童話01―公子、異世界転入する

 背中に冷たい土の感触があった。

 ――土?

 フローリングでもコンクリートでもない、湿った独特の感触がそうだと告げていた。


「うわ、すごい!」


 真上には漆黒のパノラマが広がっている。

 死神が持つ鎌のように鋭利な三日月、無数にまたたく星。

 田舎のおばあちゃんで見上げた夜空に似ている。都会の夜は明るすぎて、輝きのにぶい星は隠れてしまうのだという。

 私は地面に大の字になっていた。まるで地球と一体化しているよう。

 ロマンチックな気分に浸っていると、がさごそと不審な音が近づいてきた。


「やっ」


 何かがはらりと落ちてきて、視界をふさがれた。

 おそるおそる手に取ってみると、葉っぱ? 目をこらすと、頭上に植込みらしきシルエットがぼんやりと見える。


「わわっ!」


 続けて襲ってきたのは、“火の玉お化け”。

 暗闇に炎がゆらめている。眩しさにくらんだ目が慣れてくると、お化けではなく、火の灯ったランプが棒の先に下げられているのだとわかった。

 持ち主が腰をかがめて、


「大丈夫ですか」


 ランプの光に照らされたその顔は――


亜蘭アラン君!?」


 ケンカ別れしたばかりの彼氏だった。

 きっかりとした黒い瞳をぱちくりさせて、私をじいっと見つめている。

 やっぱり、どこをどう見ても亜蘭君だ。差し伸べられた手を握ると、彼はぐっと表情を引き締めた。そして、


「突然ですが――僕と結婚してください!」


 と言った。

 あまりのことに、きょとんとしてしまう。この展開は何?


 よくよく観察してみると、亜蘭君の服装がおかしい。

 最後に別れたときはスーツ姿だったのに、今は襟元に幅広のタイを巻いて、ベストを羽織っている。

 まるで結婚式を控えた花婿のような装いだ。シャツの袖口に、ミネストローネが飛んだシミもない。

 和風な顔立ちの彼だが、意外にも洋装が似合っていた。

 花嫁衣裳は、大和撫子らしく文金高島田ぶんきんたかしまだと心に決めていたけど、ドレスも良いかも、と迷ってしまうほど。


「ダメですか?」


 沈黙をノーと捉えたのか、不安そうに首をかしげて尋ねてくる。私はドキドキしながら答える。


「……ダメじゃないけど」

「いいんですか!?」

「そこ驚くところ?」


 逆にびっくりだ。

 ケンカ、というか私が一方的に怒って別れた直後に、プロポーズしてくるなんて。

 急すぎるけど悪い気はしない。むしろ、ささいなことでキレてしまった自分が恥ずかしい。

 公子はすぐテンパるんだから――姉、典子の小言が耳の奥でリフレインした。

 結婚なんてまだまだ先のことだと思っていたけど、真剣交際している相手にプロポーズされて断る理由はないよね。


「で、亜蘭君。ここはどこ?」


 すると彼は、きょとんとした後、困ったように微笑んだ。


「アカンラザール家の城内です。庭園で迷ってしまわれたのですね。行きましょう」

「え? ちょっと……」


 私の肩を抱いて、おもむろに歩き出す。

 暗闇の中、彼が持つ粗末なランプの灯りだけが頼りだった。石造りの外壁に沿って進む。


 マジで、どこなのよ……!?


 少なくとも私が知っている場所ではない。

 もう一度問いかけようとして、ひとつの可能性に思い当たった。


 もしかして、サプライズ? 

 亜蘭君はイベント会社に伝手つてがあるらしく、私の誕生日には、ナイト上映のシアタールームを貸し切ってくれたことがある。

 そんな彼だから、大がかりなサプライズを仕掛けてきた可能性は否めない。結婚退職の話で気分を害してしまった私に、真のプロポーズをしようと考えたとか? 

 眠っている私をこっそり式場近くまで運び、サプライズ挙式。ほら今にも、純白のウェディングドレスをまとった私にスポットライトが当てられ……


「って、スウェットだし!」


 ドレスどころか、布団に入ったときのスウェット上下のままだった。

 全身ネズミ色のシンプルなやつ。とても着やすくてお気に入り……けど、寝巻のまま拉致するなんて酷すぎるよ!

 背中に手を回すと、服に張りついて乾いた土がパラパラと地面に落ちた。

 放置する場所も考えて欲しかった。イベント会社のスタッフの人、配慮が足りない。アンケート用紙に書いちゃうからね!

 嫌味なほど衣装がばっちりきまっている亜蘭君は、王子様然として私をエスコートしている。むぅ、なかなか演技を止めない。


 亜蘭君が足を止めた。ここが城の入口らしい。

 美術館に展示されていそうな甲冑かっちゅうが左右に起立している。敬礼したところをみると、中に人が入っているのだろう。

 一転して、私の期待は高まった。

 本物のヨーロッパの古城みたい。どこまで本格的なの?

 扉の前に立つと、待ちかまえていたようなタイミングで内側から観音開きの戸が開いた。


「うわわわ」


 暗い外とは対照的に、中は輝きに満ちていた。

 高級ホテルのロビーのような大広間。

 天井から下がったいくつものシャンデリアがまろやかな明るさを放っている。シャンデリアも間接照明もすべて、電球やLEDライトではなく、ロウソクの炎だった。


「ヤバいヤバいヤバい!」


 もう私のテンションは最高潮である。

 格別の存在感を放っているのは、ゆるやかな曲線を描く重厚な中央階段。

 上階の踊り場では、きらびやかなドレスをまとった貴婦人たちがひしめいている。アルバイトを雇ったのだろうか。ギャラリーまで手配しているなんて用意周到すぎるって。


 眺めれば眺めるほどに、現実離れした光景だった。

 今にも午前0時を知らせる鐘が鳴って、シンデレラが駆け下りてきそうだ。


「あ、シンデレラの靴」


 階段の途中にガラスの靴を発見した。本当にあるんだ、ガラスの靴。

 遠目にもわかる華奢な造りで、足のサイズ25センチの私が履いたら砕け散ってしまいそう。さらに視線を落とすと、もう片方の靴もあった。

 さらにさらに辿っていくと――


「っ!!」


 私は声にならない悲鳴を上げた。


 “シンデレラ”が倒れていた。

 淡いブルーのドレスの女性、いや、うつ伏せになっている横顔を見やると、まだ14,5歳くらいの少女。

 なめらかな肌の白い額から血が流れている。


「し、死んでる……!」


 童話めいた場景に目を奪われて、まったく気づかなかった。

 尻もちをついてしまった私に、亜蘭君が寄ってくる――よりも早く、私の足首が掴まれた。

 少女だった。

 死んでなかった! よかった。


「あの、大丈夫?」


 私の声に反応したように、少女の可憐な唇がかすかに動いた。


「落と、した……」

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