情報交換会

 翌週の土曜日は、そろそろ梅雨明けが待ち遠しく思われるような湿度の高い曇天だった。あのコーヒーに惚れた弱みで、虫には全く興味がなかった、というよりむしろ避けたい気持ちもあったものの、折りたたみ傘を片手にカフェ龍のドアを開いていた。三度目にもなると慣れたもので、到着したのは開催時刻の十五分前だった。

 店内では、さくらさんがテーブルの配置を少し変えて、ノートパソコンに小さなプロジェクタを準備していた。店長はカウンターの中で作業している。

「いらっしゃい。宮崎さん!来てくれたんですね。」

とさくらさんが嬉しそうに声を掛け、店長もカウンター越しに歓迎してくれた。

「ちょっと早かったですか。何か手伝いましょうか?」

 さくらさんの的確な指示に従い準備を手伝っていると、子ども連れの家族が二組ほどやってきて、店内は一気に賑やかになった。

「今日、僕の写真あるんだ。」

 ノートを抱えて興奮気味の小さい男の子。

「俺、ハンミョウ調べてきたぜ。」

 付箋を貼った図鑑を持った少しぽっちゃりの男の子。

「ねえ、ママ、ママってば。」

 母の手をぶんぶん振り回して何かを必死に訴える女の子をそのままに、母親同士のトークは店に入る前から途切れずに続いている。

「今日は純さん、仕事?」

「お寺さんの役で草刈りがどうとか言ってね。」

 母に相手にされない女の子を引き受けたのは少し大きなお姉さんらしい女の子。慣れた様子で飲み物などのセッティングをサポートするお父さんらしき男性。

 それぞれ定位置に座ったところで、さくらさんが僕を紹介した。

「今回初参加の宮崎さんです。一言、自己紹介をどうぞ。」

 突然そう言われてこわばりつつ名前だけ告げ頭を下げた。子ども達がさっそく僕に「宮さん」と呼び名をつけてくれた。両家族を代表して原家のご主人が自分の家族と秋山さん一家の名前を紹介してくれ、情報交換会が始まった。

 情報交換会は前回以降に撮られた写真をプロジェクタで映し出し、その虫の基本情報を店長が紹介する。撮影者はその虫と遭遇した状況を簡単に報告する。他の参加者は、質問があれば出す。その場でわからない場合は、次回までの宿題とする。前回の宿題は、調べられた人が報告する。参加者の最年少は小学校一年生なので、あまり難しい話や長すぎると飽きてしまうのだろう、簡潔、且つわかりやすくするのがルールのようだ。写真を発表した小1の秋山渉くんも、前回宿題の報告をする原汰嘉也くんもなかなか堂々としたプレゼンをしていて、大人も子どもも集中して楽しく学んでいる様子には正直驚いた。

 この日の発表は新作二点、宿題一点で所要時間は一時間ほどだった。その後、子ども達は店の外へと走り出し、大人達は僕を交えて雑談とコーヒーを楽しんだ。

 原剛志さんは、奥さんの加奈子さんと、三人のお子さんの五人家族。東京からの移住組で、子育てを通してすっかり山梨に慣れ親しんでいる。子育てなら東京よりもこういった自然があるところがいい、と長女の朱香里さんが小学校に上がる時に二歳の汰嘉也くんを連れて引っ越してきたという。その後生まれた未知瑠ちゃんが秋山家の渉くんと数日違いで生まれた縁で、家族ぐるみのお付き合いが始まったそうだ。

 秋山家は代々地元の農家で純さんと祐子さんは同級生夫婦。祐子さんによると、田舎育ちで虫も景色も見飽きたものだったが、原さん一家や子ども達を通じて興味を持つようになったという。長女の薫ちゃんは渉くんと五才離れていて人見知りする性格だったが、原さん一家のおかげでしっかりもののお姉ちゃんになったと喜んでいる。

「宮さんは、地元じゃないでしょ?」

 祐子さんが言う。そういえば、前回さくらさんにも同じことを言われた。

「はい。東京です。どうしてわかるんですか?」

 そりゃ、苗字を聞けばすぐわかる、と笑った。

「この辺じゃ、石投げれば秋山か清水に当たるから。宮崎さんって地元にはいないね。」

「そうそう。だから、地元姓の人は年齢の上下関係なくみんな下の名前で呼ぶのよ。ここの秋山さんも純さん、祐子さんって。最初は面白いなって思ったのよ。」

と加奈子さんが続ける。さらに祐子さんが

「ねえねえ、東京だったら、宮さんも虫嫌いでしょ?」

というと、加奈子さんが畳み掛ける。

「宮さんも殺戮派?」

 山梨に来る移住組の中には、本当に虫が嫌いで、片っ端から殺虫剤でもって「殺戮を繰り広げる」タイプの人が少なからずいるのだそうだ。

「私も、もともと虫は苦手だったけど、でも自然を求めて移住した手前、虫を殺しまくるのはどうかなあ、と思ったりして。」

「原家は全員、カブトムシもおっかなびっくりだったよね。」

「だって、生きているのを触るって、勇気いるじゃない?」

 僕はその言葉に深く頷いた。

「ほら、やっぱり苦手なんだ。」

「じゃあぜひ店長に手ほどきしてもらわなきゃね。」

 苦笑いをしたとき、外から子ども達が入ってきて叫んだ。

「ママ、カメラ!虫!虫!」

 汰嘉也くんと未知瑠ちゃんだ。

「渉が今、捕まえたから!早く!」

 その声で雑談は終了し、母達はスマホを持って外へ出た。気付くと剛志さんと薫ちゃんで店内の片付けをほぼ終えていて、残すは僕らの椅子とテーブルを戻すだけになっていた。

「あ、すみません。片付けられませんでしたね。」

 慌てて椅子を動かすと、二人は息の合った動きでテーブルを運んだ。

「女性陣の話に捕まると長いから。」

 と剛志さんが言うと、

「本当にね。」

 と薫ちゃんがつぶやいた。

「あ、れ?ここは親子、じゃないですよね?」

 紹介されたばかりだが、あまりにもあうんの呼吸だったので確認のために聞くと、

「親が四人、五人兄弟で一家族みたいなもんです。」

 と剛志さんが答えて、薫ちゃんがはにかんで見せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る