第七話

【7-1】

 保守的な者にとって幽霊として過ごす事はとても厳しい。

 長く存在し続ける幽霊故に時間感覚が人間であった頃と比べると異なっており、世の中が凄まじい勢いで変わる様に感じてしまうのだ。

 その結果、世界の変化を受け入れられない幽霊はやがて消えて行く定めにある。

 結果として幽霊は新しい物好きが多くなってしまう……

                                  大山 義久 1923-1986 日本 鳥取県


「僕は思うんですよ。どうしてそんなに美味い物を食べたがるのかって? そこそこ安くて、そこそこの味で、さっさと食えるモノで十分じゃないかと」

 ナイスミドル編集部の山本が原稿を受け取った後も立ち去ろうとせず、死んだような目で愚痴を漏らす。

「色々と台無しだ馬鹿野郎。ちゃんとした奴に担当引き継いで辞めろ」

「どんなに美味しいお店を雑誌で紹介しても、僕の日々の食事はコンビニ弁当かカップ麺ですよ。別に趣味に金を注いだせいで金が無くちゃんとした食事が出来ないとかじゃないんですよ。時間が無いんです。自分がそんなのだというのに、こんな仕事してられますか?」

「むしろ担当編集者として色々と食の幅を広げ、作家の俺にちょっとは助言出来るように努力しろ。全く同情する気になれん」

「そんな事言って、先月だって取材旅行に連れて行ってくれなかったのは先生ですよ。あの後デスクに叱られたんですからね」

「……はいはい」

 自分が責められる事になった富井は軽く流す。こういう場合は真正面から否定すると怒るのが人間だと知っているからだ。

「今度こそ、取材旅行に連れて行ってくださいよ!」

「そうなると、俺の身バレしてブログもこの連載も終わりだ。俺の収入は途絶えるとという事だが?」

「バレ無いようにしますから~」

「俺が取材する様子を記事にするんだからバレるだろ」

「上手く読者には分からない様にしますから~」

「読者には分からなくても取材した店には丸分かりだろ」

「…………!」

「気付くの遅い! 編集部に毎日昼も夜もコンビニ弁当やカップ麺ばかりの山本君では勉強不足だから、ちゃんとした店で食事して記事の内容を理解出来るようになるよう配慮して欲しいと要望を出しておくから」

 富井の言葉に山本は床に頭を擦りつけて礼を述べた。

 もしかすると山本君が自分の担当を外されるだけかもしれないと思ったが、それは口にしない富井であった。



 とある朝、近所のベーカリーショップで購入してきたサンドイッチで朝食をいただきながら、富井は唐突に切り出した。

「縁。何か習い事をやりたくない?」

 彼なりにそろそろ、縁の情操教育を考えるべきじゃないかと思い始めたのだった。

 これを放っておくと何時か成仏した時に義姉さん殺されるんじゃないかと思ったのだ……死んだ上に成仏してるのに。

「習い事?」

 唐突過ぎて、食事に意識の大半を使っている縁には全く何の事か分からなかった。


「例えば絵とか、それともピアノとか……水泳?」

 情操教育と言う言葉は定義が曖昧で便利に使われる言葉だが、果たして水泳は情操教育なのだろうか?

「泳げるよ。縁」

 確かに泳げる。一緒にプールに行ったら何の問題もなくスイスイと泳いでだので、浩太朗が『河童じゃ河童の祟りじゃ!』と意味不明に盛り上がっていた。


「それじゃピアノはどうだい?」

「ピアノ?」

「そう、確かお母さんもやってたはずだよ」

「お母さんも? でも縁ピアノって良く分からないよ」

 正直、富井にだって分からない。



『そんなんで良くも情操教育とか思ったものだと感心する』

 浩太朗から、からかう素振りもなく、冷静に素の表情で言われる富井は傷付く。

『蛆が湧くと言われる男やもめ家庭で育った事を、縁が将来悔いる様なったらと考えると俺は、俺は……』

『まあ、深窓のご令嬢と言うのは無理だな。絶対に無理だが元気には育つと思うぞパープルちゃんは』

『……お前が縁の呼び方をパープルちゃん固定にするというのなら、お前がそう呼んでる事を伝えるぞ』

『怖いこと言うなよ』

『やはりホラー映画で調子に乗って真っ先に死ぬタイプだな』

 洋三が微妙なレッテルを浩太朗に貼る。


『怖いならやめろ。縁ちゃんか縁さんか縁様と呼べ。それ以外は認めない。それからパープルからさらに発展させて、ムラサキからの醤油と言ったらお前は明日の太陽に出会う事は無いと思え』

『……ユカタンでお願いします』

『却下だ。どこの半島だ馬鹿野郎!』


 そんな二人の様子に溜息をもらしつつ洋三が話をまとめる。

『良いんじゃないか情操教育。嫌がってるの無理やりと言うなら問題もあるだろうが、色々試させてみて本人がやりたいと思ったことをやらせれば、嬢ちゃんの人生の無駄になるような事は無いだろ』

『流石、二人の娘持ちはいう事が違う』

『……いや、娘の教育は…………ほとんど嫁任せだったな』

『……頼りにならないな』



「じゃあ、何でも良いからやってみたい事はない?」

「あのね……ヒロちゃんみたいに机でカタカタしたい」

 つまり、パソコンに向かってブログの更新や原稿書きの作業を自分もしたいという事だろう。



『完全に形から入ろうとしている……と言うか形しかない』

 富井もさすがに困る。

『違うんじゃないか? 単に大人がやってる事を真似したいという子供の心理だろ……俺の娘にもそんな時期はあった』

『今は無いけどな』

 浩太郎は洋三に胸倉をつかまれて前後に揺すられている。


 富井はパソコンに向かってキーボードを打つ縁の姿を想像して『どう転んでも、情操教育に結びつかないな』と漏らす。

『そもそも、嬢ちゃんは平仮名と片仮名の読み書きが出来る様になったのか?』

『ああ、四歳になったくらいから、色んなものの名前を知りたがるようなったんで、平仮名で書いて教えたら自然に憶えて、いつの間にか片仮名もマスターした』

『それは立派じゃないか』

『そうでしょう。そうでしょう』

『お前は嬢ちゃんの保護者としてもっと毅然しろ』

 洋三は縁を褒められてすぐにデレデレとした情けない顔になる富井を一喝する。。



「……ああ、そういえば良いのがあったな。ちょっと待っててね」

 そう告げて居間を立ち去り、二階の自分の部屋でゴトゴトと何やら物を動かす音をさせながら、しばらくして戻ってきた。

「縁にこれを使ってごらん」

「これな~に?」


『なるほどポメラか、リブレットが出てきたらどうしようかと思ったぞ』

『リブレットって何ですか? イタリア語の小冊子の事ですか?』

『小型のノートパソコンだよ。くそっ! この知っている事が罪であるかのように責められる感覚は』

 東芝から発売された小型ノートパソコンである初代のLibretto 20が発売されたのは一九九六年であり、冨井が知らなくても当然である。



「縁。これで日記でもつけてみる?」

 そう言って差し出したのはポメラDM10。

 物理キーボードによるテキスト入力に特化したデジタルメモと言う商品であり、構成は四インチのモノクロ液晶モニターと折り畳式キーボードで携帯時のサイズは長さ一四五ミリ幅百ミリ高さ三十ミリながら、使用時はキーボードを展開して長さ二百五十ミリとなり入力時の快適さを維持している。

 冨井が大学生時代に使っていたツールだが、流石に現在はファイルへの書き込み文字制限等の問題があって使う事はなかったのだが、縁の玩具としてならまだ使えるだろうと荷物の中から探し出してきたのだった。


「日記? これで?」

 黒くて薄い箱にしか見えないポメラに困惑する縁に、まずはディスプレイ部分を持ち上げて開き、更にディスプレイから現れた面を左から右へと開くと中からキーボードのキーが現れた。


「あ~ヒロちゃんのカタカタの小さいのが出てきた!」

 どうやらカタカタは打鍵の音を差してるのではなく、パソコン自体がカタカタの様である。

「それでこのボタンをポチっと押すと」

「画面が明るくなったね」

 縁は食い入るように画面を見つめる。

「このキーボードの小さなボタンの部分をよく見ると、平仮名が書いてあるの分かるよね?」

「あっ! ゆかりのゆもあるよ」

「それじゃ、ゆが書いてあるボタンを押してみて……軽くで良いよ」

「押したよ」

「画面を見てごらん」

「ちゃんと、ゆって出てるよ。すごいね」

「じゃあ、これを縁にプレゼントします」

「良いの? こんな凄いの貰っても良いの?」

 遠慮と言うよりも怖気づいてしまってる感じで少し目が潤んでいる。

「これはポメラといって、昔は使ってたけど今は使ってないから縁が使ってあげてね」

「うん、ゆかり大事にする。ポメちゃん大事にするね」



『なんだか、ポメちゃんと言われるとポメラが俺と同じ扱いの様な気がして納得出来ないんだけど』

『頼むから無機物に嫉妬して愚痴るのは止めろ、情けないにもほどがある』



 その後、縁がポチポチとキーを叩く音を聞きながら、富井もカタカタとキーを鳴らしながら今日の更新用の記事を完成させる。

「そろそろ昼ご飯を食べに出掛けない?」

 冨井も独り暮らしをしていただけあって多少は料理は出来るが、流石に朝昼晩の三食を作るのは負担だった。だから仕事の為のランチメニューの調査という名目で昼は外食している。

「ちょっと待って~、あともう少しなの~」

 そう答える縁を見て『一体どこでそんなセリフを憶えたんだか』と呟いた。



 すると浩太朗から『お前からだよ』と突っ込まれる。

『えっ?』

『いや、えっじゃなくて、お前の口癖みたいなもんだろ……本当に分からないか?』

『全く気付いてなかった。俺そんな口癖みたいに言ってたのか?』

『ああ、お前って記事を書き始めると没頭して周りが見えなくなるから嬢ちゃんが話しかけてもそんな感じだったぞ』

 洋三の言葉に富井は凍り付く。

『ヤバいよ。縁にそんな態度をしてたなんて!』

『嬢ちゃん。寂しそうだったな』

『うんうん、凄く寂しそうだったと思う』

 二人はここぞとばかりに誇張して話すのだった。



「うわ~大きなオムライスだ!」

 昼食は冨井が罪悪感から最大限配慮してオムレツ・オムライス専門店をチョイスので縁が大喜びである。


 この店は冨井のイメージとしてはオジサン向けと言うには少し方向性が違うが、女性向けと言うには盛りが激し過ぎた。

 その為、レビューの出来自体は文句なく紹介される料理は富井の興味を惹いたが、どちらのカテゴリーに入れるのが良いのか判断がつかず、まだ紹介していない店だった。


 この店のオムライスは、普通の固焼き卵でも、柔らかく焼き上げたオムレツをライスの上で切って開いたタンポポオムライスでもなく、盛られたライス──チキンライスやドライカレーなど五種類のライスから選択する──の上に、緩めのベシャメルソースに卵を入れながら混ぜて作ったとろみのある卵ソースを掛ける変わった作りだった。


「うん美味い。卵ソースと上に掛かったデミグラスソースが混然一体になって面白い感じだ」

「美味しいね」

 卵が粘度のあるソース状になっているので、ベミグラスソースやトマトソースと共にライスと絡み合いまろやかで柔らかい食感を生み出しており、やはりこれはおっさんよりも女性向だと夢中で食べる縁を見て決めたのだった。


「ねえ、縁、何かしたい事とか無いの?」

 普通盛りでも盛りの激しいオムレツを一食半以上も平らげてお腹が重たく感じながら車で移動中にそう尋ねた。

「ヒロちゃんと一緒にいて楽しいよ!」

 一瞬、頭の中でふわっと幸せになれる脳内麻薬物質が分泌されたかのような気分になったが、そもそも脳が存在しなかった。


「ありがとう。でも最近仕事が忙しくなってきたから縁を寂しくさせてないか反省してるんだ」

「大丈夫だよ。お母さんだって忙しくしてたもん。お父さんはもっと忙しかったよ」

 これは自分を構う暇が無い。一緒にいられないを差して忙しいと言っていると富井にも理解出来た。

「それに縁も大きくなったから寂しくないよ」

 それって我慢してるって事じゃない? と思ったが口にすることは出来なかった。言ったら終わりな気がしたのだった。


「違うの。忙しくて縁と一緒に遊ぶ時間が少なくて俺が寂しかったから、今日は縁に夜まで一緒に遊んでもらいます!」

 そう宣言されて目を見開いて驚いた縁は「そ~か、仕方ないから遊んであげるよ!」と嬉しそうに笑顔を浮かべた。



 縁に行きたい場所を尋ねたら水族館との事だった。

 これが朝一からの移動ならば少し足を延ばして八景島。アクアラインを使って鴨川というプランもあったのが、

 昼食後からの移動なので比較的近い葛西臨海水族館を選んだ。



 敷地内に入って真っ先に目が行くのは透明なクラゲを思わせるガラス張りのドーム。

 平日の午後だが多くの人がドームをバックに撮影していた。

 客入りはそれほど多くはなく、二人は快適に施設内を見学する。

「ペンギンさんすごいたくさんいるよ!」

 沢山のペンギンの姿に縁は楽しそうにしているが、四種類のペンギンがネットで区切られた範囲でそれぞれ群れを作って生活しているので、単に固体の違いだけじゃなく群れごとの空気の違いを感じられて富井にとっても新鮮味があって楽しかった。


「うわぁ~」

 水槽内のカラフルなサンゴの美しさに声を上げる縁。

 果たして自分が四歳の時、サンゴを見て綺麗だと感動して声を上げる様な感性があっただろうかと自問する冨井。


 その後は、フィーリングタッチなどの予約制の体験型のイベントに参加するなどして時間を閉園時間まで楽しんだが、人気が高くキャラクターグッズのぬいぐるみまで販売しているオオグソクムシに関して、縁は一切目に入れようとしない徹底ぶりで避けていた。

 正直富井もオオグソクムシを可愛いと思う感性は育ってなかったのでオオグソクムシのぬいぐるみを買うような羽目にならずにすんで安心する。


 閉園後は水族館を含む葛西臨海公園内を散策する。

 まだ少し肌寒いが夕日を待って海岸沿いを二人で歩く。

 そして日が暮れると、葛西臨海公園のシンボルともいうべき高さが最大百十七メートルのダイヤと花の大観覧車に乗る。

 夕焼けに赤く染まった町並みを楽しみながらゆっくりとした時間が流れる。


 景色に興奮していた縁もゴンドラが頂上にたどり着くころには、疲れたのか少し落ち着いてきた。

 ゴンドラからディズニーリゾートが一望しながら「今度はディズニーランドに行こうか?」と尋ねる。

「ならぶのイヤだからいい」

 まさかの拒絶。


 富井自身は全く興味なく、漠然と女子供はディズニーランド好きというイメージしかなかった。

 そして縁からどれほどアトラクションの待ち時間が長くて辛かったかを説明される……夏場の混雑する時期に行って地獄を見たらしい。

 一度、嫌だというイメージがついてしまったために「平日なら空いてると思うよ」と説得しても頑として首を縦に振る事は無かった。


「まあ、他にも楽しい事はたくさんあると思うから何か考えておくよ」

「たのしみ~!」

 そんなやり取りをしている間にゴンドラは一周して乗り場に戻ってきた。



「今日は楽しかったね!」

 車中で縁がそう口にする。

「楽しかった。やっぱり縁と遊びに出掛けないと駄目だね」

「おおきな車でヒロちゃんと出かけるのも好きだよ」

「そうか、でも今月はまだ十日くらい先だね。それまでに仕事を片付けておかないとね」

 一週間程度の取材旅行の間の更新分は、普段からストックをためておいて自動更新を使っているので、その期間はずっと縁と一緒にしている事が出来る。


『やっぱり寂しいんだよ』

 いきなり浩太朗が話しかけてくる。

『久しぶりの水入らずだから付いて来るなと言っただろう』

『もう帰り道だから良いだろ』

『お前は他にすることないのか?』

『嫌だな。俺だって忙しいよ。あれから新曲も幾つも作ってるし、ネット配信でも大人気だぞ』

 確かに注目を浴びている。浩太朗がきっかけになって他の幽霊達の音楽活動が盛り上がってきているのも確かだ。

『お前のは人気と言うよりも注目だ。一流のアーティスト達が新曲を作り始めたらあっという間にお前は過去の人だよ』

 続いて現れた洋三のもっともな言葉に崩れ落ち、そのまま車の床を突き抜けて路面に転がり落ちた。


『やっぱり寂しいんだろうな』

 浩太朗に言われた言葉が口を衝いて出る。


『そりゃあそうだろう。両親が居ない分を補うように一生懸命面倒を見てくれる叔父さんがいるにしても、まだ四歳の女の子だぞ、寂しくないはずがない』

 洋三は縁の事に関しては富井をかなり高く評価していた……少なくとも自分よりは。


『だけど我慢してるように感じるんだ』

『我慢してるに決まってるさ。良い子だと思うぞゆかり嬢ちゃんは、ちょっと良い子過ぎるから我慢し過ぎちまうかもしれない』

『如何すりゃ良いんだよ?』

『もう少し我儘を言えるような空気を作ってやるしかないだろ』

『我儘を言える空気って?』

『まあ必死過ぎて視野が狭まってるお前さんは気づいてないか……良い親代わりになろうと必死過ぎてるんだよ。だから何事も先回りしてしまうから、ある意味では嬢ちゃんには強い不満が溜まらない。だから感じてる寂しさを口にすることが出来ないじゃないかと思うぞ』

『頼む。問題が分かってるなら具体的に言ってくれ』

『要するに嬢ちゃんは、お前が自分の事を大事にしてくれている事を理解して、凄く感謝もしている。だからそれ以上の事は自分の我儘だと子供ながらに思ってるんじゃないか?』

『そんな事を? 我儘だなんて……いやむしろ我儘を言えと。それくらい喜んで受け止めるぞ俺は』

『じゃあ、お父さんとお母さんが居なくて寂しいって言われたらどうするんだ?』

 富井には何も言えなかった。ずっと逃げてきた事だから。

『まあ俺だって、自分の娘達から駄目親父とレッテルを貼られるような男だぞ。だけど娘達は俺に不満をぶつける事を全く躊躇わなかったのは確かだ』

 慰める様に洋三はそう口にしたが、それはそれで駄目なんじゃないかと富井は思った。



 赤信号に捕まり車を停めると再び洋三が話しかけてくる。

『なあ、余計な心配だったみたいだな……嬢ちゃんが何か言いたそうににお前を見てるぞ』

 そう言われて縁の方に視線を向けると縁は窓の方を向いていた。

『違う。窓ガラスに映ったお前の顔を見てるんだ』

 もう一度視線を向けると窓越しに縁と目が合った。縁の目は心細そうに何かを訴えていた。



 今こそ、縁と正面から向かい合う必要がある。そんな気がした富井は今まで口に出来なかった言葉を口にする。

「お父さんとお母さんに会えなくて寂しいよね?」

 これで、もう後戻りは出来ない。縁と一緒に乗り越えるしかない。


「……うん」

 消え入りそうな小さな声で、小さく肯いて答えた。

「さびしいよぅ~」

 目頭と目尻から堰を切ったように涙が溢れかえる。

「もっと俺が縁の支えになれたらよかったのに……ごめんね」

「ヒロちゃんが、ヒロちゃんが優しくて、いつもゆかりと一緒にいてくれて大好きだよ。でも、パパとママがいないの!」

 縁の言葉が富井の心のに深く突き刺さる。


「大拙な人が、大好きな人がいないのは寂しいよね……俺も寂しいよ」

「……ヒロちゃんも?」

「うん、寂しいよ。兄さんと義義姉さん。父さんも母さんもみんな死んで。縁がいてくれなかったら堪えられないくらい寂しいよ」

「じゃあね、じゃあ、ゆかりだけがさみしかったんじゃないの?」

「うん、俺も縁と同じように寂しかったんだよ」

「そうか……ゆかりはずっとヒロちゃんと一緒にさみしかったんだね」

「当たり前だよ。縁が悲しい時は俺も悲しい。縁が楽しい時は俺も楽しいんだ。だから一緒なんだよ」

「ヒロちゃ~ん! うぇ~ン!」

 縁が声を上げて泣き始める。

 


『おい、信号が青になったぞ』

 浩太朗が復活していた。

 空気を読めよと思いながらも車を走らせるのだった。

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