勉強会
とあるマンションの一室。そこに集まった五人の少年少女たちは、昼間から部屋にこもり、黙々と、持参したノートに怪しい呪文を書いていた。まるで何かに取り憑かれたように書き続けるその姿は、見ているものの背筋に冷たいものを……。
「ちょっと……さっきから一人で何変なこと言ってんのよ」
「え、いや、問題が解けなくなったから、ちょっとナレーションを」
「どれが解けないの?」
どれどれと、由乃が俺のノートと教科書を覗き込む。その時、由乃の髪からいい匂いがしたが、なんの匂いかは分からない。
「これはね、ここを……」
「ああ、なるほどなるほど。じゃあ、こっちはただの応用か」
由乃の説明はすごく的確で分かりやすかった。案外、由乃は先生に向いているのかもしれない。あの戦闘力があれば生徒に舐められないだろううし。
「そう応用……って間違えてるわよ」
「えっ! どこが!」
「だーから、ここを……」
「あああああああああああああああああ!」
突然、純が大声で叫んだ。みんなが驚いて純の方を見ると、なぜか鼻息を荒くして怒りを露わにした。
「なんで普通に勉強会してるんだ! みんなすごく真面目に勉強するじゃないか! びっくりしたよ! びっくりしすぎて……びっくりしたよ!」
気持ちが昂りすぎたのか、純から語彙力が失われようとしていた。よく見れば、純のノートには見事なまでに何も書かれていなかった。
「いやだって勉強会だし……」
「勉強会とは名ばかりの勉強道具持参お菓子パーティーじゃなかったのか旭!」
「まあ……そうならないときもあるよね!」
「なんっだそれ!」
純は新品同様のノートを思い切り床に叩きつけた。ビタンッ! と気持ちのいい音が部屋に響く。
「真壁、旭の邪魔をしてやるな。こいつは頭が悪い」
真人はペンの動きを止めずに言った。今日はメガネを着けている。
「は? 真人、お前今、俺の頭が悪いって言ったか? お? お前マジ、お?」
俺は真人を睨みつけたが、真人は全く気にした様子を見せずにペンを動かし続けた。
「ああ、たしかにそう言った。あと、吐き気がするからその汚い顔を俺に近づけてくるな」
プッチーン。
怒ったよ、俺はもう怒ったよ。
「決着つけたらぁッ!」
「望むところだ」
そう言って俺と真人はペンの動きを加速させた。
「なぜ⁉︎」
静かになろうとしたところで、また純が声を上げる。今日の純は気合いが入っている。
「今のは完全に喧嘩する流れじゃないか! どうして勉強を再開するんだ!」
「いやだって、今の時期にする勝負って言ったらテストの点数勝負しかないだろ」
真人も無言で頷く。大体、俺は頭が悪いと言われたんだから、テストでその発言を覆させるのは当然というものだ。
「それに点数勝負で、俺が旭に負けることはないだろうからな」
「……まあ、たしかに。一年の頃の俺は下から順位を数えた方が早かったけど……」
「確実にな」
「この野郎!」
俺はペンを持つ手をさらに加速させた。
「だからなぜ⁉︎」
「ちょっとうるさいわよ真壁。春香を見なさい」
乙宮は純の声には少しも反応せず、ひたすらペンを動かしていた。
「さすがは学年三位。集中力が違う」
掲示板に張り出された成績上位者の中に乙宮の名前があった時は、驚いたのと同時に元々遠かった乙宮がさらに遠くに感じたのを覚えている。
「せっかくお菓子を買い込んできたのに……」
「来た時から気になってたけど、さすがに買いすぎでしょ」
純の傍にはお菓子が入った袋が大量に並んでいた。一体、何日勉強会をするつもりだったんだ。
「それにしても親の都合で一人暮らしって寂しくないの?」
由乃は部屋を見渡して言った。
勉強会をするとなった時に、当然、場所が必要になったわけだが「僕の家にしよう」という純の提案があったので、勉強会は純の住んでいるマンションの一室で行われることになった。
ここに来た俺と真人はまず、礼儀としてエッチな本を探したが一冊も出てこなかった。そのかわり、大量の漫画が本棚にずらりと並べられていた。
「寂しいと思ったことはないな。それに平日はあの人が……じゃなかった。とにかく、電話で連絡は取っているし、寂しくはないな」
気付くとペンを動かす手が止まっていた。勉強会を始めて、約二時間ぼちぼち集中力が切れてきた。
「そろそろ休憩にする?」
俺が尋ねると、由乃もペンを動かすをやめた。
「そうね、そろそろ休憩にしよっか」
ここまで休みなく手を動かしていた乙宮もようやくペンを止めた。あまりに早かったからか、ペン先から焦げ臭い匂いがする。
「お菓子タイムだ!」
「お前は全く勉強してないけどな」
目をキラキラと輝かせる純は、机の上にあった何も書かれていないノートを無造作に放り投げた。
「どんだけ勉強したくないのアンタ……」
そう言いながら、由乃と乙宮はカバンから何かを取り出した。
「ん、何それ」
「お菓子、春香がいるかもって」
「お菓子の話してたから……」
ラッピングされた袋を開けると、由乃の方にはクッキー、乙宮の方にはチョコレートが入っていた。
「うわ、すごい美味そう。食べていい?」
「いいわよ」
乙宮もコクリと頷いた。それじゃあさっそく……。
「僕は二つ同時に行くぞ……」
俺と純が伸ばした手は、しかしいつまで経っても、菓子へは辿り着かなかった。理由は簡単。真人が俺と純の腕を掴んで止めていたからだ。
「待て。二人とも、これは手作りか?」
真人の質問に、由乃は顔の前で左右に手を振って言った。
「ないない、アンタらに手作りなんて手間かけるわけないでしょ」
そうか……と神妙な顔をする真人の手を、俺は振りほどこうとしたが俺の腕はビクともしなかった。し、真人のやつ! なんて力だ!
仕方がないので、俺は腕を掴まれたまま、真人に言った。
「そんなの別にどっちだっていいじゃないか! 二人に失礼だぞ!」
「そうだそうだ! 僕はお菓子さえ食べられればなんだっていいぞ!」
「……お前ら、ちょっとこっち来い」
なぜか深刻な顔をしている真人に、俺と純は部屋の外へ連れ出される。
「急にどうしたんだ真人」
真人は俺たちの顔を見ると大きなため息を吐いた。
「お前ら、少しは警戒しろ……」
純と俺は真人の言葉の意味が分からず、顔を見合わせた。それを見た真人はもう一度、大きなため息を吐いた。
「お前ら、もしあれが手作りだったら死んでたかもしれないんだぞ」
さっきから真人の言っていることが本当に分からない。手作りだったら死んでただって?
「どういうことだよ。説明してくれ」
「……料理下手キャラだよ」
「え?」
「おそらく、二人のうち、どちらかは料理が壊滅的に下手だ。人の命を奪えるほどにな」
その時、なぜか俺と純は二人揃って息を呑んだ。ま、まさか……。
「いいか、これから女子の食べ物は全て警戒しろ。主に手作りだ。市販のものでも明らかに怪しいときは口にするな。命が惜しければな」
一瞬、冗談かとも思ったが、真人の表情は今までにないほど真剣で、額に汗まで浮かべていた。
「りょ、料理下手って……そんなにひどいのか?」
その質問に真人は鬼気迫った表情で、純の胸ぐらを掴んだ。
「やつらはっ……カレーに」
そこで真人は心底嫌そうな顔をした。
「――セミの抜け殻を入れる」
「セミの抜け殻……」
「それだけじゃない。硫酸、ミネラルウォーターに硫酸を混ぜる! そして、部活終わりで喉が渇いている俺に平然とした顔で渡してくるんだ……」
「実体験⁉︎」
そ、そんな……なんてむごいことを……。
「一番許せないのは……パイナップルの中に……酢豚を……」
「うわああああああああああああああ⁉︎」
悪夢だ……悪夢すぎる……酢豚にパイナップルを一切れ入れただけでも争いが起きる世界だというのに、パイナップルの中に……酢豚なんて……。
「そういうことだ……次からは気をつけろ……俺もあまりいい気分にはならないからな……」
真人の過去にはあまり触れないでおこうと思った。
「何してたの? 男三人で」
由乃のもっともな疑問に俺は「ちょっとね」と軽く返事をした。由乃は納得のいっていない様子だったが、深くは聞いてこなかった。
「じゃあまずはクッキーの方からいただこうかな」
純はクッキーを一つ、口の中に放り込んだ。手作りではないと分かっているとはいえ、さっきの話を聞いてよく躊躇なく食べられるもんだ。
「っっむぐぅ!」
感心していると、純が突然、苦しそうに喉を押さえた。これは……。
「ま、まさかっ!」
「ちっ! 買った店が法外すぎたパターンか!」
「そんなパターンもあるのか⁉︎」
俺と真人が恐怖で慌てていると、純が苦しそうに閉じていた口を開いた。
「からあああああああああああああああああああああああい!」
「え?」
辛い……?
「っぷはははははははははは! すごい、一発で引いたわこいつ!」
笑っていたのはお菓子を用意した張本人である由乃だった。由乃はよほど面白いのか、笑いが中々おさまらず、諦めて笑い混じりに説明し始めた。
「くくく……それ、ロシアンクッキーってやつで、一七個入ってる中に一個だけすごく辛いのが入ってるの。それを……真壁ったら……真壁ったら……一つ目で……アッハハハハハハハハハハ! ダメ、やっぱり面白い!」
ツボに入ったのか笑い転げる由乃だが、俺と真人は心から安心していた。
「せ、セーフか……」
「ああ、危なかった……やはり料理というのは恐ろしい……」
しかし、セーフとは言ってもあの苦しみ方からして、純はかなり辛いものを食べたはずだ。
「純、水か何か……」
水分が必要だろう、そう思ったが純はさっきまでの辛さを忘れているかのように、口をポカンと開けたまま、ある一点を見つめていた。
純の視線の先には、今もなお笑い転げている由乃がいた。
「ええっと、純。由乃はああいう人なんだ、だからそんなに怒らずに……」
「素敵だ……」
「そう、素敵なんだよ……だからなんとかって、え⁉︎」
聞き間違いだろうか。純の口から素敵と聞こえた気が……。
ああ、でも乙宮が「おおーそれそれ」って感じで拍手してるから、多分そう言ったんだな……。
「純、お前、そりゃあ茨の道……」
「由乃! 僕とお付き合いをんむぅぅぅ⁉︎」
危うく、告白をしそうになった純を真人と二人掛かりで抑える。由乃はまだ笑い転げていた。
「や、やめろ純……! 由乃は自分より弱い男からの告白は受け付けない! 由乃に男の噂がない理由だ……!」
それでも、告白する猛者はいるが、文字通りボロボロになって帰ってくる。それでも、さらに由乃のことを好きになったと言わせるのだから、由乃の魅力は恐ろしい。
男女の噂に敏感なCクラスの男連中でさえ、由乃に告白した人間にだけは強めの殴打で済ませているくらいだ。今日のこともやつらのバレればどうなるか分かったものじゃない。
「っはは……笑った笑った……それで、私と付き合いたいって?」
聞いていた……。腹を抱えて笑い転げていたのに……隙がない……。
「そ、そうなんだ! いや、自分でもいきなり過ぎるとは思うが……」
本当にそうだよ。いくらなんでも急だ。それに純の戦闘力が由乃の戦闘力を超えているとは、到底思えない。
「うーん、そうね……」
そう言うと、由乃は純の顔の前まで手を伸ばした。ああ、これは気絶コースだ……。
「ほら」
「いたッ!」
すっかり、純をブン殴ると思っていた俺は、由乃のしたデコピンという行為に驚いた。
「そんな急だと、女の子は驚いちゃうから他の人には絶対にしちゃダメ。それに本当に好きか、きっと自分でも分かってないわよ」
由乃はふわっと、それでいて小悪魔的な、大人びた笑顔で言った。
「私より強くなって出直して来なさい」
これには純だけでなく俺もドキドキした。や、やばい……やばいよ……俺も勢いで告白するところだったよ。ていうか乙女になりそうだったよ……!
「ははは………はぅぁ……」
純は由乃の言葉に力無く倒れた……と思ったら、額が赤く腫れていた。ちょうど、由乃がデコピンをしたところだ。
「あ、はははは……ごめん、かなり抑えたんだけど……」
申し訳なそうに謝る由乃の声が、純に届くことはなかった。
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