Send to Stranger you

テルミ

第1話 ボトルメールのような出会い

 顔も名前も性別も、何も知らない私達。

 知り合いでも、友達でも、恋人でもない。

 けれど、

 そんなあなたの書く字が好きだった。

 そんなあなたの書く文が好きだった。

 そんなあなたの書く話が好きだった。

 そんなあなたが、好きだった。



 秋の日はつるべ落とし。そういえば今日、先生がそんなことを言っていたような気がする。

 沈みかけた太陽を手で隠すと、絶えずその暖かさを伝えようとしてくるそれとは対照的に、私の額には冷たく無機質な感触が伝わった。

 その無機質は私の熱を伝導し、ほんのり暖かみを帯びてわずかに心地よい。瞳を閉じると、チッ、チッという音が、小さいけれど確かに、時を刻む歩みが体内に響き渡る。私の予想では、すでに時刻は18時を回っているものだと思っていたが、盤上の針は真下からわずかに右に逸れた場所を指していた。なるほど。わざわざ先生が私達に向かって話したがる気持ちが窺い知れた気がする。

 日の沈みが早い秋は、私たちの感覚を少しずつ狂わせる。

 実感できたのは、いつも乗る電車を逃してしてしまったお陰なのかもしれない。


「今時3時間に1本とか、考えられないでしょ……」


 6年前、地域創生開発の一環でこの街には電車が通るようになった。それまではわざわざ小高い丘のような小さな山を越えなければ都市部には行けなかったから、町の人は大喜びだった。

 まさか六年たった今、またこうして丘のような山道を歩くことになるとは……ね。

 バス一台通れるかどうかのこの一本道は、相変わらず六年前と変わっていなかった。

 一面に広がる草花は風でその身を震わせ、近くからも遠くからも虫たちの合唱が聞こえてくる。

 あれだけ恐ろしく幼い頃の私を見下ろしていた背高草も、今では私よりすこし背の高い緑にしか思えない。

 この一帯だけは時間が止まっていると錯覚させられるようにも思えたが、確かに時を刻んでいる音はそれを否定した。

 舗装されていない凸凹の道、寿命を終えて腐りきってしまった大木。一見六年前と変わらないように見える景色だけど、確かに、ゆっくりと朽ち果てていく姿は色褪せた古写真を見ているようだった。



 しばらく景色の変わらない道を歩いていると、先にバス停があるのがみえる。

 背高草に半分隠されたそれは、切れかけた街灯に照らされているのも相まって余計に寂れた田舎感を醸し出している。

(遅くなることはさっきメールで送ったし、少し休んでいこうかしら……)


「先客は……居るわけないわよね」


 もうとっくに廃線してるし。心の中でそう付け加えた。

 街と都市部が電車で繋がった以上、わざわざこの山をのろのろと走るバスを使う人は居なくなった。私もそのひとりだった。

 そうしていくうちにおそらく採算が取れなかったんだろう。6年前に廃線になった。バス停だけを残して。

 簡易的に作られた屋根の下、3人座れるかどうかのベンチに鞄を置き、その横に腰かけた。

 誰も居ない。灯りは頼りない。風は冷たい。しかし不思議と怖いとは思わなかった。逆に、今日はこれくらい放っておいてくれた方がうれしい。

 それもこれも、全部アレのせいだ。鞄からその身を覗かせているアレは、私をどこまでも追い回す呪いのように思える。

 文理選択希望調査。

 私の通っている高校では、1年生の秋までに文系か理系かを選択する決まりになっている。夏休みが終わってからのクラスでの話題はもっぱらこれ絡みのものだ。模試の結果を見て決める子、今から自分の将来を考えて決める子、単純にもっとその分野について勉強がしたい子、多分、生徒の数だけ選び方がある。

 帰りの電車を逃したのもこれが原因で、進路担当に催促のお達しをいただいたからだ。まあ、教室で考えていても結局答えは出なかったのだけれど。


「今日が火曜日だから……あと3日かぁ……」


 場の勢いで今週末までには決めて出しますと言ったけれど、時間があれば決められるようなものでもない。

 どちらの学問も特別学びたいという気持ちはない。けど、多分最終的には理系を選ぶんだろうなぁ。そんな予感はしている。

 医師同士の間に生まれた私は、幼いころから自分も継ぐ形で医師になるんだろうと子供心にそう思っていた。今も子供だけど。

 学校の作文で書かされた将来の夢にも医師と書いた気がする。特別なりたかったわけではない。ただなんとなく、そうなるんだろうなぁと思ったから書いただけ。それでも親は喜んでくれていた。

 だから多分、このまま理系に進むんだろうとは内心思っている。そこに私の意思はない。ただ流れに身を任せているだけ。

 それなのにいまだにここで足踏みをしているこの状況は、自分でもよくわからなかった。

 時々、えも言われぬような不安に襲われることがある。

 自分の意思で決めてきたことなんて、数えるほどしかなかった私の人生。

 これまでも、これからも流れに身を任せるだけの私でいいんだろうか。

 身を任せること自体が私の意思であるのならば、このままでいいんだろう。

 けれど、こうして迷っている自分がいるのならば、このままでいいんだろうか。

 だから決められない。

 場所を変えてみればまさかなんて思ったりもしたけれど、ここでも答えは出なかった。

 せっかく休憩のために立ち寄ったバス停だけど、かえって疲れが増したようにも思える。全身が重たい。

 追い打ちをかけるように、今度は鞄の中の携帯が小刻みに震えだした。


「もしもし……うん、うん。あと30分くらいで着くよ。うん。大丈夫、歩いて帰れるから。あ、夕飯は家でたべるよ。うん。うん……じゃあ切るね」


 母親からだった。高校に入ってからは部活動に入らずに帰っていたから、この時間まで帰ってこなかったのが心配だったんだろう。もう高校生なんだしさすがに過保護なんじゃないかと思うけど。

 通話を終えると、皓々と光る画面に表示された時刻はすでに18時と半分を回っていることが確認できた。

 冷えてきたし、そろそろ帰ろう。携帯をしまうついで、忌々しいB5用紙を今度こそ目に入らないよう、奥底にしまいこんだ。



 席を立ち、今度こそ帰ろうとする私を引き留めるようにして、また懐かしいものが目に飛び込んできた。

 バス停の横に置かれた赤茶色のそれは、廃線になった今も誰かの思いを待ち続けているように、その口を大きく開けていた。 

 郵便受け。頼りなく伸びる柱の上、「POST」と書かれたそれはえらく場違いな雰囲気を漂わせながらも、その寂れた佇まいが嫌にこの一帯に馴染んでいた。

 数十年前、まだ携帯電話が普及する前の頃は、人々の待ち合わせや交流のために駅の出入り口付近に伝言板というものが設置されていたと父から話を聞いたことがある。

 このバス停もそれくらい昔から設置されていたのだろう。伝言板を置くような壁の大きさでもなかったこのバス停は、代わりに宛名と差出人を書いた手紙をこの郵便受けに入れることでその役目を果たしていた。らしい。少なくともこれが有効活用された場面を私は見たことがない。


「調査票を入れたら誰かがアドバイスをくれたり……なんてね」


 これじゃあ投函じゃなくてただの不法投棄だ。まずここを通る人なんて私くらいしかいないし、今回だって半ば事故のようなものだ。

 ……記念に写真でも撮ってお母さんたちの懐かしむ姿を拝んでやろう。

 鞄から携帯を取り出して、レンズの先を郵便受けに向けて一枚。

 撮れたのはただただ広がる闇だった。完全に日の落ちた山の中だ、そりゃあそうよね。

 もう一度、明るさを最大まで上げて撮影すると、どことなく退廃「的」な写真が撮れた。本当に廃れているのだから、的は余計かもしれないわね。

「なかなかいいじゃん……あれ?」

 確認した写真には微かな違和感があった。赤茶色の寂れた郵便受けとは明らかに不釣り合いな白。その口から小さく見えるソレは、満腹の郵便受けが白旗を揚げているように、ゆらゆら揺らめいていた。

 暗すぎて気付かなかったけれど、どうやら中には何かが投函されているらしい。

(この場合は投棄、なのかな)

 開けるか否か。こんなところで私の意思を問われるとは……

 考える私をよそにして、郵便受けは中身の重さに耐えられないのか、その口が今にも開いてしまいそうなくらいに揺れている。

 強く風が吹いたらすべて飛ばされそうな危うさに、考えるよりも先に体が動いていた。

(結局また流されてるじゃない......!)

 口が耐えきれなくなるのと同時に、抱き抱えるように郵便受けを支えると、中に詰まっていた大量の紙は私の胸に向かって雪崩のように襲いかかってきた。


「なに……これ?」


 20字×20字。400字詰めの原稿用紙だった。それも、大量の。

 そのどれもがびっしりと文字で埋め尽くされていた。その文字は美しくも力強くて、鉛筆の匂いがした。


「小……説?」


 名前も題名も書かれていなかったが、なんとなくそう思えた。抱えきれなかった数枚を拾い集めると、ある用紙の裏には、小さく何かが書かれていることに気が付いた。

 ――棄てに棄てきれなかった私の想いを、あなたは受け取ってくれますか?

 誰のもとにも届かない郵便受けに入れられた、宛名も宛先もないそれは、誰に向けられた言葉なのか、私にはわからない。


「誰でもよかった……そして、たまたま私が受け取った……」


 私はまた流れるようにベンチに腰かけた。

 右下に書かれた番号を頼りに物語の順番を並べなおすと、初めの一文字からゆっくりと、誰かの残した想いをたどり始めた。

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