チワ喧嘩
「どうした。何かあった?」
僕が古田に声を掛ける。さっきから古田の箸が動かない。明らかに、落ち込んでいる。
「けんかした。」
箸を持ったまま、古田がつぶやくように言った。秋の夜長と哀愁の十月中旬のことだ。
「え?そりゃまた珍しい。何をやらかした?」
僕は枝豆をつまむ。古田は、ビールを一口だけ飲む。
「別に、やらかしてないんだけど。今度、春菜の誕生日があるんだ。しかも火曜日。」
枝豆を一粒ずつ取り出し口に入れる。古田はビールのジョッキを握ったまま。
「あれ。たしか、火曜はデートNGだったよね。水曜が会議だとかで。」
「そう。デートNGの誕生日。お前ならどうする?」
空になった枝豆の殻を皿に置き、再び次の枝豆を取る。古田はビールを一口だけ飲む。
「まあ、週末にゆっくりお祝いすればいいんじゃない?」
「だって、誕生日だぜ?一年のうちの一日しかない日なんだぜ?」
枝豆を一粒取り出し、口に入れる。古田はビールのジョッキを握りしめたまま動かない。
「ん?誕生日って、春菜さんの誕生日でしょ?」
「そうだよ。だから、全力でお祝いしたい。火曜なのは承知で、食事くらい行ってもよくないか?」
枝豆の塩が付いた指をおしぼりで拭く。古田はビールを二口飲んだ。
「誕生日より、火曜日NGが勝ったってことか。」
「春菜の大切なアニバーサリーにちょっとでも一緒に居たいって、だめか?火曜はNGだってことは知っているよ。会議準備で残業が多いってことも知ってるよ。でもさ・・・。」
少し冷めた焼き鳥を取る。古田は箸でお通しの白和えをなめる程度に口に運んだ。
「春菜さん、仕事は大事にする人だもんなあ。」
「誕生日より仕事?アニバーサリーより仕事?なんなんだよ、仕事の方が大事って。」
僕が焼き鳥を一本食べ終えると、古田は泡の消え去ったビールをようやく飲み終えた。
「まあ、誕生日だろうが誕生日でなかろうが、平日なら会社はあるし、業務は進むし、その日の仕事にはなんの関係もないし。」
「でもさ。そんなに仕事優先させるのもどうかと思うぜ。誕生日くらいちゃんと祝おうよ。」
ビールのおかわりを注文した。古田は白和えを食べ終えた。
「・・・そんなに誕生日を大事にし過ぎるのもどうかと思うぜ。仕事はちゃんとしようよ。」
と古田の口調を真似て言うと、古田が目を丸くして僕を見た。
「お前、なんで?春菜とまったく同じこと言いやがった。」
僕は、古田の手から空のジョッキを引き剥がし、おかわりを運んできた店員に渡した。
「そう言うんじゃないかと思っただけ。」
「俺がおかしいのか?そんなに仕事って大事か?」
二人で新しいビールを泡と共に流し込む。
「春菜さんがおかしいのか?そんなに誕生日って大事か?」
もう一度、口調を真似て言うと、ジョッキを置いた古田が再び固まる。
「春菜にとっては誕生日って、そんなに大事じゃないのか・・・?」
「春菜さんって、記念日とかサプライズとかを面倒くさがるタイプなんじゃ・・・。」
古田は持ち上げかけたジョッキを再び置いた。
「そう。そうなんだよ。そうなんだ。そう・・・なんだよな。」
「一方で古田はさ、食事の時のサプライズケーキをお店に頼んだりするよね。」
古田は極端に口角が下がった顔で頷く。
「もしかして、古田が期待するほど春菜さんって喜んでいないんじゃないの?そういうノリに付き合って、“あーすごいーありがとー”とか、言わされてたりとか。」
「喜んでないってなんだよ。言わされるってなんだよ。」
古田は半泣きの顔になっている。
「・・・今年の誕生日にむけて超特別サプライズを考え抜いてきたっていうのに。」
僕は冷めた焼き鳥を奥歯で噛みながら言った。
「なんて言うんだっけ、そういうのって。独り相撲?自己満足?」
会話が途切れて沈黙している間、僕は店長が言った「幸せの階段」という言葉を思い出していた。しばらく動かなかった古田は、やっと鼻をすすりながら言った。
「・・・ちょっと、春菜に電話してきていいか?」
僕は焼き鳥を口に入れたままどうぞとジェスチャーした。古田は、深呼吸を二回ほどして、仲直りの電話をかけるため席を立った。
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