金髪ヤンキー

「なんて顔してんだ」

 朝、教室に入るなり、真人に失礼なことを言われる。

「たしかにだらしないな」

 真人だけならともかく、ワンコまで。顔は洗ってきたぞ。

「二人とも朝からひどいなぁ」

「ひどいのはお前の顔だ。なんだ、その伸びきった鼻の下は」

「ええ?」

 自分で触ってみると、たしかに鼻の下が通常の三倍くらいに伸びていた。

「アッヒェッヒェッヒェッ! なんだこれ! 変なの!」

「お前の顔だろ!」

 大笑いしていると、教室のドアが勢いよく開かれた。ドアの前に立っていたのは、朝っぱらから息を切らし、大汗をかいている純だった。

「た、大変だ……ってだらしなっ!」

 純は俺の顔を見るなり、目を見開き、大声を出して驚いた。みんな、いちいち大袈裟だなぁ。いくらなんでもそこまでじゃな……。

「ブッヒャッヒャッヒャ! なんだこれ!」

「だから、お前の顔だろ! こっちまで気が抜けるからもう喋んな!」

 さすがにこのままでは、締まりが悪いのでなんとか鼻の下を元の長さに戻そうとするが、どう顔を動かしても中々元には戻らない。

「旭はともかく、真壁の方はどうしたんだ?」

「あ、そうだ。大変なんだ! このクラスに金髪の少年が向かってきているんだ!」

 純は焦った様子でドアを閉めると、その場にしゃがみ込んで震え出した。

「あ、あれはヤンキー……というものだろう……? 漫画で見たことがある……。彼らの機嫌を損ねたが最後、人気のない倉庫に連れて行かれ、大人数に千切られては投げられ、千切られては投げられするんだろう?」

 ああ、恐ろしい……、と純は震えながら言った。

「ああぁ! 怖いよぉぉぉぉぉぉ!」

 高校生とは思えないほど怖がり始めた純だが、この教室で、その金髪を怖がっているのは純だけだった。

「お、そういえば今日からだったか。あいつ」

「随分と久しぶりな気がするな」

「へ? みんな、あの金髪少年のことを知っているのか……?」

 純の質問に答える前に、廊下から足音が聴こえてきた。足音に純は肩をビクつかせる。

「き、来た! このリズム、廊下を歩く音、間違いなくさっきの金髪少年だ!」

 より一層、震えを大きくする純をよそに、純の言う金髪少年の足音が突然、慌ただしくなる。

『うわっ! また何もねぇところで!』

 ついに純の恐れていた足音は教室の前まで来た。ドア越しに金髪のシルエットが見える。

「純、ドアから離れといた方がいいぞ」

「え?」

『く、今日こそは! 今日こそはァァァ!』

 ドアの向こうで金髪が不規則に揺れる。

 そして、



 バガシャーン! と金髪のシルエットはドアのガラスを突き破って、その姿を見せた。



「ああっ! またかよ! みんなごめんっ! 怪我ないか⁉︎」



 金髪のシルエットはガラスから血だらけで顔を突き出した。

「相変わらずだなぁ、つかちゃんは」

 教室に笑いが起きる。そこにいた金髪の顔を俺たちはよく知っていた。

 塚原つかはら真琴まこと

 この目の前にいる金髪少年とは、小学校からの付き合いになる。

「怪我は大丈夫だったのか?」

 ワンコの質問につかちゃんはガラスから顔を突き出したまま、ため息を吐いた。

「なんとかな。でも、二度と秘湯には行かないって誓っ……た……」

 そこで恐怖のあまりうずくまっていた純とつかちゃんの目が始めて合った。

 二人の間に数秒の沈黙が訪れる。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉︎」


 早朝の教室に二人の絶叫が響いた。

「アブアブアブ……」

 純は口からカニみたいに泡を吹いて気絶していた。実際に人が泡を吹くところを始めて見た。

「おい真壁……ダメだ。こりゃ完全に飛んでるぞ」

 起きろー、と軽い調子で、ワンコは純に往復ビンタをするが、その太い右腕から繰り出されるビンタの威力は凄まじく、ドゴッ、ドガッとビンタでは鳴らないような鈍い音を立てていた。

「塚原ァァァァァァァァァァァァァァァ! またお前かァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!」

 音を聞きつけダッシュでやってきた筋肉教師、ごっつぁんの声につかちゃんは窓

から頭を抜き、笑顔で答えた。

「ああ! 俺だぜ! この真琴様が戻ってきたぜ!」

 そう言って、つかちゃんは掃除道具入れから箒とちりとりを取り出すと、頭の上へかざした。デデデデ〜。

「俺の腕が衰えていないところをお前らに見せてやるぜ!」

 つかちゃんは素早く迷いのない動きで、散らばっていたガラスの破片をあっという間にちりとりに収めてしまった。

「おお〜」という感心したような声が上がり、つかちゃんに拍手が送られる。

「よっ、掃除王子!」

「ば、馬鹿野郎っ! 有事工事みたいに言うんじゃねえよっ! 照れるだろ……!」

 純、見ているか(見てないだろうけど)。これが純の恐れていた金髪ヤンキーだ。見ろ(見れないだろうけど)、みんなからの拍手に照れて顔を手で覆っちゃうあの純粋さ。最高じゃあないか。

「ふむ、どうやら腕は衰えていないようだな」

 満足したようにちりとりを見るごっつぁんに、つかちゃんは意気揚々と答えた。

「へっ! 掃除ならお手のもんだ! さ、俺は後、何枚窓を破ればいいんだ?」

「そうだな、その前に特別指導と反省文五十枚だ」

 その瞬間につかちゃんの表情が凍りついたように動かなくなった。

「え? 今なんて」

「校庭の草抜きと、特別指導と、反省文百枚だ」

 確実に最初より内容がきつくなっていた。

「それだけはなんとか……なりませんか?」

「ダメだ。お前にはきっちり反省文千枚を書いてもらう」

「勘弁してください! お願いします! 結構しんどいんですよ⁉︎ あれ!」

 つかちゃんは蛇のようにごっつぁんの体に巻きつくがごっつぁんの態度は変わらない。それどころか、

「なんだ、結構余裕そうじゃないか。五千……いや、万枚いっとくか」

 とまで言い出した。この男、もはや遊んでいる。

「とりあえず生徒指導室に来い。話はそれからだ」

「話はそれからだ、ってテメェ! 舐めてんのか! ……つってね、冗談っ! 冗談ですよ。全く、これだから頭の固いセンコーは……って、これも冗談。ついでに窓も特別指導も冗談……って、あ! こらっ! 離せ! 今すぐ離さねぇとぶっこはーいすみませボクが悪かったです。だから拳に息を吹きかけるのをやめてください」

 ごっつぁんに引きづられながら連れ行かれるつかちゃんはまるで猫みたいだった。

 純よ、見ているか。あれが純の恐れていたヤンキーの姿だ。



 ☆



「で、つかちゃん、どうだった?」

 昼休み。

 帰ってきてから授業中も含めて、一言も発さず、一心不乱にペンを動かしていたつかちゃんが、ようやく動きを止めた。

「ふっ、俺の熱い説得が効いたんだろうな。反省文百枚で済んだぜ。ほれ、もう終わった」

 誇らしげに反省文の束を見せてくるが、普通なら百枚でもかなりしんどい。

「それより……」

 ビシッと、つかちゃんは俺の顔と俺の背後を指差した。

「なんなんだよ! お前のその伸びきった鼻の下と、後ろのバケモンは!」

 振り返ると、そこには顔が巨大なボールみたいに腫れ上がった純が、ミックスサンドをかじっていた。

「ワンコ、一つだけ尋ねたいのだが」

「なんだ?」

「僕の顔、腫れていたりはしていないだろうか」

「ん、別にいつも通りだ。なあ、真人」

「そうだな。まあ強いて言うなら少し熱っぽそうだが」

 三人は淡々と食べ物を口に運んでいる。ああ、そうそう忘れてた。

「つかちゃんは初めてだよな。この顔がパンパンに腫れてて面白いのが転校生の真壁純」

「やっぱり腫れてる⁉︎」

 純にはつかちゃんが黙々と反省文を書いている間に、つかちゃんが純が思っているようなヤンキーではないことを伝えておいたので、朝ほどつかちゃんのことを怖がってはいない。

「純にも改めて。この金髪のヤンキーっぽいけど、実は小心者で全く怖くないのが塚原真琴。みんなはつかちゃんって呼んでる」

「お前、さっきから本音が漏れてるぞ」

 純とつかちゃんは互いを観察するようにまじまじと見ると、ゆっくりとその距離を縮めていく。

「……よろしく。真壁」

「よろしく、つかちゃん」

 二人は熱い握手を交わした。いいなあ、こういうの。

「ところで、お前の鼻の下はいつ治るんだ」

「え?」

 真人に言われて改めて鼻の下を触ってみるが、やっぱり三倍長い。

「というか、なんでそんなに鼻の下が伸びたんだ?」

 ワンコの問いに俺は考えるが、思い当たるのは一つだけだった。

「よっぽどエロいこと考えてたんだな」

「「「違いない」」」

「違う! 断固として違う!」

 みんなの意見を真っ向から否定する。それじゃあ俺がただの変態みたいだ。

「じゃあなんだ」

「ふふふ、教えようか? 教えようか? ええ〜、どうしよっかなあ〜?」

「気持ち悪いな。顔が」

「最後のさえなければ、真人のその言葉、流してたよ」

 俺は手招きでみんなを、息遣いが聞こえるくらい至近距離まで近づけると、他の人には聞こえないように小声で心当たりを口にした。

「乙宮と――友達になった」

 きゃっ! 言っちゃった言っちゃった! けど、みんなからの嫉妬で命狙われるかもしれないから戦闘準備だけしておかないと!

 しかし、みんなから帰ってきたのは嫉妬でも殺意でもなく、なぜか憐れむような視線だけだった。

「…………俺はお前のことを誤解してたみたいだ。今まですまなかったな」

「真人が謝った⁉︎ な、なぜ⁉︎ みんなも! なんでそんな微笑ましいものをみるような目で俺を見るんだ!」

 結局、みんなの態度の意味は分からなかった。























「春香……って、何その伸びに伸びた鼻の下は!」


「…………実は――」


























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