プール掃除なんて青春じゃないか

 夜の校舎というのは怖いシチュエーションとしてはド定番で、意外と身近に感じる。しかし、高校三年間で実際に夜の校舎に訪れたことのある人間が何人いるだろうか。

「怖いね、真人くん」

「ああ、まったく」

 そして、そのフィクションの舞台を俺と真人は悠々と歩いていた。

「くそ、どうして俺がお前の忘れ物に付き合わされないといけないんだ」

 休み明け提出の課題を学校に忘れてきてしまった俺はちょうど歩いていた真人に同行してもらうことにしたのだった。

「いや、夜の校舎って怖いと思ったんだけど全然怖くなかったんだよ」

 もっと怖いと思って真人に同行をお願いしたのだが、何も怖くなかったのでお互いに微妙な雰囲気で夜の学校を歩いているのが今の状況だ。

「まぁ、課題は無事回収したし、後は家に帰って寝るだけだ」

「課題をしろよ」

「間違えた。後は家に帰って寝て起きて学校に行って、ごっつぁんに土下座するだけだ」

「……土下座を前提に人生を進めるな」

 しかし、なんで忘れてたんだろう。俺はラブコメ主人公には珍しく幽霊だの妖怪だのには強いんだった。

 ドスン……ドスン……。

 その時、どこかから足音がした。それも人間のものでない。やけに重い、まるで獣のような。

「遂に出るのか……おばけ」

「厄介そうだし、反対から帰るか」

 おばけの姿を見たい気持ちもあったが、厄介そうという真人の意見はとにかく賛同できた。多分、関わってもロクなことがない。

 俺と真人は方向を変えて歩き始めたが、謎の足音はこちらに気づいたのか、その速さを増してこちらに向かってきているようだった。

「面倒だな……。一応聞くが、策はあるのか」

「大アリ。これを見ろ」

 俺はポケットからお札を取り出した。こんなこともあろうかと、あらかじめポケットにお札を忍ばせていたのだ。

「一応聞くが、それをどこで手に入れた?」

「スーパーボールと同じ……」

「よし、窓から飛び降りて逃げるぞ!」

「落ち着け! ここは三階だ!」

 窓を開けて飛び降りようとする真人を慌てて止めるが、そうしている間にも謎の足音はこちらに近づいてくる。

「離せっ! 思い出した! どんな魑魅魍魎よりもお前と関わった方がロクな目に合わない!」

「離さない! 俺はお前を離さない! この腕がバキバキに折れようともォォォォォォォォォ⁉︎」

 今の今まで飛び降りようとしていた真人が、突然俺の腕をめちゃくちゃに攻撃し始めた。腕の骨からバキバキと嫌な音が聞こえる。

「痛っってぇぇっ! さっさと落ちろ!」

 真人を思い切り蹴飛ばすが真人は負けじと俺の腕を抱き潰そうとしてくる。

「絶対に離すなよ……」

「今の自分が幽霊より怖いことを自覚しろ……って」

 俺は揉み合っている間に謎の足音が止んでいることに気がついた。

「…………ぉぉ」

 真横に鬼の顔をした大男が立っていた。足跡の正体は間違いなくコイツだ。

「幽霊って……結構ガタイいいんだな」

「……こうやって見ると人間と変わらんな。触れるし」

 一時休戦して、俺と真人は動かない怪物を好き勝手に弄り始めた。

「膝カックンが……通じないッ⁉︎」

「岩殴ってるみたいだな……拳の方が痛ぇ」

 殴って蹴ってくすぐってみても、全く動く気配がない。

「うえーい、おばけ」

 鬼の着ているTシャツに潜り込んで、古き良きシーツおばけを再現しても、鬼は動き出さなかった。

 そうして鬼の体を弄っているうちに、俺はあることに気がついた。

「あれ、この顔……お面だ」

 俺は鬼のお面をゆっくりとめくった。

「…………」



 お面の下には見覚えのある教師の顔があっ

 た。



 俺は素顔にお札を貼って、そっとお面を戻すと、ゆっくりと方向転換した。

「おい、どうした旭」

 俺の異変に気づいたのか、真人が怪訝そうに俺の顔を覗き込んだ。

「……?」

 真人は首を捻りながら、俺と同じように鬼のお面に手をかける。

 その瞬間、俺は全速力でその場から逃げ出した。

「キャァァァァァァァァァァァァァァァ!」

 後ろからの悲鳴が俺の心を締め付けた。いや、締め付けてない。

「ごめん真人! 骨は拾うから安心して地獄に落ちてくれ!」

 それにしても……鬼のお面の下、あれは間違いなく生徒指導兼保健体育担当にしてCクラスの担任教師、剛力武ことごっつぁんだった。

「な、なんでこんな時間にごっつぁんが!」

 息を荒げながら階段を駆け下りる。追ってくる気配はない。

 そのまま、なんとか生徒玄関までたどり着いた。しかし、そこで大きな障害が立ち塞がった。

 鬼……もとい、ごっつぁんが俺よりも早く玄関で待ち伏せしていたのだ。足下では真人が静かに横たわっている。これはチャンスだ。ごっつぁんがここで突っ立ている間に他の入り口から脱出してしまえばいいんだ。相手がごっつぁんである以上、油断はできないが、慎重に、かつ迅速に行動すれば失敗起きない。

「よっしゃあ行くぜぇぇぇぇぇぇぇすいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァァ!」

 俺は床に思い切り頭を叩きつけて土下座をした。予定より少し早い土下座だった。

 ここで言い訳をさせてほしい。たしかに、気合のあまり叫んでしまったことは失敗だ。あのごっつぁんを出し抜けると思ったらつい楽しくなってきたんだ。でも、土下座の速さは見事なものだと自分でも惚れ惚れする。形、速さ、強さ、誠意。どれをとっても超一級、どこに出しても恥ずかしくないものだ。

 思うんだけど、人の悪いところばかり見ていてはダメだよね。良いところを褒めて伸ばす。もうそういう時代になってきてる。

「遺言は」

 聞き覚えのある声が近くから聞こえた。俺の聞き間違いじゃなければ『遺言は』と言った。つまり、俺はこれから……。



「――――おっぱい」



 ………………

 …………

 ……



「いやぁ……悪夢だな」

 結局、俺と真人は半殺しにされたあと、なぜかプール掃除をさせられることになった。課題は五倍に増やされた。

「元はと言えばお前のせいだ。お前が忘れ物なんぞしなければ……」

「まぁまぁ……そう言わんと。それにしてもこの学校、水泳の授業なんてしてなかったはずだけど」

「知らん。さっさと終わらせて帰る」

 真人はかなりご立腹のようだ。そりゃそうだよな……こんだけ暑けりゃ機嫌も悪くなるよな。よし、今度何か奢ってやろう。

「やあやあやあ! 困っているようだねお二人さん!」

 突然聞こえたやけに元気な声に振り返ると、プールサイドで妙なポーズを取っている三人組がいた。

「青春を彩る熱い魂、真壁純!」

「もうドジっ子とは言わせない、塚原真琴!」

「一途な想いが地球を包む、相星小町!」

「「「三人合わせて! キュ帝スーーかっティ神アれ!」」」

「三人とも別々のこと言うから何言ってるか分からない……」

 思わずつっこんでしまったが、三人は納得が行かなかったのか言い争っている。

「打ち合わせをしたはずだが! チーム名は『治外帝国宝剣神』だ!」

「ドジしてんじゃねぇぞ! チーム名は『スーパーかっこいい俺』だったろ!」

「それは論外だって言いましたよね⁉︎  最終的なチーム名は『キュートビューティー後輩』だったの忘れたんですか!」

 今この三人に関わると疲労が五倍くらいになる。直感がそう言っていたので、俺は三人に触れることなく掃除を再開した。真人も三人には触れない。

「だーかーらー……って! 先輩! 助っ人が来たっていうのに、なに無視して掃除してるんですか!」

「え……? あ、もしかして手伝いに来てくれたの? てっきり邪魔しに来たのかと」

「邪魔なんてするわけないじゃないですか! ねっ、お二人とも」

「いや、それなりに邪魔したいとは思っているが……」

「オレは邪魔なんてしなっ! うわっ!」

 プールに落ちたつかちゃんを見て、小町は気まずそうに後頭部をさすった。



「ええっと、その…………えへっ!」



「えへっ! じゃねぇ! さっさと帰れ! お前らがいると絶対に長引くし、五倍くらい疲れるのが目に見えてるんだよ!」

「五倍で済めばいいがな」

 そもそもプール掃除ってもっと大勢でするもんだろ! すごい今更だけど! 本当は猫の手も借りたいけど、こいつらの手だけは借りたくない! まだ猫の手の方が借りたい!

「可愛い後輩にそんな態度取っていいんですか! 絶対に後悔しますよ! 後悔してからでも遅くないですけど、後悔する手間が生まれますよ!」

「というか、お前はなんでいるんだよ」

 純とつかちゃんにはプール掃除のことを話したが、小町には話していない。だいたい、プール掃除をしろと言われたのが今日だというのに、学年の違う小町にこうも早く伝わるものなのか。

「ああ、それは校門で旭を待っているらしき相星ちゃんがいたから……」

「わぁー! わぁわぁわぁ! 何言ってるんですか! たまたま話してるの聞いたからからかいに来ただけですよ! それに私がいないと寂しくて先輩が辛いかなと思って!」

 旭の口を押さえて何やら慌てている。やっぱり、手伝いに来てくれたわけじゃないのか……。

「ならもう充分だろ。ほら、用のない人間は帰った帰った」

 しかし、小町たちは帰ろうとしないどころかワイシャツの袖をまくってプールの中に降りてきた。

「そう言ってられるのも今のうちだけです。花嫁修行ばっちりな私の掃除スキル見せてあげます」

「花嫁の掃除スキルにプールを掃除するスキルはないだろ」

 純もつかちゃんもなんだかんだデッキブラシを持って掃除をし始めたので、それ以上は何も言わなかった。






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