童話03―シンデレラ後の世界
「そもそもの
紅茶を淹れてくれたセバスチャンが語り始めた。
ロビーの片隅にある応接セットにセバスチャン、対面に亜蘭君と私が並んで腰掛けている。ソファひとつに注目しても、何代にもわたって使い込まれたような風格がある。背もたれに彫刻されたバラと蔓のモチーフがすてき。
「ロマンチックな逸話が付いておりましてな――キミチャン様もご存じありませんか?
王子は舞踏会で娘を
「『シンデレラ』」
「はい?」
シンデレラ、ですよね? それ。
昔々あるところに、シンデレラと呼ばれる美しい娘がおりました。
幼いうちに両親を亡くしたシンデレラは、いじわるな継母と姉に毎日こき使われていました。
あるとき、国の王子様が舞踏会を開くことになり、継母と姉は着飾って出かけていきました。
連れていってもらえずションボリしていたシンデレラ。そんな彼女の前に魔法使いが現れ、美しいドレスとガラスの靴、馬車を用意してくれたのです。ただし、午前0時には戻るように、との忠告つきで。
舞踏会に現れたシンデレラはその美しさで注目の的になり、王子にダンスに誘われました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、0時が迫っていることに気づいたシンデレラは、あわてて城を後にしますが、ガラスの靴を片方落としていってしまいます。
王子はガラスの靴が足に入る女性を国中探し回りました。シンデレラの姉たちが履いてみるものの、まったく足に合いません。ところがシンデレラが試してみると、まるで彼女のためにしつらえたかのようにぴたりと合ったのです。
王子様とシンデレラは結婚し、二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
ガラスの靴を手掛かりに、娘を探し当てる。
世界中の女子が憧れるプリンセス・ストーリーに似てる、というか、そのものだ。なのに、どういうわけかセバスチャンと亜蘭君はピンときていない様子。
首をひねりつつも私は先を促す。
「ある詩人がこれを物語に仕立てましてね。大いに民衆受けして、吟遊詩人などを通じて諸国に広まりました。上流階級の貴族同士が許嫁契約を結ぶのが慣例だったところを、身分問わず、
いつでもどこでも国民受けは重要らしい。
王子様も、決められた相手と結婚するより好きに選べるほうが良かったのかな、と下世話な想像をしてみる。
「ときを同じくして、ガラスの靴も大流行しました。
実際にはガラスの靴などではなく、ありふれた皮の靴だったようですが。脚色した詩人が『そのほうが美しいから』というだけの理由で変えてしまった」
え、そうだったの?
シンデレラといえばガラスの靴で、子どもの頃から憧れていたのに……ちょっとショック。セバスチャンは肉厚な肩をすくめる。
「おかげでガラス職人は大儲けです。彼らと上手く提携した靴職人も。
とはいえ、ガラスは高級品ですから。市民のすべてが出来の良いものを手に入れられるわけではなく、安価な粗悪品も多く出回りました」
中央階段に放置されたままのガラスの靴を見やる。
儚げで美しいシルエット。インソールの類が入っていないところを見ると、履き心地の良し悪しは二の次なのだろう。粗悪品かどうかまではわからないけれど。
「まったく、職人たちも抜け目がないというか」
「うぅん!」
唇をとがらせるセバスチャンに、亜蘭君がわざとらしい咳ばらいをした。
「ああ失礼。我が領主ゴマーシュ様の再婚相手も、元ガラス職人でした」
「職人がお妃様に?」
「互いに伴侶を亡くしていらしたので。娘御と一緒にアカンラザール家にお入りになられました」
おおっ、まさにシンデレラ・ストーリー!
セバスチャンの説明によると、ここはさしずめシンデレラ後の世界、といった設定だろうか。
ちなみに「領主様とお妃様は今どちらに?」と聞くと、「結婚三周年を祝して旅行中でございます」とのこと。三年目は別れの危機なんていわれているけど、一緒に旅行するくらいならさぞ仲が良いんだろうな。
クライマックスが近いのか、侍従の語り口はいよいよ熱を帯びていく。
「留守を預かるわたくしに、領主様は重大な使命を与えました。
アラン様が結婚相手を選ぶための舞踏会を催すようにと。そして、アラン様が心に決めたかたならば、身分に関わらず受け入れるように、と」
厳しさと優しさが同居したような表情で、亜蘭君と私を交互に見つめる。
「アラン様がなかなかその気になってくれず、わたくし歯がゆい想いをしておりました。――でも、ようやく、キミチャン様が現れてくれた。そういった理解でよろしゅうございますね」
「ああ、そのつもりだ」
みずからの決意を示すように、膝の上に組んでいた私の手を亜蘭君が包みこむ。
夢が醒めるなら、今だ。
予感がして、きゅっと目をつむってみるけど、いくら待ってもその瞬間は訪れなかった。
ひとつ息をついて紅茶を啜る。……おいしい。
私がティーバッグでちゃちゃっと淹れるのとは全然違う、茶葉の薫り高い味がした。しっかりとしたコクもある。ダージリン? アールグレイ? コーヒー党なのでよくわからないけど、紅茶も悪くないな、と思った。
ぐすっと鼻をすする音がして顔を上げると、セバスチャンが涙ぐんでいた。感極まったらしい。……マジか。
「だとしたら、先のこと。なおさら困りましたなぁ」
「うむ」
侍従と王子様がふたたび唸りだす。私はティーカップをソーサーの上に置いて、
「シンデレラ……じゃなかった、女の子が階段から落ちてケガをしたことですか」
たずねると、セバスチャンは重く頷く。
「もちろんそれも大事ですが。悩ましいのは、義理の母親がもうひとりの娘を王子の結婚相手に選ぶよう脅してきたことです」
「義理の母親って、つまり継母? 本当にシンデレラみたい」
「あの少女でしたら、名はシンシアですよ。継母と義姉の荷物持ちのようなことを毎回させられていましたが、給仕を手伝ってくれたり、感じの良い娘です。
一方、義姉はアラン様へのアプローチが特に熱心で、当のアラン様にその気がないのが困りものだったのですが」
たしかにさっきの現場で、継母と義姉の異常さは十分に伝わってきた。が、私の頭のなかには無数のクエスチョンマークが浮かんでいる。ええと、まず……。
「シンシアが階段から落ちてケガをしたのは、事故ですよね?」いうなれば彼女の不注意が原因なのに。「なぜ亜蘭君が義姉と結婚しなければならないの?」
「ガラスの靴でございます」
セバスチャンが即答する。
「ガラスの靴の流行により、履きなれないご婦人が転倒する事故が多発しました。段差などに
ゆえに、ガラスの靴を履いたご婦人が階段を降りる際は、必ず誰かがエスコートするように、と領主様がお達しを出したのです」
「はあ? どうしてそこまでしてガラスの靴を履かせておくのよ。バカみたい!」
しまった。言い過ぎた。
つい感情のまま口走ってしまい、私は青ざめた。
主君の命令をバカ呼ばわりされたら、そりゃ怒るよね?
と思いきや、意外なことにセバスチャンも亜蘭君も、『まったくだ』とばかりに深くうなずいているではないか。
「その、領主様は大変紳士的でお優しいかたなのですが。このお達しに限っては男性たちにもっぱら不評で……。なかには元靴職人のお妃さまに入れ知恵されている、などと噂を立てている者もおります」
うーん。悪いけど、そう怪しまれても仕方がないという気も。
「でも、ガラスの靴を履いた女性が階段を降りるとき、いつも誰かが付いてくれるとは限りませんよね。やむなく自分で降りる場合もあるのでは?」
「そういったときは、誰かが通りかかるのをご婦人が待つものですが。しかしながら、今回の事故は城内で舞踏会中に起こりましたから」
「エスコート役を配置していなかったの?」
「しておりました……が、なにぶん舞踏会の方に人手がかかるもので。エスコート役の執事もロビーと宴会場を行ったり来たりしていたのです。こちらにも落ち度があると責められればその通りなのでございます」
ガラスの靴を履いているのにひとりで階段を降りたシンシアが悪い、と一方的には責められないのね。エスコートのお達しを出した領主宅で起きたからこそ、なおさら。
だけれど、責任を取って結婚しろだなんてメチャクチャだよ。
いつのまにか私も頬杖をついて、彼らと同じように唸っていた。
「そもそもなぜ人手不足なんです?」
「家来の半数が領主様の旅行に同行しているためです。正直、舞踏会を催すのでさえ手一杯という状況でして」
舞踏会を命じておきながら家来を半分も引き連れていくなんて。
フェミニストな領主様は、ちょっと、いや、大分抜けているお人柄のようだ。理想は高いけど実現するための能力が伴わない。どこの社会にもそういう人はいる。私もだけど。
おそらく普段からそのとばっちりを受けているセバスチャンは、苦しそうに胃のあたりを撫でている。なんだか急に親近感がわいてきた。
「うぅむ……まったく。前回も前々回の舞踏会でも、シンシアだけは皮の靴だったのに。なぜよりによって今夜はガラスの靴を。
そういえばキミチャン様は、変わった靴をお召しになっていますね」
皆の視線が私の足元に集まる。
ゴミ捨てに行くとき履いている、白いスリッポンに。しかも、くたびれて薄汚れているときた。スウェットにスリッポン。インドア地味ファッションにもほどがあるよ……。
同じ寝巻だったら、もっと可愛いパジャマの方が良かったのに。セクシーなネグリジェとか?
「――あ!」
急に私が立ち上がったものだから、手をつないでいた亜蘭君はソファからずり落ちそうになった。
「階段から足を滑らせたんじゃなくて、もしかしたら、
「なんですと……!?」
ん? 落とされた、じゃなくて、落とした、だっけ?
どちらにせよ自分の不注意で転落したのなら、あんな言付けはしないはず。シンシアは私に何かを訴えたかったのだ。
セバスチャンも血相を変えて腰を浮かした。
「突き落とされたとは、いったい誰にです」
スパイ映画のような陰謀の匂いがしてきた。私は唾をごくりと呑み込む。自然と小声になる。
「やっぱり怪しいのは、継母と義姉じゃないでしょうか。こちらの弱みを握るため、シンシアを階段から突き落とした」
「恐ろしい。なんと恐ろしい母娘だ!」
「それは違うよ」
はっきりと否定したのは、亜蘭君だった。
「悲鳴が聞こえたとき、あの母娘は宴会場にいましたから」
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