【5-2】

 一度キャンピングカーに戻って縁を寝かしつける。そして洋三に縁を見てもらうように頼むとドライブレコーダーからSDカード抜いてフードコートのある建物に戻り、真っすぐ三人に向かってゆっくりと近づいて行く。

『何だよお前』

 同じ年頃の三人の内の小柄だがTシャツの袖から出ている腕の太さや生地を押し広げている胸板から、格闘技か何かやってそうなマッチョな奴が睨み付けながら威嚇する様に声を張る──富井は彼を小マッチョと呼ぶことにした。

『先程振りだね。君達の素敵な運転には感激して、ドライブレコーダーの映像を警察に提出したくなったよ』

『ふざけるな馬鹿!』

 こちらは中世的な顔立ちでほっそりとした身体つき、一見アイドル系みたいだが、甲高い声でキャンキャン吠える口元にどこか下品さを感じる──彼の事はアイドル崩れと呼ぶことにした。

『一つ前のインターの合流地点でお前らに車をぶつけられそうになった可哀想な男だよ。自分が可哀想過ぎて警察の力を借りたくなるくらいだ』

『ドライブレコーダーの映像だけで警察が動くとでも?』

『今のご時世だ。それに前後の映像を録画してあるから証拠能力は高いから心配無用だ』

 富井の言葉に顔を歪ませて舌打ちした男は、あまり特徴の無い眼鏡の男──もうどうしようもなくメガネ君に他ならなかった。



『一体なんだってあんな無謀な運転をしたんだ?』

 取りあえず話を聞く姿勢はあると勘違いさせる富井だった。


 三人は互いに無言で視線を交わすと小さく、しかし同時に肯いた。

『こいつら何か予め打ち合わせてたんじゃないか?』

 浩太郎がそう疑うような態度だった。


『実は、自分達ともう一人で山に肝試しに行ったんです』

 アイドル崩れが口調を改めて話し始める。改め過ぎて気持ち悪い態度に冨井も疑いを持つ。

『そうしたら本当に幽霊が出たんです』

 小マッチョも口調が全く変わっている。これは警察に説明するための作り話し用の演技なのだと確信を持った。


「幽霊? 何を馬鹿な事を」

 富井はそう言って笑う。笑うはずである人気に無い山の中には幽霊などいない。

 もし一人で山の中で過ごすのが好きだった人間が死んで幽霊になったとしても、そもそも何日も生きた人間と接触が無ければ幽霊はオーラの欠乏が始まり最終的には消滅する。

 しかも幽霊は簡単に人の目に見えてしまうような存在ではない。

『こいつら俺の姿も見えてないのに幽霊相手に幽霊が出たとか馬鹿だよ』

 浩太郎には大うけである。


「本当なんです。幽霊に襲われて俺達は必死に車まで逃げて、その場から逃げ出したんだけど、気づけば一人連れがいなことに気づいたんです」

 必死に真面目な態度で話すが、少し前にお前呼ばわりや、馬鹿、舌打ちをした相手にやる演技じゃないだろうと内心苦笑い。


「連れってどんな奴だ?」

「今日知り合って意気投合して肝試しに行くことになったんで詳しくは知りません」

「まあ、誰だとしても探しに行かないと駄目だろ。この時期、深夜の山に一人取り残すなんて危険すぎる。熊が出ることだってあるだろ」

 そう話す富井に対して三人は怯えたように首を横に振った。


「嫌だ。あそこには戻りたくない」

「呪い殺されるよ!」

「無理だ。絶対に無理だ」

 口々にそう語る三人の演技過剰さに富井と浩太朗はウンザリしてきた。


「それなら俺が行ってピックアップするから、正確な場所を教えろ。早く助けないと本当にシャレにならない事態になるぞ」

 富井も三人に比べて演技が美味いわけではなかった。

『はっきり言って大根だねトミー』と大笑いしている。


「止めた方が良い。あんたも幽霊に襲われるぞ!」

「危険だ! 本当にあの場所はヤバいんだ」

 小マッチョとアイドル崩れが形だけは説得らしい事を口にする。


「大丈夫だ。仕事柄お化けとかそういうのは全く怖いと思わない。気にしなければ何でもない」

 実際、幽霊は富井に対してかなり友好的なので、悪霊を除けば怖いと思う要素は無かった。

「仕事柄って一体?」

「何者なんだ。あんた?」

 彼らのシナリオを逸脱したのだろう。小マッチョの口調は元に戻っていた。


「俺はある雑誌でライターをやって居る」

 嘘ではないがかなりグレーな発言だ。

 確かに英語では作家もライターである。日本では一般的にライターと言えば記者のイメージが強い。

 だがこの発言には意味があった。まさしく彼の事を記者であると思わせるための罠だった。


 富井の罠にかかってしまった三人は顔を強張らせる。

 悪い事に彼らは頭の中で雑誌を週刊誌と勝手に変換してしまったのだった。

 週刊誌の記者と言えば秘密を抱える人間にとってはある意味警察よりも恐ろしい存在である

 三人は再び無言で視線を交わし合う。そして最終的に小さく首を振ったメガネ君が彼らのリーダーであると確信する。

 もっとも幽霊達が調べた情報でとっくに分かっていた事だが。


「俺が探しに行くから早く場所を教えろ。手遅れになったら責任をとれるのか!」

 そろそろ周囲にも状況を伝えた方が良いと判断した富井は声を張って話した。

「だ、だけど」

 シナリオ崩壊後、小マッチョはアドリブが利かずにただ言い淀むだけだった。

「じゃあお前が教えろ」

 未だ冷静さを残しているメガネ君を避けて、今度はアイドル崩れにプレッシャーをかける。

「そんな事を言われても……」


「お前ら、人を深夜の山の中に置き去りにしてきたんだぞ。少しは責任を感じたらどうなんだ? その子が今どんな危険に晒されてると思ってるんだ!」

 最高潮である。周囲の視線もこちらに釘付けであり、この状況にメガネ君は口元を歪めながら何とか耐え忍んでいる状況で、性別も言ってない相手の事を「その子」と冨井が呼んでる事にすら気付いていない。


「いい加減にしろよ。その場所を話す事が出来ない理由があるのか? 俺に見られたらマズイ何かがあるのか?」

 畳みかける様とすると「違う。そんなものは無い」と間髪入れずにメガネ君が富井の言葉を否定する。


「どちらにしても自分達で助けに戻るのは怖いから嫌。俺が助けに行くのも嫌。それならもう警察を呼ぶしかないだろう。お前らがどんな言い訳をしても女の子を置き去りにしたという責任からは逃れられない」

 メガネ君が「女の子」という言葉にも反応出来ないのを確認して富井は本題に切り込む。


「お前らさ、その女の子を山の中で突き落して殺して逃げたんだろ? それを誤魔化して時間稼ぎするのに幽霊を見たとか嘘ついてるんだろ……ん?」

 冨井がそう口にした瞬間、悪霊手前の少女の俯いていた頭が僅かに持ち上げる。

『もしかして……ロックオン?』

 汗は出ない。出ないが心が汗をかくそんな心境に富井は陥る。

 しかし反応したのは一瞬だけで、すぐに何事も無かったかのように元通りに俯く。

『こりゃあヤバイ。下手な事を口にしてこちらに興味が移ったら……死ぬ。もう死んでるけど幽霊的にも死ぬ』

 浩太朗も完全に腰が引けていた。


「な、何いい加減な事を言ってるんだよ?」

「変なこと言うと訴えるぞ!」

「そ、そうだおっさん、名誉棄損だぞ!」

 流石に本陣を攻められて黙って居られるはずもなかった。

 しかし最後の抵抗と反論する様子は明らかに挙動不審である。

 しかし彼等を犯人として警察に逮捕させるにはまだ決め手が欠けていた。

 メガネ君が冷静さを取り戻したら、切り抜ける可能性は高くはないが無くもなかった。

 何としてもこの場で三人を逮捕させ、彼女にはロックオンを解除して成仏して貰いたかった。



「違う! 冗談だよ。そいつを騙して遊ぶ冗談だったんだよ」

 アイドル崩れは苦し紛れにそう口にしただけなのだろう。だがそれにメガネ君は素早く同調した。

「そうだ。冗談なのにそいつがマジになって、迷惑してるんだよ!」

「冗談を本気にして馬鹿じゃないの?」と小マッチョも空かさず流れに乗る。。


 胡散臭い言い訳な上に演技力に問題があるが一定の説得力もある。

 だが思い付きの言い訳にしては出来が良くても、幽霊である富井は一瞬の間に熟考が可能であり、話の粗を探し出して即答でそこを突く事が可能だった。


「騙すなら、捜しに行くと言った俺に嘘の場所を教えれば良いだけだ。そして騙された俺を笑えば良かった。だがお前等はそれを受け入れなかった。俺に嘘の場所を教える事が出来なかった。そして本当の場所を教える事も出来なかった理由は何だ?」

 メガネ君は何も言い返せなかった。アイドル崩れの苦し紛れの話に乗っかってしまったのは彼にとってミスだろう。

 だが言い返さないのは冨井には都合が悪かった。

 雄弁は銀、沈黙は金と言うが話を引き出して真実を明らかにするのが目的の富井にとってここでの、相手のだんまりは致命的だった。

『仕方がない。切り札を切る』

 富井の言葉に浩太朗はそっと目を逸らして『大根の役者のトミーには荷が重いよ』と呟いた。


「お前ら気付いて無い様だが、俺はお前らから置き去りにした相手の事を男とも女とも聞いていなのに俺は女の子と呼んでいた。この件自体が作り話なら、何故それを否定もせずにいたんだ?」

「言わなかっただけで女の子という設定の話なんだよ」

「どうせ騙すなら、設定通りに女の子と言った方が騙され易いだろう言わない理由があるのか?」

「それは……」

 勢いで口にしたもののそもそもノープランでは幽霊相手には勝てるはずがなかった。

『どうしたメガネ君。君がだんまりを決めても仲間が襤褸を出すだけだぞ』そう胸の裡で呟く。



「どうせ乱暴目的で女の子を強引に車に乗せて山まで連れて行き、襲おうとして逃げられて追い回した挙句に転落死させた──」

 その時小マッチョが妙な反応を示したのがひっかり、改めて考えてみると女の子が悪霊になろうとするほどの恨みを持つには殺されたと考えるのが自然だと判断し「いや違うな捕まえようとして誤って突き飛ばす形にでもなったんだろう」と告げた。


 三人組が作り話までして時間稼ぎをしようとしたのは死亡時間の幅が広がる時間が欲しかったのだろうと当たりをつける富井。

 逮捕され裁判になっても、女の子の死亡時間に明らかに現場にいたはずというよりも、死亡時間内に現場にいたかもしれないとでは状況が違うと判断舌のだった。

 後者の場合は作り話との合わせ技で女の子の死とは直接的に関与していないという方向にもっていけるとでも思ったのだろう。



「何故それを知ってるんだ?」

 事実を突きつけられて思わず小マッチョは、そう口にしてしまったが、まだ明確に事実を認めた訳ではなかった。

 事実か事実ではないかは関係なく、お前がそんな事を知ってると言えることがおかしいから、そう言っただけとでも言い訳されたら意味がなくなってしまう。

 やりたくなかったが、やるべき時がきたと富井は覚悟した。


「さてね? お前たちに追い込まれ死んだ。いや殺された子は年頃は高校生くらい、髪の丈は──」

 そう言いながら、耳の高さ辺りに置いた両手をゆっくりと撫で下ろすように下げていく。

「そうこれ位の長さだった」

 三人の表情を読んで反応を強く感じた位置で手を下げるのを止めた。

 下手糞なコールドリーディングの手法だが、幽霊の観察力とそして一度見たものを一瞬で何度でも確認出来る幽霊には僅かな反応で

も十分だった。

 別にそんな真似をしなくても悪霊のなりかけの女の子の姿を見ればわかる事だが、大根なりにリアリティが欲しかったのだろう。


「うっ!」

 三人が呻く様に声出した。

 小マッチョとアイドル崩れは完全に騙され驚きの声だが、メガネ君は自分の表情を読まれたのかという呻きだった


 調子に乗った富井はさらに続ける。

「他の特徴は……黒子なんてあったかな?」

 メガネ君は完全に表情を殺しているが、他の二人は驚きで感情を抑えきれずに分かりやすい反応をした。

「そうそうあったな。場所は──」

 思い出すような素振りを見せながら、額の上の生え際の辺りに人差し指の先を添え、そして生え際をなぞる様にして下へと動かしていくと揉み上げに達したところで小マッチョとアイドル崩れが反応を示す。さらに揉み上げから目元の方へと頬骨の辺りで更に強く反応を示す。


「左右どちらかは忘れたが確かに泣き黒子があった」

 目元となどと具体的に場所を指定するよりも泣き黒子の方が範囲が広いので都合が良かった。


「糞っ! わざとらしいコールドリーディングの真似なんかしやがって」

 どうやらメガネ君は富井にコールドリーディングは出来ないと判断したようだ。

「お前は全部見てたんだろう! 見てたのにあの女が崖から落ちて死ぬを黙ってみてたんだ。お前も同罪だよ! その癖に正義面とか笑わせるな!!」

 富井に対する怒りで全てをぶちまけてしまったメガネ君は、周囲の人たちに取り押さえられる。

「畜生! 放せ! 俺はやってないんだ。殺したのはこいつだ!」

 メガネ君は叫びながらアイドル崩れを指さすのであった。


 頭の中で「聖母たちのララバイ」のサビを繰り返し再生しながら、やってしまった言わんばかりの苦々しい表情で天井を見上げる富井。

『どうすればいいんだよ?』

『そうだねあんな下手糞な演技じゃ、コールドリーディングで犯行内容を暴いたなんて言っても警察も信じないしね』

『演技は下手糞でも、コールドリーディングはちゃんとやったから、奴らの反応を見てちゃんと判断出来た。警察に突っ込まれても多分何とかなる』


 三人組は周囲を客だけじゃなく店のスタッフまでに囲まれ逃げる事も出来ずに床に座り込んでしまっている。

 それ以前に、彼等の事は既にSNS等にアップされており、個人を特定されるのも時間の問題であり逃げても無駄だった。

 そして富井も逃げ出したかったが、彼もまた包囲の内側に居るので逃げ出せなかった。


『トミー。もうネットでは迷探偵登場って騒がれてるぞ。迷う方の迷探偵だけど』

 笑いながら話す姿を富井は忌々し気に見つめる。

『あのコールドリーディングは無いだってよ』

『うるせーよ。俺はちゃんとコールドリーディングしたの』

『だったらどうして落ち込んでるんだよ?』

『警察が来たら拘束されるだろうなあ~』

『それか!』

『縁が寂しがるだろう? どうすりゃ良いんだよ。あのメガネめ余計な事言いやがって。俺にも疑いが向いたじゃないか』

『どうせ、出発時に会ってる担当の山本が証言して、それからETC履歴を確認したら出発時間と東京からずっと高速に乗ってたことがわかるんだから、すぐに釈放されるだろ』



 やがて警察がやって来た。

 その場で簡単に聴取を受ける三人組は、諦めがついたのだろう大人しく罪を白状し、順に手錠を掛けられていく。

 その様子に悪霊なりかけの女の子も満足したようで、再び富井に視線を合わせるとゆっくりと頭を下げると、そのまま空気に溶け込む様に消え去った。

 最後に『ありがとう』という声が聞こえたような気がしたのだった。

『いや、普通にありがとうと言ってたから』

 勝手に自分の心のモノローグを語る浩太朗に突っ込みを入れる富井。


『結果オーライ。良い事したな~』と思いながらその場を立ち去ろうとする彼の肩は背後から掴まれ。

「少し事情を聞かせて貰っていいでしょうか?」と丁寧に口調だが、有無を言わさず拘束されるのだった。


 今度は「ドナドナ」を頭の中に鳴り響かせる辺り、まだ余裕はあるようだ。



 やはり三人組の証言から得られた彼の不審な行動への質疑が行われた。

 しかし彼は自信をもってコールドリーディングで強引に押し切った。


 証拠として刑事相手にコールドリーディングを披露した。

 完全に富井に対して心を閉ざして、少しも情報を与えない様にひ表情の変化に気を付けて会話を進めるプロでも難しい状況でも富井は的中させる事で認められて二時間後に釈放となった。


 どんなに富井の言動を怪しいと判断しても、決定的な証拠が無いどころか犯行時にNシステムやETC履歴でアリバイは成立していた。

 また犯人の三人は口を揃えて富井との面識については否定しており、しかも事件自体は犯人の自供で既に全貌が判明している。

 そんな状況で事件解決の協力した善意の第三者でしかない彼をこれ以上拘束するのは警察としても不可能だった。

 その事を知らない富井は『コールドリーディングで乗り切れた。やっぱり俺の演技は完璧だった』と勝手に思い込んでいた。


「あなたのコールドリーディングは凄いが、それ以上に胡散臭い。わざとやってるんじゃないかと思うくらい胡散臭い失礼な!

 胡散臭いから疑ったのだからお前のせいだと言わんばかりだった。」

「失礼な」

「そして一つ分からないのが被害者の年の頃を高校生と的中さたのが分からない。髪の長さや黒子と違って何も誘導せずに当てている。アレは何だったんですか?」

「あれは簡単ですよ。あれは高校生くらいなんですから中学生でも大学生でも正解なんですよ。そして小学生は流石に範囲外だろうし社会人女性があんな奴らを相手にする可能性は低いでしょ。八割九割の自信があるなら言ったもの勝ちですよ」

「やられたな~」

 富井のぶっちゃけた話に刑事も笑うしか無かった。



 取調室を出ると待っていた縁が走り寄って来て腰のあたりにしがみ付いて来た。

「ヒロちゃん! ヒロちゃん!」

 自分の名前を連呼しながら頭をぐりぐりと押し付けてくるので、富井は一言「ただいま」と告げ、縁の頭を強めに何度も撫で続ける。


「そういえば富井さん。あなた彼等に自分は週刊誌の記者だと言ったそうですね?」

 縁が落ち着くのを待っていたのだろうか聴取に当たっていた刑事がそう話しかけてきた。

 解放されて気が緩んだところを狙ったのだろうが、冨井もその事に気付いており油断なく対応する。

「自分は、雑誌のライターだと言っただけですよ」

「ライター? 記者ではないと?」

「月刊誌にエッセイみたいのを寄稿してるライターです。まあ彼等が勘違いする様に仕向けたのは事実ですが嘘は言ってません」

 刑事もライターを記者と思っていたようで「なるほど」と納得する。

「それでどんな雑誌に?」

 聞かれたくない質問に戸惑い嫌々ながら答える。

「ナイスミドルという──」

「ああ、あの幽霊日誌の」

 思わぬ単語にぎくりと身体を震わせる。

「そう言えばあなたはどんなエッセイを?」

「…………」

「ヒロちゃんはゆ~れいにっきを書いてるの!」

 思わず日記じゃなく日誌だよと突っ込みそうになったが、それ以上に『何で言っちゃうの!』と突っ込みたかった。

「えっ、何て言ったんですか?」

「その幽霊日誌を……書いてます……」

 仕方なく認めるしかなかった。

「えっ! ゴーストライター先生ですか……あなたが?」

「せ、先生!?」

 編集部の人間にしか呼ばれたことの無い。そして編集部の人間から呼ばれてもくすぐったいというより気持ち悪く感じている呼ばれ方を警察の人間にされてビビってしまう。

「ブログの方の【幽霊達が選ぶ 死んでも食べたいメニュー】と、雑誌の出張版は必ず確認してますよ」


 この頃になると富井を介して発表されるグルメ情報は全国規模に広がっていて、一日に紹介される件数も更に増えている。

 そうなるとタイトルの【無名店の美味しいメニュー】という縛りが新たな情報提供の障害となっていて、幽霊達ももっと広い視点で情報を発したいと希望する様になり、その要望に応えて有名無名にかかわらず紹介する価値のあるメニューを紹介するためにタイトルも【幽霊達が選ぶ 死んでも食べたいメニュー】へと変更したのだった。


 短期間で富井の【幽霊達が選ぶ 死んでも食べたいメニュー】が社会に与える影響力は既存の大手グルメ情報サイトをも上回る勢いを持つようになる。

 情報量としては現段階ではそれらに比べて圧倒的に少ないが、ユーザーをウンザリさせる意味不明な評価点数の大手グルメ情報サイトと、幽霊達が文字通り自らの名前と誇りを懸けて行うレビューとでは情報の信用度が隔絶していた。


 店側もメニューが紹介されれば確実に客足に影響する事から、一度紹介された店ほど新メニューの開発や既存のメニューのブラッシュアップに余念が無くメニュー全体の水準が向上しているそれらの店は最早無名店ではなく人気有名店と認識される様になってしまっている事もタイトル変更の理由の一つだった。


 一方、この状況に有名店や大手フランチャイズも胡坐をかいていられなくなった。

 今までは無名店だから紹介されないという言い訳が出来たが、今や富井のブログで紹介されないという事は紹介するに値するメニューが無いと見做されてしまう。

 現状での売り上げへの影響はコンマ数パーセント程度で少ないように思うかもしれないが、その数字が示す予兆を見逃すような経営者は無能のレッテルを貼られるだろう。

 既に大手フランチャイズも新メニュー開発競争に加わり始めている。結果として日本各地の店で料理の質が向上し始めていたのだ。

 一部の老舗有名店は客層の違いから未だ安穏としているが幽霊達の魔の手は彼らにもゆっくりと迫っているのであった。


 だが全てが新メニューの開発や既存のメニューの質の向上への取り組みへの意欲を持っている訳ではない

 それらの努力を怠った者達は、大手グルメ情報サイト結託し別の方向へと労力を傾けて行くのだが、それはまた別の話である。


「……それは光栄ですね。後ですね私がゴーストライターであるという事は他言無用でお願いします。もし名前や顔がバレると取材にも影響があるので本当にお願いします」

 もしも警察官としての守秘義務違反を犯してリークした場合は相応の報いをくれてやる事になる……幽霊達が。

 彼の公私に渡る行動の全て風呂からトイレ、布団の中まで全て覗いた上で警察官として処罰対象になる行動を見つけ出して、全ての証拠を富井に送り付けるだろう。一部の国家諜報機関レベルでなければ発信元の追跡が不可能な方法と共に。

 そして富井も自分の安全が確保されているのなら躊躇うことの無い男だった。


「そうでしたね。フランスのタイヤ屋さんも覆面調査員でしたよね。分かりました。守秘義務もありますので先生の迷惑になる様な事は絶対にいたしません」

 そう言って敬礼する姿に安心する一方で刑事の態度の豹変ぶりに富井は引く、そして更に幽霊達が集めた情報の持つ影響力に助けられるだけの自分を疚しいとすら感じた。


 そんなと富井の心情とは関係なく彼のファンだった刑事は、それまでの顰めっ面から笑顔で愛想良く話しかけてくる。

「先生。この辺でまだ発表されてない良いメニューのある店はありませんか?」

 まだ【無名店の美味いメニュー】頃に、この町の店を一度ブログで紹介した事があったが、そこは既に昼時は満員で中々入れない店になっていた。

「……ありますね。アップするのはまだ先の予定ですが二軒ほど……ただし夜営業の店ですが」

「ランチよりそっちの方が大事! お願いします教えてくれませんか?」

「良いですけど、その店の事を他人に教えるのは良いですが、僕から聞いたとは言わないでください。それに自力で見つけたと言った方が自慢出来るでしょう」

「ありがとうございます!」

 富井の手を両手で握って何度も頭を下げる。

「ここの地元の曾海さんという幽霊が──」

「そかい?」

「そうです刑事さんと同じ曾海さんです。こっちでは多い名字なんですか?」

「いえ、まあ、そんなところですね……」




 笑顔で富井を見送った後、曾海刑事は表情を曇らせる。

「曾海なんて名乗ってるのは日本ではウチの親戚関係位だぞ……」

 富井が言う幽霊の下の名前を聞かなかった事を後悔するが、一月後にフライングで教えて貰った店がブログで発表され、紹介者の名前を見て心臓を掴まれたような衝撃に襲われた。

「曾海……茂春……だと? 彼は何者なんだ……まさか本当に……幽霊を?」

 紹介者として記されていたのは疑い様も無く十年以上前に死んだ彼の父親の名前だった。

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