第六話

【6-1】

 幽霊同士が徹底的なまでに争う事はまずあり得ない。

 それは必ずしも全ての幽霊が仲良くし合っているという意味では無い。

 幽霊は殴り合いの喧嘩をしようにも互いに殴れないので不毛であり、もしオーラを込めて殴り合いになれば互いが消滅する可能性が大きく、これもまた不毛だった。

 しかし幽霊の怒りや不満は時間ですら解決してくれる事は決して無い。

 一度話し合いでは解決出来ないまでに拗れてしまった関係は永遠に修復される事は無く、ただ互いに二度と顔を合わせなくなるだけである……



『トミー、何でそんなに本を読むんだ?』

 実家を出る前に使っていた自室でベッドに寝転がって本を読む富井に、天井に背中で張り付いた姿勢で浩太朗が話しかけた。

 確かにベッドの壁際には本が三十センチ位の高さに四列積み上げられていて、それはこの数日の間に読破した本だった。

『幽霊って固定観念に囚われて新しい発想が出来ないだろ?』

 天井に張り付く浩太朗の姿に顔を顰めながら応じる。

『トミーは違うだろ。俺達には出来ない発想があるじゃないか』

『俺は幽霊としての固定観念に囚われなかったというだけで、何か新しい発想を生み出せるわけじゃない』

『そうか?』

『ああ、新たな発想というより、自分が生きていた頃の経験という引き出しの中の隅々まで捜し出すって感じだ……だから自分の中にはない他人の発想や考えを本を通して頭の中に取り入れてるんだよ』

『へぇ~』

『へぇ~じゃないよ。趣味が学術研究だったり、碁とか将棋なんかの幽霊は、自分に足りない発想力を外から取り入れる努力を欠かさないぞ』

 富井の交友関係の輪は広がっている。


『だったら俺も色々な音楽を聴いて自分の音楽性の幅を広げるのに余念がないぞ』

 ドヤ顔で胸を張る様子にイラっとした富井は本を置いて嘲笑する。

『何をミュージシャン気取りしてんだよ。ロッカー(笑)の癖に』

 ど正論が心に突き刺さった浩太朗は顔を真っ赤にして叫ぶ。

『うるせぇーっ! 今時ミュージシャンなんて言わないんだよ。アーティストだアーティスト! これだから精神年齢オヤジは困る』

『アーティスト? アーティストという大きな区分の中にミュージシャンが存在するんじゃないのか? より細分化され限定されたカテゴリーがあるのに何で態々大きな括りの中に入りたいの? お馬鹿ちゃんですか~?』

 傍観者だった二郎さんが思わず「うわっ」と声を漏らすほどの酷い煽り。正論だけに厭らしい。

『アーティストの方が格好良いからアーティストなんだよ。文句あるのかよ!』

『格好良いから? 小学生かよ。つまりお前は音楽やってる奴。ミュージシャンは格好悪いと思ってるんだな。ロッカー崩れの自分は滅茶苦茶格好悪くて恥ずかしい存在だと自覚してる訳だ』

『何だって!』

『何だじゃねえよ。お前はスパゲティをパスタと呼んでイタリア人に「おいおい、太さに関係無くスパゲッティで統一してるのでさえおかしいのに、日本人は分類下手か」と指さして笑われてろ』

『酷い、酷すぎる。トミーのバ―カ!』

 半泣きで天井をすり抜けて逃げて行く浩太朗。

『良いのか?』と尋ねる二郎さん。

『良いも悪いも事実だし。大体、トミーじゃねえ!』

 二郎さんはそれが本音かと察し『やれやれじゃ……』と肩をすくませる。

 そして富井は読み終えた本をベッドの本の山の上に積み上げ、ベッド脇のチェストの上の本の山から新たな本を手に取った。


 その日を境に浩太朗は富井の元に現れなくなった。



『奴等は子供か?』

 西門 洋三。浩太朗の幼馴染は二人の下らない口喧嘩に対して率直な感想を述べる。

『まあ、そう言うな』

 そう宥める二郎さんも長い幽霊暦の中で軽口から口論に発展し、結果として不倶戴天と書いて「生かしちゃおけない」という関係を築いてしまった事が……何度もあった。

『富井君も色々溜まっていたようだしのう……ほらトミーって呼ばれて何度注意しても浩太朗の奴が止めんじゃろ?』

『分かります! 浩太朗の奴が全部悪い。彼が怒るのも当然ですよ』

『はぁ?』

 いきなりの豹変に二郎さんも驚くが『そう言えばこいつも……』と察しがついて大きく溜息を漏らすしかなかった。


『浩太朗も痛い所を突かれたのだろうが……』

 少し心配そうに呟く。

『スパゲティをパスタと呼んでる事ですか?』

『お前は暫く黙っとれ』

 どうして儂の周りには馬鹿が多いのだろう? 呪われているのかと心配な二郎さんだった。



 二郎さんはこの地元幽霊の顔役として浩太朗の事は生前を通して知っている。

 思い返す若い頃の浩太朗の姿──勉強は出来ず、素行も悪く、家族とも上手くいってない。

『ひかえ目に言ってロクデナシじゃ……』

 思い出すと痛くなるはずの無い頭が痛くなる。しかも今目の前にいるのがそいつの相棒だと思うと……


 浩太朗は十七歳の頃に聴いたヴァン・ヘイレンの曲に強い影響を受けて、高校の仲間と共にバンドを組んで音楽にのめり込んで行った。

 そのままへヴィメタに傾倒する事にはならず、いつの間にかヴィジュアル系に走りJ-POP的な曲を作ったりと迷走していく。

 ボーカルであった彼の特徴の無い顔は意外なほど化粧映えして、ビジュアル系バンドとしての人気は上々であったが、当時メジャーデビュー予備軍のライバル達と比べると、人気に比べて実力では一歩足りてないというのがメンバー達全員の思いだった。

 だが八十年代に入るとへヴィメタ人気が日本でも盛り上がり始めた事が追い風となり、彼等を取り巻く状況も多少は好転し始める。

 ライバル達にメジャーからの声が掛かり始める中、彼等にもメジャーデビューを意識した新しい楽曲を作って見て欲しいと話が来たのだった。


 やっと目の前に来たチャンスに作曲担当でもあった浩太朗は奮起する。しかし努力の空回り状態で肝心のサビの部分が小器用にまとまっているが余韻を引くような深さも重みも無い。

 そんな自分が作る曲に共通する弱点を乗り越える事が出来ずにいた。

 やがて浩太朗は曲を完成させる事なく、忙しいバイトとバンドの練習やライブの生活に加え睡眠時間を削った作曲作業の毎日の為に体調を崩し倒れ、仲間によって発見された時には既に永い眠りに就いていた


 そんな浩太朗が幽霊になれたのは『正直、あの時は自分の才能の限界を思い知らされてメジャーデビューは諦めてたんだよ。本当にメンバーには申し訳なくて死にたいとか思ってたもんで……はっはは』という後悔も無念さも執着もポイ捨てした後だったおかげだった。

 自分の死後にこの話を聞かされた元メンバーの一人である洋三は、消滅しそうになる程にオーラを込めて浩太朗をぶん殴ったのは当然の流れだろう。


 そのことを思い出す洋三。

『はっははじぇねっての……あの馬鹿がそこまで思いつめるほど追い込まれてたのに気づかなかった事はすまないとは思ってるんだけどな』

『そう思うのなら、詫びの代わりにお前が何とかしてやれば良いだろうに』

『それじゃあ、あいつの為にならないですよ』

 冨井と浩太朗だけじゃなくこいつもかと、また溜息が漏れるのだった。



『ロッカー(笑)か……へヴィメタとパンクの区別もつかない様なトミーにもお見通しって事かよ』

 自分が中途半端だって事は浩太朗自身が一番分かっていた。分かっていたからこそ富井の一言は彼の胸の真ん中を撃ち抜いたのだ。

 幽霊として有り余る時間を手に入れても自分にはもう曲を生み出す事は出来ない。

『あの時のサビが今一な曲さえも完成させてやる事は出来ない……もう何にもない、俺の中には曲を生み出す為の何も残ってない……幽霊って辛いなぁ~』

 酒に逃げる事も出来ないのが苦しかった。


『幽霊……もう辞めるか』

 幽霊になってもうすぐ三十年の節目が近づいてきていた。その間ため込み続けて来たモノが何時か自分を悪霊に変えてしまうのでは? という恐怖。そうなるくらいならばと……それが幽霊になった洋三との再会以来、彼の頭の片隅で居座り続けている想いだった。


 浩太朗と洋三、そしてもう三人の五人で始めた。いや浩太朗がメンバーを集めて始めたバンドだった。

 そいて浩太朗の死によって、皆の夢だったメジャーデビューを果たす事無く解散した。

 浩太朗はバラバラになっていくメンバーをずっと見ていた。見ているしか出来なかった。

 二十代半ばで夢に挫折し、厳しい状況で苦闘しながら新しい人生を歩んでいく仲間達を見守る事しか出来なかった。

 全責任がある自分は仲間達を最後まで見守っていく義務があると思っていた。


 そんな仲間達も新しい人生の中で、自分の居場所を確立し、苦労しながらも今ではそれぞれの家庭を築いて生きている。サイモンは死んでしまったが既に幽霊としてやっていけている……『もう幽霊、辞めちまっても良いのか? ──ん!』

 自分の胸の中で揺れ動く何かに浩太朗は反応する。何かとは勿論幽霊専用スマホの事だ。

『どうしたサイモン?』

 手の中に顕現したスマホに話しかける。

『三橋のおやっさんが倒れて病院に運ばれた』

 スマホの向こう側から響く声は妙にひび割れて浩太朗の胸に届いた。




『トミー。頼みがある』

 一月振りに洋三に伴われて現れた浩太朗は神妙な面持ちで頭を下げる。

『断る』

『断るなよ!』

 にべもなく突き放されて固まる浩太朗を押しのけて洋三が吠える。

『俺は持ち込まれた頼み事は三度断る事にしている』

『面倒臭い奴だな!』

 冨井と洋三も流石に付き合いが一年を超えて毎日のように顔を突き合わせている相手に遠慮が無くなっている。

 浩太郎は最初から遠慮が無かったが……


『ちなみに深い意味はない』

 自分の担当の山本の頼みは三度断った挙句、四度目で最終お断りをかましたので言ってる事は全部口から出まかせである。

『本当に面倒臭い奴だな!』

『獅子は生まれて間もない我子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきた子を更に突き落とし、三度目に這い上がって来た子のみを育てると──』

『それ途中の思い付きで三顧の礼を混ぜただろ?』

『べ、別にぃ~』

『……拗ねてるだろ?』

『す、拗ねてねえよ! 俺を拗ねさせたら大したもんだ』

 間違いなく拗ねている富井に洋三は、どうして自分の周りには面倒な奴ばかりなんだろうと、自分の事を棚に上げて溜息を漏らすのだった。


『それで頼みって何だよ?』

 いい加減話が進まないので拗ねた態度を止めた富井。

『曲作りに協力して欲しい』

 いきなり土下座を繰り出す浩太朗。

『それは断る断らないの前に無理だ。俺は音楽に関して何の力にもなれないだろ。象に耳を翼にして空を飛べという様なモノだ』

『また微妙な例えを……』

『そこを何とか頼む。お前の発想力で俺に曲を作る力を与えてくれ』

『力を与えてくれって、それじゃあ神様だ』

『今の俺は悪魔にだって魂を売りたい!』

 どう考えても富井=悪魔だと言っている。

『俺はロックには全く興味が無い。時々ジャズは聴くけどジャズとボサノヴァの区別付かないくらい音楽全般に素養が無いからな』

『安心しろ。俺にはボサノヴァが何かもわからない』

『仮にも音楽をやってたなら分かれよ』

『ソフト帽の事だろ?』

『洋三! ……それはボルサリーノの事だろ。ボしかあってない。もう嫌だこの人達』

 朱に交われば赤くなるというよりも、類は友を呼ぶ。一つ穴の貉。同病相哀れむ……そんな言葉が似合う三人だった。



『──なるほど、つまりは二人が他の仲間達とバンドをやってた頃に色々と助けてくれた恩人が倒れて余命幾ばくと知って、死ぬ前にメジャーデビュー用の未完の曲を完成させて聞かせてやりたいと』

『そうなんだ。おやっさんは自分のライブハウスから俺達をメジャーデビューさせるんだと色々と面倒見てくれて』

『良いバイトなんかも紹介して貰ったよな……』

『打ち上げでもおやっさんが自腹切って半分払ってくれたり』

『マジでお世話になりっぱなしだなお前等』

『挙句の果てにメジャーデビューが見えて来たところでこいつが死んで、結局バンドは解散って……』

『面目ない。本当に申し訳ない。だからこれ以上言わないでお願いします』

 死ぬ前に既に心が折れていた事は冨井には黙っておいて貰いたい浩太朗だった。


『そりゃあ、何とか少しでも恩を返さないとならないよな……人として』

 二人とバンドの仲間達がどれほどおやっさんとやらに力になって貰ったのか、幽霊の念話をもってしても三分間の時間を使った長話にうんざりしながら富井は答えた。

『力を貸してくれないだろうか?』

 洋三の言葉に富井は目を閉じて考え込み、そして目を開くと右手を突き出し親指と人差し指と中指を立てて見せた。


『先ず第一に、生きてた時に完成させられなかった曲を幽霊になって作るのは難しいだろ』

 そう告げると中指を折る。

『うっ……はいそうです』


『そして次に、出来た曲を二人で演奏してか? それで良いのか? 元の仲間と一緒じゃないと意味なくないか?』

 そう言うと人差し指を折る。

『それは…………』

 ボーカルの浩太朗とベースの洋三だけでは流石に厳しかった。


『まあ、詳しい話は後にして、最後に幽霊が弾ける楽器なんて存在するのか?』

 最後の親指も折って拳を作ると腕を下ろした。

『それは問題ない。スマホだって服だって全部自前の幽体を使って賄ってるんだ。ベースくらい何の問題も無い。正直俺の楽器がグランドピアノじゃなくて良かった』

 手の中に派手なペイントのエレキベースを出して見せる洋三に驚くも、流石にグランドピアノのサイズになると無理なんだな~と残念に思う富井だった。



『そうだな一つ目の問題には解決方法は無くもないが、二つ目に関しては間に俺が入って取次ぎをするとしてもだ。説得方法は二人で考えて貰わないとならない。はっきり言ってそこまで面倒は見切れない』


『曲を作る方法があるのかっ!』

 声を荒げる浩太朗に、まだ立てたままの人差し指を左右に振り答える。

『無い訳じゃない。ただし最初から曲を作り直しになる可能性も高いが、そうなった場合は新しい曲を作ったのが浩太朗だとメンバーを納得させるのは難しくなると思う』

『それは後で考える。先ずは方法を教えてくれ。頼む』

 必死に頼み込んでくる浩太朗に富井は尋ねる。


『浩太朗は曲を作る時に自分の頭の中だけでゼロから作るタイプなのか?』

『はぁ? そりゃあそうだろう。他のパクリじゃ自分の曲じゃない』

 作曲に対して自負の念を持っていたのだろう浩太朗が怒る。

『そこが先ず間違ってる。世の中にはモチーフという言葉もあるだろ。曲でも絵でも小説でも何かを表現したいと思う動機や理由の事だ。そこから着想してあらゆる創作物が生まれる。つまりゼロの状態をモチーフを得て一にして、そこから作り上げる。だから自分の中だけで作品の全てを生み出すわけじゃない。見たり聞いたり触れたり五感の全てを通して得て感性で受け入れた自分の外側にある何かの影響で作品は生み出されるんだ……グーグル先生の力を借りれば十分もあれば分かる事だ』

『最後で台無しだな』

 洋三が突っ込むが富井は全く悪びれない。そもそも彼は音楽には大して興味はないのだから。


『モチーフか……俺はそんなの考えた事もなかったけど』

『考えろよ!』

 洋三が叱りつける。浩太朗が深く考えずに閃きやその場のノリだけで曲を作る事は何となくは分かっていたのだが……『まさか全曲、モチーフも無く適当に作曲していたのかよ』

『ほら、俺って天才肌でしょ? やっぱり自分の内側から湧き出るインスピレーションで曲を作るべきで、自分以外の何かからモチーフを得るとかパクリくせえ──』

『馬鹿野郎っ!』

 またパクリと言った富井は浩太朗を殴りつける。

『良いか? モチーフとパクリは違う。どれくらい違うかというとだな。登録商標ってあるだろう。同じ分野の業種で既に使われている同じ商標を使ったら商標権の侵害で訴えられるが、全く違う分野の業種で登録されている商標を使っても侵害に当たらないのと同じだ』

『大丈夫かコイツ? 明らかにおかしな事を言い始めたぞ。何が同じなのかさっぱり分からん』

 洋三は富井に話を持って行った事を後悔し始めていた。


『昔から言われている事で、映画を観て映画を作るな。漫画を読んで漫画を描くな。これは色んなバリエーションがあるが、要するに同じ表現法を使った作品に影響を受けて作られた作品は色んな意味で価値が無いという事だ』

『それは聞いた事があるような──』

『裏を返せば、異なる表現方法の何かからは影響を受けてもOKという事だ』

『駄目だ! こいつに頼ったら駄目だ。俺達は頼るべき相手を間違っちまった!』

『異なる表現方法の無いかからなら影響を受けても全く問題なし……素敵だ?』

『うわぁっ! もう影響受けてやがる』


 洋三を無視して富井は持論を展開していく。

『まあ、色々と言ったが作品なんて全てがとは言わないが、全くのゼロから自分の中にある物だけで作り上げる訳ではないという事だ。だったら何から作品を作るか……とある有名デュオの作曲担当がこう言っていた「移動中に車窓から見える山の稜線を見て曲を作ることがある」と。つまりリズムや音階は自然物や誰か別の意図で作った線や街並みからでも曲は作れるって事だ。そして俺達幽霊はそこから曲を作るための試行錯誤に滅茶苦茶適した存在だ。幽霊には自分の中で曲を作る事が出来ないなら、世の中のありとあらゆるモノを曲にして、その中から最高の曲を選べば良い。幽霊には幽霊に適した幽霊なりの方法があるはずだ。俺が言った方法だけが全てじゃない。幽霊である自分に相応しい方法を自分で探せば良い』

『こいつ散々適当な事を言った挙句に、最後だけなんとなく上手い感じにまとめやがったぞ。しかもドヤ顔で──』

『俺達の曲に相応しいエッジの利いたライン……市場が荒れまくった時の株式のチャート?』

『お前はお前で! 株価チャートで曲を作ろうとするな。生々しい!』

 いつになく暴走する富井と浩太朗に振り回される洋三であった。



『それで曲が出来たとして演奏はどうする気だ? 万一元のメンバーが協力してくれるとしても、彼等は今も演奏に堪える技量を維持しているのか?』

 富井は、もう一つの根本的な問題に言及する。

『万一とか言うな! ……まあレベルは維持していると思う。人前で演奏するのは止めたが俺が死ぬまでは練習は止めて無かった』

 富井の質問に洋三は答えるが表情は曇っている。

『自分が死んだ後は?』

『……暫くして練習は止めちまったよ。だが錆び付くにしても一年だ。今ならすぐに取り戻せるはずだ』

 それは話が違うと思ったが富井は何とか堪えて話を進める。

『厳しい事を聞くけど、そのおやっさんって人の余命は? 説得して練習して元の腕を取り戻すまでにどれくらいかかる?』

『おやっさんは三か月……もって三か月だ』

『もって三か月なら一月半は生きられると仮定する。そして意識を保っていられる期間を一か月とすると──』

『人の命をそんな風に言うな!』

 富井のドライな発言に浩太朗が声を荒げる。

『はあ? 俺は真面目な話をしてるんだ。いい歳して下らない感傷を垂れ流すだけなら他所でやれ』

 怒る浩太朗に対して富井は悪びれた様子を見せるどころか歯牙にもかけない。


『何だと!』

『お前、やる気はあるのか? ……お前が泣こうが喚こうが時間は過ぎて行き時が来ればそのおやっさんは死ぬ。その前に曲を完成させて聞かせる気があるのかと聞いてるんだ』

『あるに決まってるだろ』

『それなら先ずはきっちりとした予定を立てろ。そして予定通りに物事を進めろ。それがお前の目的である恩人への恩返しを果たす可能性を少しでも上げる唯一の方法だ。それとも何か? もって三か月なら三か月間は生きくれるはずだとかクソ甘い奇跡とか信じてるんじゃないだろうな? 現実って奴は非情だ。その非情の結果で俺達は幽霊をやってるんだろ』

 富井が付き付ける現実に浩太朗だけではなく洋三も何一つ言い返す事が出来なかった。

『そもそも俺の言ってる一か月というのは、お前ら二人が準備に必要な最低限の時間からの逆算だ。それに対して実際に彼が死ぬ時期とは彼が精一杯死に立ち向かい戦った結果であって、本人以外に誰にもどうこう言えるものでも無ければ一秒だって後ろに動かせるものでもない』

『ああ……』

『お前、失敗したらおやっさんが死ぬのが早過ぎたと言って彼に責任転嫁する気か?』

『そんな事はしない!』

『だったらお前も全力を尽くせ、目的を果たすまで魂をすり減らすつもりでやれ。一月半も生きていてくれるなんて思うなよ。常に背後にタイムリミットが迫ってると覚悟し前倒しするつもりでやれ』

『お、おう』

『分かった』

 富井の迫力に洋三も頷く。


『そえじゃあ浩太朗は二日で作曲を終える……そうだ歌詞は出来てるのか?』

『歌詞はある。あるけれど弱いと定評のあるサビだけを変更するのか、それとも全部作り直すのかによって状況が変わる』

 自覚はあるようだ。

『嫌な定評だな。それで作詞をするのは誰だ?』

『俺だ』

 肩をすくめて洋三が答える。

『それなら話は簡単だ。メンバー達を説得する方法を考えるのと並行して、浩太朗と協力して曲と歌詞を二日で完成させてくれ』

『簡単に言うなよ』

『簡単に言うさ。そもそも他人事だからな』

『今更、それを言うのか?』

『ロックもヘヴィメタもパンクだろうがバンドには興味ないし、そもそもおやっさんとやらの名前すら知らない状況だから完全に他人事だよ……ああ別に名前は言わなくても良い。成功しても失敗しても死ぬ相手の事を知らされても重たいだけだ。彼の事はお前達が憶えて置けば良いだろ』

 富井の態度を洋三は冷たいと感じたようだが、浩太朗は『クール! トミーまじクール』と訳の分からない感動をしていた。



 翌日の夜、浩太朗と洋三が富井の元を訪れる。

『これから送る動画と楽譜のファイルをSDカードに入れて、この住所に送ってくれ』

『早いな』

 実質一日で完成させた事に富井は驚いていた。

『全力でやったからな。それから中身は見るなよ。絶対にだ!』

 富井は強い剣幕でそういう浩太朗に、眉を顰めながら洋三を見る。

『こいつが本物だと分からせるだけの説得力のある話となるとガチで下ネタになるからな……』

『絶対に見ないというか観たくないから安心しろ。下ネタ野郎』

 察しがついた富井はそう吐き捨てた。


『うるせぇっ! 男なんてみんなスケベなんだよ。そしてお前みたいムッツリが一番スケベだ』

 富井は洋三を振り返って『見栄を張って建前を取り繕う事すら放棄したこいつを見てどう思う?』と尋ねる。

 答えは『やせ我慢してでも見栄を張るのが男だろう。こいつは男じゃねえ』だった。

『……二人とも俺に冷たくない?』

 今まで冷たくなかったとでも思っていたのだろうか? これからはもう少し分かり易く接した方が彼の為だろうか? などと二人は真剣に考えた。


『それで完成した曲はどうなんだ?』

『はっきり言って今までで一番の出来だ。一番の出来だが……この馬鹿野郎が結局為替チャートで曲を作りやがった』

『だってサイモンが株は止めろというからさ』

『サイモンじゃねえ! 大体な株も為替も大して変わらねえよ。そんなもんにロックの魂があると思ってるのか?』

『金を掴むか自分が飛ぶか、欲と意地と命を懸けてのぶつかり合いにより刻まれる乱高下のラインは、まさに魂を震わせるロックじゃないか』

『聞いたか? こいつ本気で言ってるんだぜ』

『俺にはロックは分からんが、本人が納得して良い曲が出来たなら良いんじゃないの?』

 本当に興味が無いので富井は適当に流す。

『お前は少しは興味を持てよ』

 流石に富井の無理解と言うか理解する気の無い態度に怒る。


『俺はゲームのBGMに使われるような、長時間、何度も聞かされても耳障りにならない程度にプレイヤーに気を使ったロックが好きだ』

『そんなのロックじゃねえ馬鹿野郎! 何だ。もういじりの矛先は俺か? 早いだろ!』

『そもそもロックとかパンクとかヘヴィメタとか違いって何なんだ? あとデスメタルとか』

『話逸らすな! 大体、本気で聞く気あるのか? その辺の話をしたら俺の話は長いぞ。五十代の長話は八十代の無駄に長い話とは違って細かく内容ぎっしり詰まってるから辛ぞ』

『一分で分かるロックの系譜でヒットしないかな?』

『自分で振っておいて、無視してググるってどういうつもりだ? しかもお前の興味の限界は一分かよ!』

 今日の富井は絶好調だった。



  その後、富井は少し離れた大手リサイクルショップへ行き、一番安かった新古品の十六ギガのSDカードを十枚購入し、自分の幽霊専用スマホからデータをコピーすると、日付をまたいだ後だが相手先である三人の地元の集配普通局のポストに速達料金分の切手を貼り、封筒の上部の縁に沿って三分の二ほどの長さの赤い線を右寄せで引いて投函したので、その日の内にSDカード入りの手紙は配達される事になった。

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