中間テスト
「では、試験前に焦らなくていいよう、コツコツと勉強するように」
帰りのホームルームが終わり、教室が一気に騒がしくなる。
中間テストが近いので、普段、勉強道具を持って帰らないクラスメイトもカバンをパンパンにしている。俺も少しくらい持って帰ろうかな。
「純、お前なんか持ってか……って純⁉︎」
俺は驚きのあまり声を出してしまう。
純はなぜか、涙を流しながら天を仰いでいた。涙を光が照らしてキラキラと輝いている。
「お、おい……純? どうしたんだ一体?」
天を仰いだまま、薄っすらと、独り言のように純は呟いた。
「……僕は勉強がしたくない」
「え?」
「僕は勉強がしたくないっ!」
今度は血が出るほど唇を噛み締め、力強く机を叩きつけた。そういえば、自己紹介の時も勉強が嫌いだって言ってたな。
「高校生なんだから、もっと他にすることがあるだろう! バンド始めたり、シンクロしたり、南極行ったり! ダンスとか恋愛とか! ス! ポーツとか!」
「どんだけ勉強したくないのこの子」
よく見れば純のカバンの中には、教科書類が何一つ入っていなかった。というか完全に空だった。
「そういう旭はどうなんだ。勉強したいのか」
考えるまでもなかった。学生の本分は勉強。勉強に比べれば他のことなんてどうでもいい。
「したいに決まってるだろ! 純! 目を覚ませ! 高校生なんて勉強してなんぼだろ!」
「目を覚ますのは貴様だああああああっ!」
「ぐへっ!」
純の熱い拳が俺の頰に直撃する。
「勉強勉強、勉強勉強勉強! 学生の本分は勉強か⁉︎」
まるで大統領演説のごとく、身振り手振りを使って熱く語る。ここまで真っ向から勉強が嫌いと宣言する高校生もそういない。
「そうだよ⁉︎ 夜の次が朝、朝の次が昼ってことと同じくらいそうだよ⁉︎」
「夜の次がもう一度夜かもしれないじゃないか!」
「それはもう一度とは言わないんだよ!」
「生きることは人間を知ること! つまり良好な人間関係を築くことこそが学生の……」
そこで、純は突然、喋るのをやめて、何かを考えているような表情をした。泣いたり怒ったり、考え込んだり、忙しいな……。
「旭、僕は天才かもしれない……」
「え?」
言葉の意味が分からず、すぐに聞き返してしまう。
純は顔をパッと輝かせると、今日一番の声量で考えていたことを口にした。
「勉強会をしよう!」
今にも小躍りを始めそうなほど喜んでいる純に、俺は苦言を呈した。
「勉強会ィィ? よせよ純。その先は地獄だぞ」
そう、高校生における勉強会。それは勉強会とは名ばかりの勉強道具持参お菓子パーティーのことである。机の上に広げられた教科書類は五分と経たず、休憩と称して永久追放され、テスト期間という、体に纏わりついてくる罪悪感のようなものから解放されるためだけに利用される。
本人たちもそうなるのが分かっているので、勉強会などという自殺行為は絶対に行わない。しかし、それでも集まってしまったなら、もう止めることはできない。時間はあっという間に、楽しく浪費されてしまうのである。
「だから、悪いこと言わないから勉強会なんてやめとけって」
「旭……」
「な、なんだよ……」
純はキョロキョロと周りを確認すると、俺一人にしか聞こえないように声を潜めて言った。
「乙宮さんも呼ぼう」
「さあ勉強道具は持ったかッ! 気合い入れていくぞォ!」
思っていたよりも自分は単純な人間だったらしい。さっきの説明はなかったことにしてくれ。
しかし、乙宮来てくれるかなぁ。あんまりこういうワイワイするの好きじゃなさそうだけど……。
「さすが旭。じゃあ僕は真人とワンコとつかちゃんを誘うから、旭は乙宮さんと由乃を誘っておいてくれ」
それじゃあまた、とさっさと教室を出て行こうとする純をすんでのところで捕まえる。
「ま、待てよ……純くん……それ役割逆じゃないかな?」
「逆なものか。乙宮さんを誘えるのは旭しかいない!」
「その手には乗らないぞ……純が勉強会やりたいって言い出したんだから、責任を持って純が誘えよ」
「旭こそ、乙宮さんと友達になったんだろう? なら、簡単に誘えるじゃないか」
くっ! なんてことを言うんだ……! 簡単だって? 乙宮を誘うのが簡単だって?
「バカ野郎ッ! 友達だからって簡単に会話ができると思うなよ⁉︎」
「できないのか⁉︎」
話すどころか毎日の「おはよう」さえ言えない! 友達ってのはなんて切ない関係なんだ……ちくしょう……。
俺はその場に力無く崩れ落ちた。
「そうか……じゃあ乙宮さんは由乃の方から誘っておいてもら……」
「私がどうかしたの?」
心臓が大きく脈打ったのが分かった。その透き通った声だけでも、簡単に誰か分かる。
顔を上げると、予想通り、Cクラスの委員長、乙宮春香が相変わらずの無表情で立っていた。
「あ、旭……」
純はなぜか声が震えており、顔中に尋常じゃない量の汗をかいていた。それだけじゃない。みるみる顔色が悪くなっていく。
「す、すまないが僕は用事を思い出したので帰るよ!」
俺が声を掛ける暇もなく、純は慌てた様子で、机やドアに体をぶつけながら教室を飛び出していった。な、なんなんだ……。
「あ……」
純が帰ったことで、さっきの乙宮の質問に俺が答えなくてはならなくなった。
乙宮は純の突然の行動に、少しの間、ドアの方を不思議そうに眺めていたが、こちらに向き直って、質問の答えを待つように黙って俺を見つめた。
「あ、あのさ。テスト前に勉強会することにしたんだ。それで乙宮も誘おうって話をしてたんだ」
「そう。行くわ」
「やっぱりそうだよな……乙宮、成績良いし、勉強会なんかしなくたって十分だよな……。ごめん、こんな誘いして」
やっぱりダメかぁ。予想はしてたけど、まさか、即答とは思わなかった……。しかし仕方ない。俺も最初は勉強会に反対だったんだから。浅沼さ……じゃなかった。由乃も誘おう。
「待って」
「え?」
乙宮に制服の袖を引っ張られる。な、なんだ? やっぱり、勉強会に参加したいとか? いや、真面目な乙宮のことだから、勉強会より一人で勉強した方が捗るとかか?
「ツッコミは?」
アイドルが排泄をしないことと同じように、忍者が魔法を使わないことと同じように、乙宮の口から「ツッコミ」という言葉が出ないものと思い込んでいた俺は、突如として交わった理想と現実に、打ち上げ数日本一の諏訪湖祭湖上花火大会を彷彿とさせる量の花火を、頭の中で打ち上げていた。
「ええっと……え?」
俺は季節外れの花火大会をすぐに中止にすると、バランスを取るために、普段、俺が想像している乙宮を思い浮かべた。
『天界へ行かれるのですか〜?』
まずい、昇天させられる。
違う! 普段の俺のイメージは……
『アッッッアアンッ⁉︎』
なんだこれ⁉︎ 髪の毛がワックスで固めたみたいに逆立ってるし、なんかオーラ的な何かをまとってるし! もはや誰だよ!
「ノリツッコミじゃないの?」
あれ、ここはどこだ……。
何も無い、どこを見ても真っ白な場所。
「HEYっ!」
振り返ると、そこには俺の二倍近い肩幅を持ったモヒカンマッチョが、プロテインの袋を持って立っていた。全裸で。
モヒカンマッチョは歩いて俺の目の前まで来ると笑顔を見せた。全裸で。
「ははは……」
その笑顔を見ているとなんだか俺も嬉しくなって、笑った。全裸で。
「シッカリセイヨオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいああああああああああああっ⁉︎」
ぶん殴られた。
何度でも言う。ぶん殴られた。
全裸で!
「はっ! ここは?」
周りを見るが、どう見てもCクラスの教室だった。少なくとも、一面真っ白ではない。
何より目の前に乙宮がいた。
「良かった……ちゃんと可愛い……」
「…………え」
「それに、マッチョじゃないし、モヒカンじゃないし、何より全裸じゃない」
「……何言ってるの?」
良かった良かった。これで解決……
「じゃなかった。なんでノリツッコミ?」
聞いてから、自分が先ほどまでのパニックから抜け出していることに気付いた。それどころか、さっきまでの自分の焦りように疑問を抱くくらいだ。
「私は行くって言ったのに、断った感じで話を進めるから、ノリツッコミなのかなって思って」
それを聞いて俺は驚いた。え? ええ……と。
「
記憶を辿って会話を再現する……。少し前の会話少し前の会話……。
『HEYっ!』
「違う!」
思い出したくもないよ!
くっ……それよりも前……前……。
『乙宮ー! 好きだー!』
「いやそれ八話! ていうか恥ずかしいよ!」
もっと前もっと前……。きた、絶対ここだ!
『これは今より数億年も前、大空を竜が支配しとった頃の話じゃ』
「いやどこ⁉︎」
違う……しっかりと記憶を辿れ……さっきの乙宮との会話……。
『あ、あのさ。テスト前に勉強会することにしたんだ。それで乙宮も誘おうって話をしてたんだ』
『そう。行くわ』
即答! まさかの即答だった! 俺はてっきり即答で断られたとばっかり……。
「じゃあ勉強会来てくれるの?」
乙宮はコクリと頷いた。
「本当に?」
「本当に」
「マジ?」
「マジ」
「やった! ありがとう乙宮! これで勉強が捗るよ!」
俺は嬉しさのあまり、乙宮の手を強く握ってブンブンと上下に振った。
「ちょっ……」
「生きてれば良いことってあるもんだなあ!」
見るもの全てが美しく見える。ああ世界って美しい……。
「――離せ」
近くから声がした。
低くてドスの効いた声だ。
その声を聞いた瞬間、なぜか汗が噴き出し、膝が笑い出した。まるで、さっきの純みたいだ。
「あ、ごめん! 手を……」
冷静になった俺は、自分が乙宮の手を握っていたことに気が付いて、慌てて手を離した。
しかし、その乙宮からの反応がない。怒らせてしまったのだろうか……?
俺は乙宮に謝ろうとしたが、そこで異変に気付く。
「乙宮……髪が……」
乙宮の髪が、フワフワと重力に逆らって、独りでに逆立っている。それだけじゃない。全身に薄くオーラのようなものを纏っている。
「これは一体――」
☆
まず、最初に感じたのは温もりだった。
徐々に意識が覚醒するにつれて、温もりの正体が涙であることに気付いた。
泣いていたのは俺より先に帰ったはずの純だった。
「何泣いてんだ……」
純は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、途切れ途切れに言った。
「すまない……すまない……僕が旭を見捨てるようなことをしたばかりに……」
純がなぜ泣いているのか、なぜ謝っているのかは分からないが、とにかく俺は今伝えるべきことを伝える。
「乙宮、来てくれるってさ」
「え?」
「だから、乙宮来てくれるって!」
純は一瞬、ポカンとした表情をしたが、すぐに俺と同じように全力で喜んだ。
「やったやったっ!」
その後、俺たちの喜びの声を聞いたごっつぁんに軽く怒られたが、帰り道の風は今までで一番気持ちよかった。
そういえば、俺なんで教室で寝てたんだ?
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