スタートライン
浅沼さんの前では大見得を切ってしまったが、まさか告白どころか話すらまともにできないなんて思いもしなかった。
「何があったの⁉︎」
これにはさすがの浅沼さんも驚いていた。あんなに怒った乙宮は小学校以来だと言っていた。あの二人、同じ小学校だっけ?
「はぁ……乙宮には本当に悪いことした」
用もないのに放課後の教室にいるのは、単純に帰るのも億劫になるほど疲れているからだ。
「って言ってもな……」
ここでこうやって座っていても仕方がない。立ち上がって、教室を見渡すと、俺しか生徒がいなかった。
「あれ……」
よく見ると、浅沼さんの席には、まだ学校カバンが置いてあった。忘れていったのか?
試しに浅沼さんのカバンを持ってみたが、中身はきちんと入っている。
「ちょっと、いくら追っかけって言ったって限度があるわよ! って」
教室後方の掃除道具入れから勢いよく飛び出してきたのは、ホコリだらけの浅沼さんだった。
「あ、ええ……」
気まずい空気が流れる。浅沼さんは照れたように頰をほんのり赤く染めて、こちらを睨んでいた。
「あー……その、あれですね。大変ですね! じゃあ、俺はこれで」
気力全開で帰ろうとした俺の肩が、ものすごい力で掴まれる。具体的に言うとゴリいたたたたたたたた。
振り返ると、さっきまで教室後方にいたはずの浅沼さんが、なぜか一瞬で俺の背後に回り込んでいた。
「まず説明させなさい」
浅沼さんは素敵な笑顔を俺に向けてくれた。うん、最高の笑顔だ。最高だから、肩を掴む最悪の手を離してくれないかな。
「アンタは今、バカな勘違いをしてるわ」
む、誰がバカだ。そこまで言われるとこっちもムキになるぞ。
「覗きだろ! それくらい分かってるぞ!」
「違うわよ! 私が誰を覗くっていうのよ!」
え?
「え?」
「その本気で思ってそうな表情やめて。そうじゃなくて、追いかけてくる女の子たちから隠れてたのよ」
浅沼さんは大きなため息を吐いた。ああ、なるほど。それで俺を追っかけの子と勘違いしたのか。
「モテる女は大変だな……」
「いつもはこうじゃないんだけどね。なんか一年生が暴れてるみたいで……」
ぶちのめしてやろうかしら、と平気な顔で言いながら、浅沼さんは首と拳を鳴らした。一年生、今すぐ追っかけ行為をやめるんだ。命が惜しければ。
「とりあえず、ホコリは払った方が」
「あー、大丈夫。今日は部活で貧乏商人の役だから」
そういう問題なんだろうか?
「それより春香に何やったの?」
何やったの? と聞かれれば一言では言い切れない。
「色々……」
「春香の怒ったところなんて久しぶりに見たわ。むしろ才能ね」
「そんな才能いらない……」
「とりあえず、今は部活に行かなくちゃいけないからその話は明日聞くわ。帰り気をつけてね。まだ暴徒と化した一年生がいるかもしれないから」
浅沼さんは制服についたホコリを払うと、コソコソと廊下の様子を確認した。
あ、ホコリ……払うんだ……。
「浅沼さんこそ、気をつけて……」
「……その浅沼さんっての。なんかしっくりこないのよね。次から由乃でいいわよ」
じゃあね、と素早く無駄のない動きで、浅沼さんは教室から飛び出していった。
「由乃……由乃……しっくりこないなぁ」
だけど、本人にああ言われてしまっては仕方がない。次からは由乃と呼ぶようにしよう。でも、やっぱり急に呼び方を変えるというのは無理だろうから、少しずつ変えていこう。
「さて、俺も帰るゥ⁉︎」
驚いて語尾がおかしなことになってしまう。だが、それも仕方がない。
なにせ、入り口に乙宮春香が立っていたのだから。
「ど、どどうした? 忘れものでもしたか?」
お、お落ち着け……こんなベタな焦り方してどうする! 俺は乙宮に告白するんだろ! 顔を合わせただけで緊張なんてしてられない!
「……図書室にいたら、しの……由乃が早く教室に行けって」
浅沼さ……由乃が気を回してくれたのか。それはとてもありがたい。ありがたいけど……どうすればいいんだ? ただでさえ、乙宮を怒らせているのに、ここから、何を言えばいいんだ?
「…………?」
乙宮は教室に何かがないか探している。当然、乙宮の探しているような何かはない。俺は乙宮を騙しているような気分になり、罪悪感で胸が苦しくなった。
乙宮はありもしない何かを探して、教室を
「あ、お前……」
気付いたときには、言葉になっていた。乙宮も声に気付き、こちらを向いた。
「あ、いやいや! ごめん今のは……」
また、言葉に詰まる。けど、今度は言葉が見つからないわけじゃない。
選んでいる。数ある言葉の中から、どの言葉が今の俺の気持ちか。俺が一体、何を言いたいのかを。
なぜ忘れていたんだろうと思った。俺が乙宮を知っていたのは、廊下ですれ違ったからでもなく、ましてや美少女と話題になっていたからでもなかった。
偶然、通りかかった教室に、今と同じように窓の外を眺める乙宮がいた。その時の俺は、乙宮の名前も知らなかったけど、その姿から目を離すことができなくて、それで――
「乙宮、今日はごめん!」
深く頭を下げた。これが今、一番に伝えたいこと。
「……別に気にしてない」
顔を上げると、いつも通りの無表情がそこにはあった。
そして、俺が一番伝えたかったこと。
「本当は乙宮と仲良くなりたかっただけなんだ」
やっと言えた。本当に、この一言だけで良かったんだ。ずっと、ずっと――教室で乙宮を見かけたあの日から。
「…………ぷっ」
乙宮は俺に背を向けると、体を小刻みに揺らした。俺にはその行動の意味は分からなかったけど、なんとなく、乙宮の雰囲気が柔らかいものへと変わった気がした。
「お、おい……大丈夫か?」
「……大丈夫」
振り返った乙宮の長い髪が、夕日色に染まる。
「じゃあ――」
乙宮は胸の高さまで上げた腕を俺の方へと、ゆっくり伸ばした。
「私と友達になって」
その乙宮の微笑んだ表情は、教室を照らす夕日よりも明るくて――
綺麗だった。
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