第五話
【5-1】
墓には幽霊はいない。似た様な事を唄ったヒット曲があったが別に感動するような理由がある訳では無い。
生きてる時に興味が無かったり、嫌だったりする場所に幽霊になったからといって行くはずが無い。
幽霊は人間だった頃と同じく夜の墓場を気味が悪いと感じる。心は生きている人間と何ら変わりはないのだ。
だが夏の真夜中の墓場に面白半分で行くなら覚悟をしておくべきだ。生きている人間が怖がるために墓場に行くのなら、己の存在を懸けてでも脅かしに行くのが幽霊の存在意義でもある……
松村 孝弘 1992-2010 日本
「……僕は幽霊が嫌いになりそうです」
ナイスミドル編集の山本は、疲れたように原稿を机の上に戻すと、そう漏らした。
「単にサービス精神旺盛なだけだよ」
幽霊に関して理解を広めるのも目的であるので、富井はすかさずフォローを入れる。
「大体、存在を懸けてって何ですか?」
「文字通り、幽霊として消滅してしまうって事。それだけ姿を現すとか音を出すとかは幽霊にとって大変な事なんだよ」
「何で? 意味わからないんですけど、どうして脅かす為に命懸けてしまうんですか?」
「それが幽霊の生き様ってやつなんじゃない?」
嘘である。しかし富井には本当の事が言えなかった。恐怖に震える人間から発せられるオーラが一部の幽霊にとって自らの存在を懸けるに能う最高のご褒美だとは……それを言ったらもっと幽霊の評価は下がるだろう。
「設定に無理がありすぎますよ。確かに話の前半は正論だと思いましたけどオチは最低ですね……ああ話の持って行き方の問題じゃなく幽霊が最低って意味ですよ」
「設定言うな! オチ言うな! 俺は全て本当の事しか書いてないからな」
「という事にしておいてあげますよ。僕は担当ですから」
「俺は一部の幽霊達にネタバレするなと叱られてるんだぞ! それなのにその言い草は何だ?」
「叱られる事くらいなんですか、僕だって毎日デスクに叱られてますよ!」
「……それは叱られない様にしろよ」
「先ずは沢山叱られて上手い言い訳のスキルを上げるんですよ」
「お願いだから誰かと担当代わって貰えない?」
「そう言えば今月もまたキャンピングカーで旅に出るんですか?」
今月もある意味白熱した打ち合わせを終え、茶を飲みんがら山本が話を切り出して来た。
「ああ行くよ。色々取材しておかないとネタ切れになるから」
富井の目的は地方在住の幽霊達との触れ合いだった。
「じゃあ、今回は僕も同行して良いで──」
「断る」
最後まで言わせる事すら許さなかった。山本が旅に同行するなど富井にとって迷惑以外の何ものでもない。
「一応、編集長から同行取材をネタに一本仕上げろと言われてきてるんですよ」
「だが断る」
「もう僕のスケジュールが空けてあってですね」
「この際だから、たまってる有給休暇を使ってゆっくりしろよ」
「そんなに有休残ってないんですよ」
「どうせ寝坊して遅刻になるよりはと午前半休にして有休を消費したんだろ……駄目サラリーマンの典型だな」
「余計なお世話ですよ!」
取り付く島の無い富井だが山本もなかなか引き下がらない。
「大体、同行するってどうやって着いて来る気だ?」
「先生のキャンピングカーに──」
「悪いがあれは縁と俺の二人用だ」
「でも──」
「話にならん」
食い気味に突っ込んで相手に何も言わせない幽霊の思考の速さを考えれば当然の結果だった。
「連れて行ってくださいよ~」
駄々っ子の様にテーブルの端を両手でつかんでガタガタと揺らし始める。
「原稿は見せる。だがそれ以上は見せぬ」
「そんな~」
「ニュースソースや取材方法は秘匿なのが当然だろ」
「じゃあ先生から編集長に言ってくださいよ」
もう泣きが入った山本に「それじゃあ餓鬼の使い以下だよ」ときっちり止めを刺した。
富井の担当編集者を置き去りにした今回の旅は四国一周だった。
幽霊なのにと言うよりは幽霊なので八十八か所めぐりには興味はない。
深夜の高速を西へとキャンピングカーを走らせる。
担当の山本君は、最後まで取材旅行に付いて来ようとして家まで押し掛けてきたが無視して出発した。
東名高速道路を西へと走る車内には、デッドニングしてもまだ残るロードノイズとエンジン音だけが響いている。
縁は走っている車の中ならいつでも熟睡出来るのでチャイルドシートの中で立てている寝息はロードノイズとエンジン音にかき消されるのだった。
『あの事故からもう一年……大きくなったな。もう四歳だもんな』
チャイルドシートは彼女の成長に合わせて大きなサイズの物を買い直した。
日々成長していくその姿を、たった一人の家族として見守っていかなければならないという使命感を覚える一方で、いつの日にか自分を追い抜いて行く彼女の時間を思うと富井の胸は締め付けられるような痛みを感じた気がするのだった。
深夜の移動の移動を選んだのは道が空いていて走り易いのもあるが、朝市を見て回りこの時期旬の桜えびを堪能するつもりだった。
生桜えび丼や桜えびのかき揚げ。他に獲れたての新鮮な魚介による海鮮料理を味わうためだった。
朝市のメニューはおっさん向きと思わているが、女性客もかなり多く冨井にとっては外す事の出来ない場所だった。
『海鮮カレーも外せないな』
まだブログにも掲載していないがメールで送られて来た中には富井が惹かれる海鮮カレーの情報もあったのだ。
富井の注意力が一瞬殺がれた瞬間、料金所からのスロープを暴走ともいう速度で上がってきた黒のクーペが激しくクラクションを鳴らしながら走行レーンに割り込んでくる。
「畜生っ!」
そう叫びながらも、あわや接触と言う状況を冷静に回避した。幽霊としての知覚能力を持つ富井でなければ会費は不可能であっただろう。
「うぅ~」
回避するために車体が大きく揺れた事で縁が目を覚ましてしまった。
「車揺らしてごめんね」
慌てて謝る富井にまだ寝惚けている縁はあたりをぼおっとしながらチャイルドシートの中で周囲を見回し、富井を見つけてニッコリと笑った。
「おはようヒロちゃん」
「おはよう縁」
そう挨拶を交わした後で「朝じゃないね」と笑う縁に、先程の馬鹿なドライバーへの怒りも忘れてしまう富井だった。
『相変わらず仲がいいな』
キャンピングカーの天井から逆さに首だけを突き出す浩太朗。
『俺は自分の娘だってこんなに懐いた事は無かったのに……』
『サイモンは顔が怖いからな~』
『顔が怖いと駄目なのか? 人間は中身だろ中身!』
「白いのうるさい!」
騒ぐ二人を縁が一喝した。
「縁、二人が何話してるのかちゃんと聞こえてるの?」
「聞こえてるよ。何言ってるのか分からないけど」
『本当にこの子何者?』
『富井君の姪っ子だろ』
『そう言われると凄く納得出来る』
「黙ってろお前ら……縁、あの二人の事を白いのって言ってたけどどう見えてるの?」
「う~んとね、白くてぼわっとしてるの」
「そうか凄いね。でも白いのが見えても話しかけたら駄目だよ」
「話しかけないけど何で?」
最近はある程度慣れてきたので、多少の事で噛み付こうとはしないくらいの関係性は成立しているが、縁から幽霊達に話しかける事は無い。
「今みたいにうるさいとか叫んでも、周りにいる他の人にはお化けは目見えないんだ。だからいきなり縁が叫んだら自分が叱られたと思ってびっくりしちゃうでしょ?」
「見えないの?」
不思議そうに首を傾げる。
「見えないんだよ。だからお化けが見えるのは縁と二人だけの秘密だよ」
「ヒロちゃんとだけの?」
「そうだよ」
「おお~」
何やら感慨深げに肯くのだった。
『こりゃあ叔父さん大好きっ子に育ちますわ』
『俺もこれくらい娘に好かれていれば……』
『もう愛情の行く先が縁への家族愛一点張りだからなぁ~』
生きていた頃はあまり結婚とかを考えた事は無かったが、結婚出来ない今の状況になって寂しさを覚えた富井。
そしてその行く先のない想いがすべて縁へ一点集中している状況なので、可愛くて仕方ないのだった。
「じゃあ、ちょっとおトイレに寄るよ」
そう言ってサービスエリアへの側道に入る。
すると駐車場に先程の黒のクーペが停まっているのを見つけて顔を顰める。
『おう、やっちゃうか?』
『子供連れでそんな真似するか馬鹿!』
『そうだ。警察沙汰になったらマズイ事すら分からんのか考えなし!』
自分への当たりの強さに浩太朗がへこむ。
『まあ大丈夫とは思うが関わらない事だ』
そう洋三に軽く釘を刺されながら建物へと入り、縁と一緒にトイレを済ませるとフードコートへと向かった。
すぐに浩太朗と洋三が異変に気付く。
『止まれ!』
鋭い制止に足を止め『どうした?』と周囲に注意を払いながら尋ねる。
『悪霊だ』
『またか?』
富井は疑いの目を浩太朗に向ける。
『半年前のアレは仕方がないだろ。生霊なんて存在は俺だって見た事が無かったんだから悪霊と区別なんて出来ない』
『富井君。俺も今回のは悪霊だと思う。流石にこんな短期かんい生霊に出くわすなんて事は起きないよ』
袖を引っ張られて縁を見ると「ヒロちゃん。あそこに赤いのがいるよ」と指さす方向を見ると、右手奥の端に置かれたテーブルに陣取る三人組の若い男達の後ろに立つ──女肖とでもいうべきか? 人ならざる存在。女をかたどり似せた何かを見つけた。
背筋を走る冷たい感触に富井は縁を抱き上げていつでも逃げられる様にする。
「あの赤井のお化け?」
縁も怯えたように小さな声で富井に尋ねる。
「お化けだけど普通とは違うんだ。だから赤いのを見かけたら絶対に近寄ったらだめだよ」
「うん」
不安そうにしながら肯いた。
『トミー。あの三人って例の車に乗ってたぞ。少なくとも二人は助手席と運転席に座っていた奴で間違いない』
『察するに、事故か何かで娘を殺し逃げたのがあの運転と言ったところか?』
浩太朗と二郎さんに様子に、まだ余裕が感じられるのは瘴気を発するにはまだ時間が残っていると判断したためだった。
『それなら彼女の目の前で奴らを警察に突き出せば、彼女も悪霊になって消滅じゃなく成仏することが出来るんじゃないか?』
『ああ成仏は出来るんじゃないか?』
そう答えた浩太朗に洋三は額を抑える宙を仰ぎ見る。
『何でペラペラいらんこと口にするのかな? そう言ったら富井君がどうするか考えれば分かるだろ?』
『俺が嘘を吐いて誤魔化してもトミーはやるから無駄だよ。だったら最初から協力して被害を減らした方が良いよ』
そう言って浩太朗はスマホを操作して最後に「ポチっとな」と口にした。
一分後には三人組の男達の実名、現住所、電話番号、学校名、交友関係、バイト先と全ての情報が幽霊達によって丸裸にされていた
。
『こわっ! 幽霊の情報収集力、こわっ!』
『世界中にいる幽霊一千万以上がトミーの為なら協力してくれるから、情報収集に関してはどんな諜報組織も勝てないぞ』
『本当に怖い!』
『ちなみにこいつらは、過去に何度も女性を誘い出しては乱暴しているみたいだ。マジで屑だ……やっちまおう!』
集まった情報を確認した結果、洋三からも許可が出てしまうのである。
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