月明かりに照らされて

 小町は底なし落とし穴の公園にいた。

 迎えを待つ子供のように、砂場の端にちょこんと座って砂を突いていた。

「おーい、こま……」

 そこである考えがよぎる。

 小町が座っているのは砂場の奥。

 つまり、今ここで「おーい小町!」「あ、センパイ!」などとなろうものなら、落とし穴の事など知らないであろう小町はあの深い落とし穴にズドーン、そして小町を助けようとした俺もなんやかんやズドーン。こうなるに決まっている。

 だから。

「小町! 俺は学校終わりの疲れ果てた体を酷使して、お前を探し回って、今! ようやくお前を見つけた! だから、そこを絶対に動くな! 俺がお前の側に行くまで気付かないフリをするんだ!」

 動くなと言われれば数秒、少なくとも言葉の意図を考える時間くらいは動かないでいてくれるはずだ。

 その隙に小町の隣へ回り込むッ!

「センパーイっ! やっぱり来てくれたんですね! 信じてましたよ私は!」

 完璧なスタートで小町は俺の方へ、獲物を見つけた肉食獣のようにすっ飛んだ。

 ああダメだ、この子、何も考えてないよ! こうなったら小町を見捨てて見つけられなかったことに……。

「泣いてる女の子を見捨てるなんて、センパイにできるわけないですよね!」

 公園から出ようか迷っていた俺の目の前に落とし穴に落ちるはずだった小町が走ってきた。

「え? お前なんでいるの?」

「ひどいですっ! 普通に泣いちゃうんですが!」

「い、いや、すまん……でも」

 俺は小町が通ってきた砂場の上を見た。しかし、特におかしなところはない。

「まぁ、いつも落とし穴があるとは限らないからな……」

 気を抜いて俺が砂場を足を踏み入れると。

「グブァァァァァァァァ!」

「センパイっ⁉︎」

 思い切り落とし穴に落ちた。落とし穴に落とされた。騙された。欺かれた。詐欺られた。

「ふっ、大丈夫だよ。俺はお前の先輩だからな……この程度、計算済みだよ。落とし穴があるのは分かっていたけど、敢えて落ちることにしたんだ。だって、誰も落ちなかったら落とし穴を作った人間の努力が無駄になってしまうじゃないか」

「もういいですよ! 落とし穴に落ちたことよりもすごくかっこ悪いですから、早く言い訳をやめて出てきてください!」

 小町が上から俺の頭を引っ張る。

「痛い痛い。小町ちゃん? その持ち上げ方ではどうやっても無理だよね? 分かる? 今すごい痛いよ。掴まれてる頭が痛いよ」

「これくらい我慢してください……先輩が穴に落ちたのが悪いんですよ……!」

「いや、どう考えても悪いの落とし穴掘った人だよね? 俺じゃないよね? なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ?」

 果てしない疑問を抱きつつも、なんやかんやで穴から抜け出した俺は、小町とブランコに座った。

「センパイ、私のこと追いかけてきてくれたんですね……」

「つかちゃんにぶん殴られたからな。まぁ、この公園にいるだろうなっていうのはすぐに見当がついたんだけど、こうなるのが分かってたから、ここを後回しにしてたんだ」

「危険なのが分かってるのに、私を追ってきてくれるなんて……」

「危険っていうほどの危険でもないからな。強いて言うなら制服がすごく汚れるくらいだな。つまり、クリーニング代ください」

「センパイは……私のこと、『女の子』として見てくれてますか……?」

「見てるよ。だって女の子じゃん。ツインテールじゃん。あと、ここまで一切描写されてないけど、結構胸も大き」

「ああっもうっ! ムードを考えてくださいよ! ムードを! あと、今のセクハラですよ!」

 ブランコから立ち上がって、俺の顔を指差す小町。あまりに動きの一つ一つにキレがあるので、いちいちスカートとツインテールがふわっと揺れる。

 思春期男子の目線を困らせるのはやめてほしい。

「ムードか……あ、そうだ。こういうのはどうだ?」



「センパイ(キーコー)。私のこと、どう思って(ガッチャン)ますか……?」

「うーん。そうだな……(ブンっ)好きか嫌いかでいえば(ガコン)好きだな。嘘だけど」

「実は私……センパイに言いたいことが(キィー)ってうるさいっ!」

 ブランコから飛び降りた小町は、なぜか怒っていた。

「何が『ブランコ漕ぎながらだとムードが出るんじゃないか?』ですか! うるさいですよ! それに、肝心の内容が嘘ってどういうことですか! しかも、好きか嫌いかで嫌いになっちゃうって私、もしかして結構、好感度低いんですか⁉︎」

「逆に高いと思ったのかッ⁉︎」

「ええっ⁉︎」

 ここだけの話、中学の時に小町の写真を五寸釘で藁人形に打ち込もうとして、自分の指を打ったという過去があったりなかったりする。

「うぅ……ひどいです……」

「これに懲りたら、二度と面白半分で人をからかわないことだな」

 涙の理由は分からなかったが、元気にはなったみたいなのでよかった。

「暗くなってきたから気をつけて帰れよ」

 西の空がまだ少し明るい。こんな時間まで外にいるなんて思わなかったな。

「センパイ。こういう時は女の子を家まで送っていくものですよ?」

「コウハイ。俺はお前のことを女の子とは思っていない。だから家までお前を送っていくものではない」

「さっきは女の子として見てるって言ってたじゃないですかっ!」

 すごい勢いで突っかかってくる小町にヘトヘトの体が悲鳴を上げる。

「だー! 分かったよ! 送っていくから! どうして小町ちゃんはそんなに元気なの!」

 こうして小町を家まで送っていくことになったのだが、冷静に考えると若い男女が一緒に歩いて帰っているというのは、なんというか……その……。

「ふふひ……」

 急に、隣を歩いていた小町がニヤニヤし始めた。

「どしたの」

「いえ……なんだかこうしていると恋人みたいだなと思って」

 自分で思うのもおかしだが、心底幸せな顔をしていた。いや、本当に幸せそうだ。なんだこの生き物。

「……あのなぁ、小町」

 俺は立ち止まって、ずっと言おうか迷っていたことを口にした。

「俺をからかうのはよせ。もう俺は中学の時みたいにはドキドキしない」

 絶対団やつらがいる限りは……。まぁ、ある意味ドキドキするけど……。

「それに……一応、その……お前は俺にとって大事な後輩だからな……あんまり勘違いとか……したくないんだよ。好きだ嫌いだとか」

 実際、小町が俺のことを好きだなんて、これっぽっちも思ってはいないが、俺の中ではつかちゃんも小町も大切な友達に他ならない。

 だから、色恋であんまり今の関係を壊したくはない。

 もし、恋愛で今の関係を壊さない方法があるとするなら、俺がつかちゃんと小町、二人と付き合うしかないわけだが……。

「ふふっ、大丈夫ですよ」

 月明かりの下で、小町は笑顔でくるくると回った。



「――先輩に勘違いなんてさせませんから」



「ドキッ」

 あ、やばい。始まっちゃうよ、恋始まっちゃうよ。簡単に始まっちゃうよ。

「ではでは、私の家すぐそこなので。送ってくれてありがとうございましたっ!」

 そう言うと、小町は走って行ってしまった。

「はぁ……だからなんで、その笑顔を俺に見せるんだよ……」

 乙宮にしても小町にしても、本当に女子というのは残酷な生き物だ。

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