『愛』だけど、それはやっぱり?」
流された。
息子の思惑破れたり。見抜かれた、と取るべきか。
「やっぱり……なにがですか?」
「あら? 違うのかしら」
「……?」
母はあごに手を軽く当てて首を少しばかり傾けた。
そして、行動にこそ出さなかったが、神崎も同じ感想を抱いた。
(知らないのか?)
だとすると、それはそれで貴重な人物ということになる。
「よくわかんない……」
妹がボソリとこぼした。
本当にわからないのだろうか。ただでさえわかりやすいこのおかしな特徴を、転校したことのある人間が知らないわけがない。しかも、自分自身もその特徴をより濃く持っているにも関わらず、だ。
「その髪の毛は染めているの?」
母がきれいな赤い色をした妹の髪の毛を見た。鮮やかで滑らか。『染めた』という表現がまるでしっくりとこない、自然な赤。
今のこの疑問は当然誰にでも浮かぶはず。だけど、学校では誰ひとり訊いていなかった。あまりの自然さに、訊こうと思っても訊けなかったのか。そもそも、神崎のところにばかり来ていた妹は、神崎以外の人間とほとんど接していないように思える。それなら自分か山村が訊かない限りは誰も訊くはずがなかった。
「これ、天然です。お兄ちゃんも産まれた時からもう青かったみたいだから」
みたい、という表現は産まれた時のことなど憶えていないからだろう。おそらく物心がついた時には色つきだったのだろう。
「お兄さんがいるの? ……お名前は?」
「勇気です。その……勇気君といっしょで」
妹が『勇気』と言いづらそうにしているのは、兄と名前が同じだからだ。『お兄ちゃん』という言い方をしていても、やはり同じ名前を持つ者は呼びづらい。そう、これが普通ならば。
「……」
母がなにかを考えているようだ。神崎にもその考えの内容がよくわかる。
そう、『同じ名前』なのだ。ついでに『同じ苗字』なのだ。
「なぁ、ひとつ訊いていいか?」
これは神崎から訊く初めての質問だった。今まで自分から妹に話しかけた憶えはない。
赤髪が揺れ動く。目と目が合い、なんとなく逸らしたくなったが我慢した。
「お前、ま……いや、やっぱり母さんが訊いてくれ」
なにかを言おうとしてためらう。
母が困った顔をしながら小さくうなずいてあとを引き継ぐ。神崎が訊いていなかったらおそらく自分が切り出していただろうから。
「愛ちゃんは『魔法兄妹』って知っているかしら?」
赤い髪が少しずつ傾いでいく。それが横に大きく揺られると、神崎親子はわずかに目を広げた。
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