【6-3】

 翌日。江戸川 仁宅。


『俺が今、頭の中に思い浮かべた数字を、協力者とやらを通して手紙で送れ! だってよ』

 下手な顔真似しながらキメた後、腹を抱えて笑い出す浩太朗の映像を見ながら顔を真っ赤にして肩を振るわぜる仁。

 その横で春美と友樹が浩太朗に負けない勢いで笑っている。


『どうして幽霊が人の心の中を読めると勘違いしたんだ?』

 仁には冷静に指摘する洋三の言葉の方が胸に深く突き刺さった。

『それから協力者はお前の想像とは違って念写はしない。俺達幽霊はこんなのを持ってるんだ』

 画面の中で洋三が幽霊専用スマホを取り出して前に掲げる。


『浩太朗も同じのを持っていて、これを撮影してるのはそれな』

「幽霊がスマホ? スマホ! 幽霊が?」

「凄いな。オカルト界に激震が走ったぞ」

「落ち着け。頼むから落ち着けお。お前が落ち着かないと俺が驚けない」

 友樹を黙らせて洋三の話に耳を傾ける。

『そして幽霊が撮影した動画データーをコンバートして、お前らに送ったSDカードに書き込んで郵送してくれるのが協力者だ。別にしつこく付きまとって協力させている訳じゃない……迷惑そうだけどな』


 仁は再生を止めると立ち上がり、部屋の隅の棚から紙袋に入った荷物を手に取った。

「こんな言い訳をしたって事は犯人はこの部屋を盗聴しているんだ。こんな事もあろうかとこいつを買って来た!」

 そう声を張り上げながら、ウィスキーのボトルが入ってそうな大きさの箱を紙袋から取り出した。

「何でトランシーバー?」

 箱に印刷された絵を見て春美がそう口にする。

「いやこの状況をくみ取れば盗聴器の発見器だろ」

「その通りだ。一万三千八百円税抜きだ馬鹿野郎っ! この落とし前はきっちりつけてやるからな」

 おかげで彼の今月のお小遣いの残りは危険領域に突入しており、居もしない盗聴犯に怒りを滾らせている……ある意味盗聴なのはたしかだが。


「それは盗聴している相手に知られない様に見つけてから、犯人を探して捕まえるんじゃないの? 盗聴犯人を捕まえる番組なんかではそうやってるぞ」

「もし犯人がいるなら、お前の言葉を聞いてもう逃げてるな……ほらほら、惚けてないでせめて税抜き一万三千八百円を使ってやれよ」

 友樹に促されガックリと肩を落としながら発見器を使って部屋中をチェックするが、無論盗聴器が発見される事は無く「一万三千八百円税抜き分の昼飯が~」と叫ぶと蹲って咽び泣いた。


 春美は余りに惨めな五十代の姿に声を掛ける事が出来ず、視線を逸らして再生ボタンをクリックし、画面に目を向けながら隣に座る友樹に話しかける。

「もしかして無線タイプじゃなく録音タイプの盗聴器って事はないか?」

「違うだろ。仁だって馬鹿じゃない。盗聴を疑って発見器を買いに行くなら下調べはしてるだろから家への侵入者には気を付けているはずだ……多分……二日連続で家に忍び込まれるほど間抜けじゃない……きっと」

 自分の事は棚に上げしているが、友人の頭の具合には自信が無いようだ。

「多分……そうだとすると、これはやはり?」

 オカルト関連に興味の無い春美は自分の口からは言いたくなかった。そして彼の意を汲んだ友樹が断言する。

「幽霊だよ。死者の浩太朗と洋三の呪いだ! 仁の昼飯代を盗聴器発見器に変える呪いだよ」

「幽霊だとしてもそれは違う」

 冷静に否定されるのであった。



『変わんねえな春樹は』

 黙って撮影していた浩太朗が懐かしそうに呟くのが聞こえた。

『人間なんて十代後半まで人生を送ってしまえば、その後どれだけ生きても本質的な部分は変わるもんじゃねえよ。友達になった奴はずっと友達だ。何十年も会わなくても道端でばったり出会って「よう久しぶりだな」って声を掛け合えば、会わなかった時間なんて簡単に飛び越えちまう。そして憎い敵だった奴は一生涯敵同士だ。変わんないんだよ自分も相手も人間だからな』

『何か、この人良い話っぽいのを語り始めちゃったよ』

 茶化す富井に対して、浩太朗は思うところがあったのだろう。否定するでもなく『そう言う年頃なんだろ?』と流した。



「だけどな。まだトリックの可能性は十分残っているだろう。俺はまだ納得はしてないぞ」

「そうは言っても、昨日の動画は予め時間をかけて用意していた可能性はあったけど、昨日の今日でこれだけの動画をでっち上げる事が出来ると思うか?」

「……納得出来ないんだよ。お前と違って俺は幽霊なんてものは信じちゃいない。そして嘘なら死んだあいつらの事を馬鹿にしている奴がいるって事だぞ。絶対に許せねえよ!」

「春美……」



『彼の仲間を思う気持ちに心を打たれ、思わず涙する富井であったが、果たしてこの二人にそこまで思って貰う資格があるのだろうか? 暗闇の中でサイリウムとナニで満月を描いたという話を思い出すと疑問に思わざるを得ないのであった……』

『そう言うのは胸の中だけに留めておいて! 本当にお願いします……それから、その辺の事はあいつらも同じだから』

『同じなのかよ!』

 富井は本気で引いた。物理的にも二メートルほど退いた。



 そんなやり取りの中、再生中の動画に突然、どこかコミカルな「第三の男」のテーマが流れ、いきなり「おまけ動画!」というタイトルが現れる。

 それは昨日のライブ映像を撮影した後で、富井頼まれて浩太朗だけではなく洋三も仁の家に突撃して撮影した動画だった。


「何だこれは?」

 画面に映っているは仁の顔を正面からアップ。しかもレンズが顔に付かんばかりの接写映像だった。

『どんなに真面目な話をしていても、どんな表情でも、これだけドアップで撮られていると間抜けな面だ』

 完全に面白がっている浩太朗の声が流れる。

『ナンセンスコメディーで一人空気を読めない奴がいるみたいで笑える』

『止めてやれ浩太朗……くっくく』

 そして洋三の声まで聞こえる。

『自分だって笑ってるんじゃないか』

 そう言いながら浩太朗はコネ回すようにアングルを動かしていたが、やがて下から鼻の穴を覗き込むアングルが気に入ったようだ。

『こんなの見せられたら、笑うに決まってるだろ!』

 まるで竹中直人の様に笑いながら怒る洋三。



「俺?」

 仁が大きく映った自分の顔に呆然とする。

「これ? 昨日の仁が話してた内容だよな? ……盗撮なのか」

「こんな近くで撮影されて気付かないほど仁が間抜けだったとしても俺は違う……そうだ浩太朗が言ってただろう。自分達はスマホみたいなのを持っていてそれで撮影出来るって。それだよ……やっぱり浩太朗達は幽霊になってたんだよ」

「そんな……」

 馬鹿なと言いかけて言葉を飲み込む。否定するならその場に居たという二人が自分を担いだという事になる。この二人が自分を騙し浩太朗と洋三を侮辱するような真似をするとは彼には思えなかった。



『それにしてもいきなりぶっこんだな?』

『そろそろ決着を付けないと、浩太朗が必死に一日で曲を仕上げて稼いでくれた時間が消えちまうだろ』

『そりゃあそうだかけどよ』

『明らかに春美って奴がお前が言ってたように感情的に反発している。それに仁って奴も同調する様子を見せているが友樹って奴の影響力が作用しているようにも見えない。俺は自分の判断は間違ってなかったと思うぞ。ぶっちゃけると駄目なら駄目で良いから早く決着をつけたいし』

『おい!』

『ほら、今月も取材旅行の予定があるから』

『車中泊の旅に予定なんていらねえ!』

『向こうで人に会う予定もあるんだよ!』

『そんなの俺が呼びつけてやる。誰だか言え!』

『他にも向こうで色々食ってネタを仕入れないと駄目なんだよ』

『そんなもん、お前が食わなくても幾らでもネタは揃ってるだろ』

『雑誌掲載分は皆が集めたネタを俺がちゃんと食べて紹介するんだよ。プロとして!』

『プロだ? ライター(笑)の癖に!』

『そんな事は分かってる! だからせめて雑誌掲載分だけはしっかりとやりたんだよ!』

 富井としても、これで金を稼いでいると言うためには絶対に譲れない一線であった。

『それに予備に買った一枚を入れても十枚しかSDカードを買ってないから、明日の分の分しか残ってないぞ』

『買えよ!』

『それは甘えだ! 三回で終わらないから四回目五回目とずるずると行く気か? 三回で終わらせる覚悟を持て』

『そんな事を言って、本当はこんなくだらない事にこれ以上金使いたくないなと思ってるんだろ? そうなんだろう? おい、目を逸らすな!』

 富井は決して目を合わせなかった。


『サイモン。トミーの考えは強ち間違っていない。これで駄目ならエドガー達は俺達の話を信じないと思う』

『サイモンじゃねえって言ってるだろ! ……何でだよ?』

『信じる気があるなら昨晩、俺達の作った曲を一回位演奏してみると思うけどカークがドラムを少し叩いてみただけで、エドガーとハリーは楽器にさえ触れなかった』

『えっ? もしかしたら本当かもしれないから時間もないし練習ぐらいはしておくとか? とかいう考えは奴等に無かったのか!』

『無かったね。大体頭から幽霊なんて居ないと決めつけていたなら説得は無理だと自分で言ってただろ? よく考えてみろ。カークがあの二人に与える影響力なんて、サイモンに与えるのと同じ位しかないからな』

 とても友達とは思えない様な発言をした。

『弱っ! 友樹の影響力弱っ……これは盲点だった。こうなったら富井の作戦の成功を祈るしかないな』

 彼等は本当に友達なのだろうか……

『最初から気づけよ!』

 呆れて突っ込む富井さえも彼等の友情の厚さに興味は無かった。


『知り合いのプロに頼んで、一緒に例の曲を演奏して貰った動画がある。今日の動画とこいつで信じようと思わないなら、おやっさんにこいつを見せる手はずを考えてくれないか?』

 洋三はそう言って富井のスマホにに演奏動画を送る。

『分かった。考えておくよ』

 入院中の全くの他人の病室に行って、怪しまれずに動画を見せる。しかも自分の正体が割れる事も無く……難易度が高いが今更嫌だとは言い辛かった。




 翌日届いたSDカードの中に入っていた動画データは三十年越しの新曲を浩太朗と洋三。そして助っ人の三人を加えた五人で演奏する動画だった。


「何だこりゃあっ?」

 新曲を聴いた仁が悲鳴染みた声を上げる。

「上手い。上手すぎる」

「洋三がスゲエ上手くなってる」

「浩太朗も声量と音域が昔とは段違いだ」

「それ以上に、この三人が滅茶苦茶凄いよ。今の浩太朗と洋三でも比較にならない」

 友樹の言葉の後に画面の映像は浩太朗と洋三以外の三人の顔を順にアップで映し出していく。


「ちょっと待て、このドラムの人って──」

「ギターも、もしかしてあの──」

「俺、この人の演奏を聴いて、音楽始めたんだけど……」

 彼等にとってシャレにならない様な大物が奇跡的に幽霊になっていたようだ。

「俺は腹を決めたぞ。もう毛の先ほども疑わない。むしろこの話が嘘だったら死ぬつもりで信じる」

「だからサインが欲しい! 握手して貰いたい!」

「俺、この動画を家宝にするんだ」



『計画通り上手くいった……そう言う事にしよう』

 洋三は満足気に頷きながら言った。

『でもなサイモン……』

『有名人頼りの今回の動画があれば一発で決着だったんじゃないか?』

『そう。これを最初に使ってれば時間を無駄に使わなくて済んだはずだろ』

 二人の追及に洋三は右の頬をヒクヒクと引きつらせながら、決して目を合わせなかった。

『俺は言ったよな。時間は無いものだと思えと。それでこれが計画通りなのか?』

『時間を余計に使った計画の目的は何だよ?』

『早く説明しろよ』

 二人の容赦無い矢継ぎ早の追及が洋三を追い詰める。


『俺もあいつらがこんな反応するとは思わなかったんだよ! 大体だ。お前があの人達をそこらのおっちゃん扱いしてるから俺の感覚もおかしくなって気軽に頼んじゃったんだよ!』

 幽霊としてはそれなりに経験があり、社交的で交友範囲も広い浩太朗だった。


『……確かにそうだな』

 浩太朗も渋々認めるしかないほど、数々のロックシーンで伝説を打ち立てた偉大なミュージシャン達の扱いは軽かった。

 何せ、現在仁の家で彼らを撮影しているのは、他ならぬ伝説さん達だという事がその証である。


 そもそも幽霊の世間は結構狭い。全世界で一千万程度しか存在せず、この百数十年程度は数は増えていない。七十年ほど前から爆発的に生きている人間は増え続けているにも関わらずである。

 ある程度は幽霊全体での新陳代謝も進んでいるために千年以上存在する幽霊はかなり希少だが、それでも生きている人間と比べると、そのライフサイクルは十倍に達しており、ある程度近い時代の幽霊同士の交流が多い事を考えると幽霊達にとっての世界は更に狭くなってしまう。

 結果、ジャンルが違っていても音楽をやっていた者同士というだけでも国境を超えて親交も深まるのである。

『実際に付き合えば、普通にスケベで下品なおっさん達なのにな』

『ああ、カリスマだがプライベートは下ネタ大好きな親父だな』

『だからお前らと意気投合するんだな』

 自分の指摘に怒る訳でもなく悲しそうな目を向けてくる二人に対して「無理でもせめて否定はしろよ」と富井は思った。




 決断を下した後の三人は行動も早かった。

 彼等は翌日からレンタルスタジオを利用して毎晩練習を始める。

 一年以上のブランクに初日こそぎこちなかったが、元々長い付き合いだった三人は息も合い、すぐにリズムを取り戻すと、次第に錆び付いていた腕の方も往年の輝きを取り戻していく。


『昔より上手過ぎる? 何のトリックだ! 分かった偽物だろあいつら。おかしいと思ってたんだよエドガーは禿げるはずなのに何時までたっても禿げねえから……一体何時から入れ替わってたんだ?』

 昔の仲間に失礼な事を言い出す浩太朗。


『失礼だな! 仁は入れ替わってねぇ! 上手い事誤魔化してるが多分ヅラだ……とにかく失礼だ! お前が死んだ後も三十年間も練習していれば餓鬼だった頃より上手くなって当然だろ』

 洋三も十分に失礼である。


『そうか三十年も経ってるんだよな……』

『そうだ三十年だ。俺達はお前が死んだあの日に、夢を置き去りしたまま生きて来たんだ』

 何やら感傷的な雰囲気を出してきたが、浩太朗がそんな空気を読むはずが無かった。

『三十年もか……そう考えると大した事無いというか、むしろ三十年もやってコレかよって感じ』

『本当に失礼だよお前って奴は!』

 などと下らない事を話す二人だが、富井は彼等の元メンバー達の技量は明らかにそこらのプロに比べて劣るものでは無いと確信する……尤も富井はメタルとパンクの違いも分からないので、比較対象がパンクバンドだったとしても不思議では無かったが幸いな事に今回の場合は正しい評価だった。



 結局、バンドとしての音が完成したのは、富井が最初に提示した一か月をかなり前倒しした計画開始十四日目の事だった。

『取材旅行に行けなかった事に対する謝罪と賠償を要求する』

『……はいはい、悪かったな』

『そんな謝罪があるか!』

『サーセン』

『分かった。このデータは消去してやる』

 親父さんとやらに見せるために、幽霊組と人間組の演奏の映像を編集して作った動画データを【ごみ箱】に放り込む。

 勿論作ったのは富井では無い。生きていた頃に映像系の仕事をしていた富井よりも新米の幽霊が一晩で作ってくれた。

『止めろ馬鹿野郎!』

『馬鹿野郎?』

『俺達が悪った。だから落ち着け!』

『落ち着け?』

 富井はファイルを【ごみ箱】を右クリックしメニューを開き【ごみ箱を空にする】の上にカーソルを合わせた。

『落ち着いてください。お願いします!』

 富井が向けて来る冷酷な眼差しに洋三は、返答次第で必ずやると認めざるを得なかった。




 都内のとある病院の病室。

 ベッドに横たわる老人。仁達三人が憶えている元気だった頃の面影は感じられない。

 げっそりと痩せ細りまるで骨と皮だけというよりも、その骨さえも縮んでしまったかのように小さく感じられ、彼の年齢である七十歳にはとても見えなかった。

 そして仁達が聴かせた曲と浩太朗や洋三の姿に満足し笑みを浮かべて永い眠りに就いたのだった。

 浩太朗と洋三、そして仁と春美と友樹の五人の演奏を一回。そしてついでに入れておいた浩太朗と洋三、そして伝説級の三人による演奏を五回聴いて……実に満足そうな顔をして逝った。


『おやっさーん! どういう事!? どういう事なのか説明してから逝ってくれっ!』

 五人の悲鳴のような声が上がるが、それは富井には知る由もない事であった。



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解説


【ジャズとボサノヴァの区別付かない】:Youtubeでジャズを聴いているつもりだったのに、気付いたらボサノヴァを聴いていた。

何を言っているのか分からないと思うが、俺にも意味が分からなかった。

不安になって「ジャズとボサノヴァの違い」でググったら大量にヒットしたので、自分だけじゃなかったと酷く安心したのを憶えている。

そしてヒットした幾つもの回答だが、それぞれ言ってる事が違ったりしていたので、素人には分からなくて良い事なのだと自分を納得させた。


【パンクバンドと比較していたとしても不思議では無かった】:パンクバンドに対して失礼な話だが、ジャズとボサノバの区別がつかない様な音楽のど素人が「パンクとヘヴィメタの違いって何?」 と質問をなげかけると「技術的に上手いのがヘヴィメタで下

手なのがパンク」と断言される事があるとか無いとか。

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