童話06―100引く99は1です

「すっっごい!」


 せっかく仕事モードで出陣したのに、すぐ、戦意喪失しそうになった。

 だ、だって、宴会場が凄すぎるんだもん……。

 小さめの体育館くらい広さがあるんじゃないかな。壁に風景画の織物(タペストリー?)が飾られていて、黄金の柵がめぐらされたギャラリーから流れてくるのは楽団の生演奏!

 テーブルの間を給仕たちが慌ただしく行き来して、果物やスイーツが盛られた皿を並べていく。

 今、目の前を過ぎていったのはウエハース? あちらはキッシュ? 苺のタルトもおいしそう~!


 いけない。また食い意地がむくむくと……。

 フルーツの砂糖漬けで失敗したばかりなのでうかつに手は出せない。着飾った貴婦人たちが、おのおのスイーツを摘まんだり、ワインや紅茶を優雅に味わっている。

 さながら、この世の楽園みたいな光景だ。

 が、よーく耳をすましてみると、


「つかれた」

「足痛い」

「眠い」


 そんなグチが聞こえてくる。

 あくびを必死にかみころしている人や、ガラスの靴を脱いで裸足になっている人も。靴擦れでもしたのかな。

 きらびやかな宴会場には、端的にいって、気だるいムードが蔓延まんえんしていた。

 窓口が混んでいるときの役所とまるで一緒だ。早く帰してあげなきゃ、だ。


「皆様、ご清聴願います」


 セバスチャンのバリトンが広間に響きわたる。

 一段高いフロアーにいる侍従が、さっと手を上げると楽団の演奏が止まり、ゲストの注目がいっせいに集まった。


 がんばって、セバスチャンさん!


 私は宴会場の隅で固唾かたずをのむ。

 裸足の貴婦人たちは、侍従の横にいるアラン王子に気づき慌ててガラスの靴を履き直した。


「先ほどはお騒がせをいたしました。ケガをされたシンシア嬢は侍医のもとで安静にしております。

 中途半端ではございますが、これにて舞踏会をお開きにさせていただきたいと存じます」


 ほっとしたような吐息が、ところどころから漏れる。

 幸いにも場は、反発ではなく安堵のムードに包まれた。

 そりゃ、間近であんな事件が起こった後に拘束されたら、誰だって警戒するよね。ようやく緊張から解き放たれたのだろう。  


「つきましては、アラン様たっての希望で、お詫びの品を皆様の元へ後日送りたいと思います。

 ゆえに、あらためて皆様のお名前と届け場所を伺わせていただきたく。どうかご協力願います」

 

 今度はささやかな歓声が起こる。

 セバスチャンが私にウィンクを投げてきた。うっ、顔の濃い人のウインクはいっそう濃ゆく感じるわ。

 はいはい。

 ここまでは打ち合わせどおりですね。

 にしても、お詫びの品ってなんだろう。提案したくせに、いまさら気になってしまう私。すご~くお金がかかってしまったら申し訳ないな。後で請求されるってことはないよね。


「――では、これから私たちが皆様の元へ伺いに参ります。まず貴女から」


 と、セバスチャンはアラン王子とともに、最前列にいる貴婦人のもとへ向かう。

 

 ん? んん?


「ちょっと待って!」


 バラと羽の髪飾りがステキなお嬢さんが、走り寄ってきた私をけげんそうに見た。

 無理もない。こんなネズミ色のスウェット女が突然しゃしゃり出てきたんだから。はぁあ……いい加減、女子として虚しくなってくるわ。


「伺いに参ります、って。セバスチャンさんと王子が一人ずつ聞いて回るんですか?」

「はあ。そのつもりですが」


 何か問題が、とばかりに眉尻を下げるセバスチャン。いやいや、


「おふたりが100人に尋ね回るより、たとえばですよ? 受付所を設けて、お客様に並んでもらったほうが効率的だと思うのですが」


 当然そうするものだと……。

 アラン王子は貴婦人の足元――ガラスの靴を見下ろして、気遣うように慈悲深い笑みを浮かべ、


「皆さんお疲れでしょうし。それに――たずねる側が動くのが礼儀ではありませんか?」


 そう、のたまった。

 たずねる側が動くのが礼儀。身分に関係なく……?

 がつーん、と。ハンマーで頭を叩かれようなショックに襲われる。そんなの考えたこともなかった。


 だって、私はお客様を案内するとき、歩いて回ってもらっているから。

 役所の仕事と単純に比べられるものじゃないけど――今までつちかってきた経験や概念がひっくり返されるような感覚がした。

 よりによって、こんな童話めいた世界で。


「わかりました」


 ショックから抜け切れないまま、最低限のことだけ伝える。


「また誰かが階段から落ちるような事故があってはいけませんから、宴会場とロビーの間に見張り役を置いてください。エスコート役とは別に」

「おおっ、それは名案ですな。仰せのとおりにいたしましょう。――オルチャン!」


 セバスチャンが呼ぶと、短めのチュニックみたいな服に赤タイツを履いた給仕が飛んできた。眼も頬も丸くて、少年っぽい顔立ちをしている。


「こちらのご婦人をお見送りするように。丁重にな」

「承知しました」


 彼がオルチャン。シンシアの継母と義姉がワインをせびっていた給仕さんね。

 オルチャンは小柄ながらもスマートな所作で、お嬢さんをエスコートしていく。

 すれ違うとき、ちらりと意味ありげな視線を私に送ってきた。見た目は幼いけど、なかなかかしこそうな印象である。


「エグザンピ伯爵三男の娘、レイチェルです」


 二人目の貴婦人が名乗った。セバスチャンが巻物のような紙にペンを走らせる。

 その間、アラン王子はレイチェル嬢をさりげなく観察している。数秒後、私を見てこくりと頷いた。記憶の宮殿メモリーパレスに彼女は存在していたみたい。


「今宵はお越しいただきありがとうございました」


 王子から直々に声をかけられたレイチェル嬢は、そばかすがキュートな頬を赤らめ、サンチャンという名の執事に導かれていった。

 どうでもいいけど、このお城、名前の『チャン率』高くない?


 ――よし。

 私は演奏を止めてしまった楽団に向かって叫ぶ。


「すみませーん! アルファ派とかマイナスイオンが発生するような、心穏やかになれる音楽をお願いしまーす」


 戸惑ったそぶりをみせたものの、楽士さんたちは演奏を再開してくれた。ゆるやかなバイオリンの奏で。卒業式なんかでよく流れている、えっと……バッヘルベルのカノンだ。

 BGMの効果は絶大で、順番が巡ってくるのを今か今かと待つゲストたちは、うっとりおっとりし始めた。

 宴会場には絨毯が敷かれているので、大理石床のロビーと違って、ガラスの靴による摩擦音がしないのが救いだ。


「ヘレンです。北マグレ通りのパン職人の娘です」


 自然と、アラン王子とセバスチャンの周囲に貴婦人たちが集まってくるので、思っていたより効率は悪くなかった。

 やわらかなクリーム色のドレスがよく似合うヘレン嬢が、はにかむ。


「おそれおおいです。私のような職人の娘が品をいただくなんて。その、アラン様が結婚相手に身分を問わないというのは本当ですか?」

「はい。僕は心に決めた方と結婚します」


 そのとき、王子はこちらを一瞥したけど、私は無視を決め込む。

『キミチャン様のことは、混乱を招くおそれがあるの発表は後日にさせていただきたい』とセバスチャンに釘をさされているから。

 たしかに、この場で婚約発表なんかがされたら、リスト作りどころじゃなくなりそう。

 

 正確な時刻はわからないけど、ゆっくりと着実に、作業は進んでいった。

 最後の一組は、シンシアの継母と義姉。

 むろんラストになるよう、タイミングを待っていたのだろう。

 継母、スミス婦人は未亡人で貴族の出身らしい。


「スミス様。本日はまことに申し訳ございませんでした。シンシア様はまだお休みになっていますので、明日お屋敷までお送りいたします」

「かまいませんわ」


 継母は、紅がたっぷり塗られた肉厚な唇で弧をえがく。


「こちらとしては、アカンラザール様の誠意さえ示していただければ結構ですのよ」


 あ、このオバサン。

 弱みをにぎって娘を妃にしようだなんて正気? と思っていたけど、それだけじゃないな。

 たとえ嫁がせることができなくても、ねちねちと賠償金をせびるに違いない。領主家の紳士的な態度につけこんで。


 シンシアがケガをしたのは、あなたが仕組んだことじゃないの?


 さすがの私も面と向かっては責められなかった。悔しいけど彼女たちにはアリバイがあるのだし。

 おっほっほ、と義姉とリエゾンして高らかな笑いを残し去っていく。ほんと、絵に描いたような悪役ぶり。


 とにもかくにも、こうしてリスト作りは終了した。

 息をついている間もなく、アラン王子が告げる。


「ひとりずつ記憶をたどってみました」

「どうでした?」

「はい……シンシアの悲鳴が聞こえたとき、皆、宴会場にいました」

「ええっ、全員が?」


 給仕から受け取った水を一口含み、表情を変えずに、王子はうなづく。


 容疑者を絞るどころか、犯行当時の全員のアリバイが成立してしまうなんて――!

 へなへなと体の力が抜けていく。

 セバスチャンも憔悴したようすで、ゲストの氏名と住所をひかえた巻物を取り落とした。


「ん? あれれっ」


 リストを拾ったオルチャンがすっとんきょうな声をあげる。

 くるくるした瞳でリストを眺めて、


「セバスの旦那。ここには、99人分のお名前しかありませんぜ」

 

 やけにくだけた口調で侍従にそう報告した。


「なに? そんなはずは」


 セバスチャンも巻物を床に広げて、数え始める。

 これ、何語? 解読しようにも文字が崩れていて、まったくわからないのだけど。


「97、98、99……本当だ」


 やがてセバスチャンは青ざめた顔を上げる。


「入場したときは、たしかに100人いたはずなのに。99人の名しかありません。どなたか書き漏らした?」

「いえ、ちゃんと全員から聞いていましたよ」 


 間近でずっと見ていたので間違いない。

 宴会の最中に誰か抜け出した? いいや――それもない。

 出入口の門が開けば、門番さんから知らせがくることになっているそうだから。

 念のため確認しましょう、とアラン王子が、オルチャンを門番の元へと走らせた。


 黙りこくってしまった彼らを横目に、私は簡単な計算をする。

 シンシアをのぞいて城に入ったゲストは100名。

 今、帰ったのは99名。

 100-99=1、だ。


 まだ城から出ていない“シンデレラ”がひとり存在することになる。

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