乱闘

 

 フェルモには自分の傍──この場からなるべく離れないでくれと言われた。

 自分が護れる範囲内から距離を開けられると、少しばかり面倒らしい。


 それもそうだ。マフィアとしての記憶を持たない今のオレには何も出来ない。役立たず同然の存在。

 ──いや、寧ろそれでいいのかもしれない。

 自分までこんな狂人達の仲間入りなど、御免被る。



 連中は知らないが、オレには警官としての記憶からある程度相手の暴力なら対抗は出来ただろう。

 だが今見ている乱闘は、オレの知るチンピラや酒酔い共の暴力騒ぎとはレベルが違う。


 現在の状況は血が飛び散る、ほぼ殺し合いの場だ。




 襲い来る連中へ向け、フェルモが太い腕を振るう。その度に骨が折れる鈍い音が耳へと届く。

 発砲される銃弾、迫り来る刃先、振り上げられる鉄パイプ。

 その全てをフェルモは避ける。


 高身長と幅広な体格からは予想だにしない、素早い身のこなし。

 無駄な脂肪など一切無いような、全身が筋肉質な男だから出来る技……なのだろうか。



 殺意むき出しの男が、フェルモに向けナイフを突き出した。

 フェルモが高身長とあって、相手は心臓辺りを狙うが難しかったのか──刺す狙いを定めた先は腰。

 フェルモの腰を目掛けて、横から突進する。


 しかしフェルモの視線の先には、拳銃を構える者達──その者達がフェルモに弾丸を飛ばす瞬間、目も向けずにナイフ片手にギリギリまで突進してきた男の腕を掴む。

 するとフェルモは掴んだ腕を引き寄せ、身体ごと男を持ち上げたかと思えば、飛んできた弾丸の盾として自身の前にかざす。


 盾として使われてしまったナイフを持つ男の背には、仲間から撃ち込まれた弾丸で穴が開き、血の花が咲く。


 フェルモに持ち上げられた時点で、男は一瞬自分の身に何が起きたのかわからないといった様子だった。

 しかし背に受けた衝撃によって、己の状況を理解する。


 背の痛みに悲鳴を上げる男を放り投げた。

 投げたその先は、今し方フェルモに銃口を向けていた者達へ。

 上から降ってくる仲間に押し潰される形で、数名は地面に尻を着く。


 フェルモはその隙に、他の連中へ歩を進めつつ楽しげに狂気に満ちた笑みを浮かべるのだった。



「なんだてめぇら……もっと力ある奴は居ないのか?」




 一方、互いに侮辱し合った二人の男達は刃をぶつけ合っていた。

 セルジョの方は顔や腕、脚に僅かばかり斬り傷がある。

 対してエルモは無傷。


 一瞬見た限りでは、微量な差でエルモが優位かと思いきや、そうではない。

 セルジョは向けられた攻撃をギリギリで避け、時には自身の刃先を突き出すが相手には届かない。

 息も乱れ、その表情はまさに必死。


 しかしエルモの方は全く息を乱さず爛々と、わざと相手が避けられるような攻撃をしている。

 セルジョに対して殺意を向けながらも、エルモは致命傷になるような傷を与えない。


 それは何故か──

 殺さずにミンチにしてやると言っていたが、エルモは相手の皮膚を少しずつ、少しずつ削り落とす気なのだ。



 完全に遊ばれている・・・・・・


 微量な差、ではない。

 膨大な差、それが二人の間にはあった。




 そこで不意に、背後に影が掛かる。

 気が逸れていた事で、オレは背後から近寄る者に気付くのが遅れてしまった。


 後ろへ振り向くと同時に、目前に振り下ろされた鉄パイプ。

 殴られる──そう思った瞬間、横からフェルモの岩のような拳が敵の頬を殴り飛ばす。

 殴られた男は衝撃で同時に歯が何本も抜け、そのまま数メートル吹き飛んでいった。



 フェルモは呆れ顔でオレの方を向く。

 この男も未だ、息の乱れは感じられない。



「ドンを護るのが俺の仕事でもある。けどよ、あんまボーっとしないでくれ。……ああ、ドンのあんたにこんな事を言う日が来るとは……本当に調子が狂う」



 ガシガシと頭を掻きながらフェルモは再び、向かってくるギャング連中に脚を向ける。

 フェルモの攻撃で動けなくなり転がる連中は多数居るが、何分相手は二百人近くと数が多い。

 流石に一人でこの人数相手は大変か──と思ったが、本人は笑っているのだからこの男もまた遊んでいるのかもしれない。




「ん?」



 ふと頬に濡れる感触があり、そこを指で触る。

 何だろうかと指で拭い取ってみて確認すれば、赤黒い液体が指に付着する。


 血だ。


 鉄パイプを持った男をフェルモが殴った際に、その男から出た血が飛び散り、オレの頬に付着したのだろう。


 足元からゾクリと震えた。

 まただ──また、この身体は血に興奮しているのか。

 手を強く握り締め、震えを無理矢理押さえ込み、改めてこの現状の一面を見渡す。


 苦痛に悲鳴を上げる者に、傷を負いながらもまだ立ち上がる者──何故あからさまに力の差が窺えるというのに、こうも皆は暴力を止めないのだろうか。


 しかも何故。何故……そんなにも、楽しそうにしているのだろうか。

 人を傷付け合う事の何に、そんな楽しい事があるというのだ。



 ──『その先に快感が待ってるのさ』──



 ドクン──



「う……っ、な、んだ……」



 突如頭の中に流れ込んで来た声。

 それと同時に激しい頭痛が襲う。

 頭を押さえながら、ふらふらと足元が揺れ僅かに後ろに下がる。



 急に何が起きた……今の声一体はなんだ……



 焦りと頭の痛みで顔を歪ませながらも、視線だけは前に向ける。

 目の前には暴れ回る連中達の姿。


 この光景に、どこからともなく湧き上がってくる懐かしさを感じている自分が居るではないか。頬が引きつる。

 勘弁してくれ。オレはまだ、オレのままで居たいんだ。

 

 頭痛は徐々に引いては来たが、心は焦りが押し寄せる。

 もしかすると本当にオレは、マフィアのドン『チェルソ・プロベンツァーノ』の記憶を引き出すのではないか。


 いやしかし、違うな。身体の感じからして、これは記憶どうこうじゃない。

 もはや心そのもの──魂がまだ、この身体の中には生きてる・・・・



 なんて。そんな事がある訳ない──と思いたかったが、現実はそうもいかないらしい。


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