【3-2】

『接近禁止結界を用意した。スマホにインストールしておいてくれ』

 翌日、浩太朗達がやって来てそう告げる。

『接近禁止結界?』

『基本的に幽霊を半径五十メートル以内に接近させないスマホアプリだ。勿論設定された人物の接近は問題なく可能だ』

『幽霊のスマホはスゲェーな何でもありだな……それで何でそんなモノを?』

『幽霊のストーカーは本当に怖いぞ。二十四時間三百六十五日ずっとスタンドバイミー状態だ。考えてみろ幽霊が人間にストーカーしても人間は気づかないから良いが、被害者が幽霊の場合は本当に困る。自ら消滅するまで追い込まれるって事が結構あったんで、開発されたんだよ。今ではスマホアプリだが作られた当初はお札を使っていたそうだ』

『幽霊のストーカーは怖いな』

 ある意味無敵の存在である。


『そんな訳で接近禁止結界を二郎さんに頼んで用意して貰ったんだよ』

『感謝して使うのじゃぞ』

『俺はストーカーはされてないけど?』

『二郎さん、こいつまだ理解してませんよ!』

『うむ……』

 渋い顔で頷く二郎さん。

『何か?』

『何かじゃないだろ。人間と俺達幽霊を繋ぐ唯一の存在のお前に、これから色んな幽霊が協定を無視してでもお前を利用しようと集まってくるんだぞ。そんな事になったら──』

『そんな事になったら?』

『俺達がお前を利用出来なくなるじゃないか!』

 当然の様に殴ったが、それは仕方のない事だろう。


『それで協定って何?』

 今にも消えそうなほど小さな小さな霊体になってしまった浩太朗と二郎さんに富井が尋ねる。

『頼む、先にオーラを吸わせてくれ』

『……で協定って何?』

『儂から話そう。要するに我々幽霊はお前さんを利用したい。そう可能な限り持続的にという事だ』

『だから?』

『その為にはお前さんが人間社会に紛れて生活を続ける事が絶対条件という訳でな。だから必要以上に注目され、正体が露見するのは避けなければならないので、お前さんを通じて情報を人間社会に流すには慎重さが要求される』

『それは理解出来る。愉快な話ではないけどな』

『時間をかけて社会的地位や経済力を作り上げていき、最終的にお前さんが自由に我々の持つ様々な情報を発信しても問題の無い立場に押し上げ。具体的には独自の研究機関やネットを中心とした情報メディアを保持するレベルかのう』

『随分話が大きくなってるけど、大体時間をかけてって、どれだけ時間をかけるつもりなんだ? 俺は社会人としてはまだ三十前の若造だぞ、そんな立場になるまでと言ったら──』

『十年後だ!』

『……俺は真面目な話をしてるんだ!』

 浩太朗の言葉に富井がブチ切れる。

『それ以上は待てないという意見があってな』

『オイ!』

『まあ、実際に動き始めたら期間の延長なんて当たり前の事。どうせ儂ら幽霊にとって十年後に、もう十年と言われてもそんなもんかと納得する。一度待つという姿勢を相手に作らせてしまえばこちらのもんだよ。若いの』

 何処か凄みのある笑みを浮かべる二郎さんに、富井は食えない爺だと思う。

『それじゃあ、俺はとりあえずはこのままで良いという事?』

『核融合でエネルギー改革などと考えてるなら、頑張って時計の針を進める事だ……それで、そろそろオーラを吸いに行っても良いかの?』

 浩太朗の様に取り乱す事は無かったが、二郎さんも一杯一杯だったようだ。




 二か月が過ぎた頃、ブログで公開している富井のアドレスに見知らぬ相手からメールが届いた。

「初めましてモンブラン出版の山本と申します……?」

 タイトル名を見て首を傾げる。全く無名ではないが何処かで聞いた事のある様な無い様なと言った感じなのだった。

「何かのいたずらか?」

 これが大手出版社なら、それはそれで疑ってしまうのが彼の性格だったので、とりあえず放置する事にするのだった。


「また来てる」

『何が来てるんだ?』

 最近、夜はほとんど富井の家に入り浸っている浩太朗がモニターを覗き込んでくる。

『だからモニターの後ろから貫通して覗き込むなって言ってるだろ。邪魔だし気持

ち悪いわ!』

 殴りつけたいのを我慢しながら叱りつける。以前それをやってモニターを殴り壊したからだ。

『……出版社からのメールじゃないか、でかしたぞトミー!』

『そんなもん、本物の出版社の人間かどうかも分からんから無視だ無視』

『馬鹿野郎っ!』

 浩太朗渾身のオーラを込めた指先が富井の目を突いた。

「ぎゃぁぁぁっ!」

 悲鳴を上げながら抉られた目を押さえて転げまわる。

『その痛みはお前の魂の痛み。実体があろうがなかろうが幽霊は急所攻撃されたと認識すれば、生きていた頃のイメージで魂が悲鳴を上げる』

 実際、身体のどこだろうが痛みを感じる強度は同じなので、目を突かれた程度で転げまわるほど痛いと感じるはずはないかった。

 そう告げる浩太朗は今の一撃でオーラを大量に消費し、寿命が来た蛍光灯の様に点滅している。


『良いかトミー。本物かどうか分からないなら確認しろ!』

『これが仕事なら勿論確認するが、プライベートでは面倒だから嫌だ』

『ふざけるな、人生はとはすなわちビジネスだ。だから──』

『つまり人間は仕事のために生きてるのかよ……酷い話だ』

『いや、そうじゃなく』

『そもそも俺達は幽霊だから人生は終わってるぞ』

『屁理屈は良い! 』

 再びオーラを込めて富井の目を抉りに行く浩太朗だが、今度は富井の足が彼の股間を捕らえる方が速かった。


『絶対お前の方がオーラの効率は良いだろ』

 股間の痛みから逃れた後、二度の物理的干渉作用を発揮するためオーラの使用ですっかり消耗しきって身長十五cmのミニサイズしか維持出来ない浩太朗が愚痴をこぼす。

『さあ?』

 富井からすると自分の身体を維持するのに常時オーラを消費する必要があるので燃費が悪いのは分かるが、オーラの使用効率が他の幽霊と比較して良いか悪いかを判断する明確な基準がないのではっきりとした事は分からない。


『とにかく俺達としてはお前の社会的地位向上の為に無職を卒業して欲しい』

『……無職の卒業証書は誰が出してくれるんだろうな~』

 健康診断を受ける事の出来ない自分の身体のせいで無職に甘んじている富井は悲しそうに現実逃避に耽る。

『卒業証書が欲しければ連絡を取れよ』

『僕、作家先生ですぅ~とか言っても、文筆業って結局水商売と変わらないだろ。何の保障もないバイトと同じだよ』

 意外に堅実な考えを持っている富井に、死ぬまでフリーター兼ロッカーだった浩太朗は居た堪れない気分になりながらも反論する。

『考えてもみろ、出版物にお前が書い記事が載るんだぞ。パブリッシュだぞパブリッシュ!』

『はいはい。広く皆で共有出来るモノは全てパブリックな何かなの。パブリックハウスで居酒屋な、オッサンが好きなお姉ちゃんの居るパブも語源はパブリックな。そんな事で折角順調に広告収入も伸びてる『幽霊日誌』に影響が出たら馬鹿らしいよ』


 英語が堪能な富井の心は全く揺さぶられなかった事に、浩太朗は話の切り口を変えて話し始める。

『良いか、出版物というものは日本と言う国家が存続する限り国会図書館に所蔵されて百年後、二百年後も管理保存され、日本国民は自由に閲覧出来るんだぞ』

『百年後、二百年後も……』

 頑なに動かなかった富井の心が揺らいだ。

『何百年後、もう誰もトミーという存在を知る人間がいなくなっても国会図書館で誰かがトミーの作品が載った雑誌を手に取り読んで「富井 裕。面白のを書くんだな」と思ってくれたなら、トミーという存在は時を超えて蘇るんだ。何時だって何度だって蘇る事が出来るんだ。これは歴史上の人物の中に名を連ねるにも等しい事だぞ』

 そんな事は無く、単に歴史に埋もれる資格を得るだけで、歴史に名を刻むような人物と比較対象になどならないのだが浩太朗も必死だった。

『れ、歴史……』

 一方富井はチョロかった。いや急所にクリティカルヒットという状況だろう。

『虎は死んで皮を残し、人は死んで名を遺す。トミー! 名を遺すんだ遠い未来にまで自分の名を遺せ!』

『トミー、メールの返事出しま~す!』

 完全に冷静な判断は出来なくなっていた。




 その後、モンブラン出版社の山本という編集者とメールを何度か交わして、三日後に都内の喫茶店で待ち合わせをすることになった。

『普通に飲み食いが出来るようにしておいて良かった』

 喫茶店に入って注文した品以前に出された水すら口にしないで店を出る奴を相手はどう思うだろう? それに気付いてほっと胸を撫で下ろす。

 今後はX線でもきちんと写るように身体を改造しようと強く決意するのであった。

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