第二話

【2-1】

 幽霊達にとって人気ポイントは酒場に限らす、酒を提供する全ての店舗である。酒好きの幽霊達はせめて匂いだけでもと、酒に群がりついでにオーラも堪能するのである。デキャンタージュされて膨らんだワインの匂いに酔いしれ、サーバーから勢い良く注がれるビールが細かい泡が弾けて、エアゾルの飛沫となって舞う度に我先にと群がり狂喜乱舞するのである……

林田 晃紀 1954-1990 日本 神奈川県



「なんて迷惑な……想像するだけでいや気分なる。書き直してください」

 原稿を読んだ担当の山本の感想に富井は深く頷くしかなかった。





 富井の始まったばかりの幽霊生活は、彼にとって想像以上に普通だった。

 何ら特別な事もなく縁と平和な日々を過ごす。


 無職な上に定期的に訪れるはずの食欲も睡眠欲も無いため縁の存在が無ければ、完全に時間感覚を失っていただろう。



 縁との生活も一人暮らしが長かったので家事に関しては問題は無い──男料理なので、手早く簡単な料理か、手間と時間がかかる無駄に凝った料理の二極化するのは仕方がないが、どちらも縁が喜ぶのと栄養のバランスには気を付けているのでぎりぎりセーフだ。

 食事、掃除洗濯を決まった時間に行う事で辛うじて生活のリズムが狂っていくのを抑えている状態だった。



 名義変更した実家の軽自動車で縁と一緒に海へ釣りに出掛けて、撒き餌と一緒に自分の遺体からとった歯を海に捨て『これで自分の遺体が発見されても自分の身元にたどり着くための物証はなくなったはず』とほっと胸を撫で下ろし竿を握る。

「ねえヒロちゃん。今何やったの?」

「あれは撒き餌って言って、お魚のご飯を撒いてお魚たちを呼び寄せるんだよ」

「おさかなはご飯を食べちゃったら、糸につけたご飯はもう食べないよ?」

「この糸の先につけたご飯は、海に撒いたご飯よりずっとお魚は大好きなんだよ」

「そうか、ケーキみたいなのか……」

 そう言いながら、餌のイソメに目が釘付けになる縁。狩人の目をしている。


「あのね、それはケーキじゃないし食べても絶対に美味しくはない……それどころか食べたら駄目なやつだと思うよ」

「違うの?」

「違うよ」

「そうか……違うのか」

 そう言いながらちらりと冨井へとおねだり視線を投げかけてくる。

 思わず「じゃあ、今晩のデザートはケーキにするか」と言いそうになる姪にチョロイ彼だが「小さい子供は、身体を動かす為の栄養よりも身体を作る為の栄養が大事」と言っていた義姉の顔を思い出して思いとどまる。



 幽霊生活で困る事は間違いなく食事だった。

 食べなくても大丈夫なら良いのだが富井の場合は食べられないのだ。

 当然、縁と一緒に食事が出来ないので一週間ほどは色々と理由をつけて誤魔化してきたが、そろそろ誤魔化すネタも尽きてきたのだった。



『第一回。食事を取れずに姪っ子を誤魔化すのが限界な富井君を救う会議を開催します』

 縁が寝静まった後はショウとその知り合いの幽霊達が富井の家にたむろする様になってしまったのだが、食事だけでなく眠る事も出来ない富井にとっては縁の起きている時間を避ける配慮もしてくれる彼らの存在はありがたくもあった。


『富井君の身体は実体化しているだけで普通の幽霊と本質的には同じものだと思うのだよ』

 会議を仕切るのは西門 洋三(にしかど ようぞう)。享年五十四歳。幽霊歴一年のショウの幼馴染でもあった幽霊である。


『確かに我々も一時的とはいえ物理的な干渉を行う場合は身体の一部を実体化していると言われているからのう』

 そう答えたのは二郎さん。享年六十七歳。幽霊歴四百年を超え、地元地域の幽霊達からは長老として敬われ、強い発言力を持つ幽霊である。


『つまり、幽体とか霊体と言われるものだから、形状はある程度変化させることは出来るよなほらこんな感じに』

 そう言いながら自分の右手の人差し指を一メートルほどの伸ばしてみせるのは、この場にいる富井を除く幽霊の最後一人はショウ。

 享年二十七歳。幽霊歴二十八年の結構ベテランの幽霊である。


『要するに俺が食事を受け付けないのは、そもそも喉の奥に胃袋へと続く食道どころか胃袋が無いせいだというのか……』

 悩んでた原因が単にそんな器官が存在しないという簡単な理由がと知った富井は酷く落ち込んだ。

 しかも、呼吸するわけでも無ければ、声も呼気で声帯を振動させるのではなく、単に喉の奥の一部をスピーカーのコーンの様に振動させているだけと知って、自分の身体のシンプルさにちょっと涙するのだった。


『だけど、そんなことが出来るのか?』

『我々幽霊とは精神的な存在だからイメージが大事なんだよ』

『そう思うのじゃ、自分の自分の口の中から喉を通り胃袋へと続く臓腑を強く思うのじゃ』

『やってみます』

 本気で困っていたので、藁にも縋る気持ちでイメージで食道と胃を作り上げ、試しに炊飯器に残っていたご飯で卵ご飯を作って食べてみる富井。

『全然駄目ですわ』

 言われた通りにイメージして作り上げた疑似的な食道と胃だったが、咀嚼した食べ物が胃へと流れ込まない訳ではないが、その流れは想像を超えて悪く、水でも無理に飲み込もうとすると胃へと向かうよりも多くが口から逆流する状況だった。


『何故だ!?』

 三人が口々にそう叫ぶが、単に食道と胃袋にあたる空間を体内に作っても重力だけでは簡単に咀嚼した食べ物は下へとは降りてくれるはずがない。

 粘度のある液状化した食べ物は細い食道を塞ぐ様にして降りて行くが、その時に空気も一緒に押し下げるので胃として作られた空間内の気圧を上げる事で食道内での移動を妨げる上に、粘度があるから食道の壁に張り付いたりもする。


『作り込みの甘さ。もっと細かく身体の構造と機能を調べて効率的に食べ物が食道を通って胃へと流れるようにする必要があるって事ですね』

 横隔膜などの動きで胃自体を動かしてポンプ効果を得たり、食道を収縮させて胃へと送り出す蠕動運動を行う構造が無ければ食物はスムーズに胃へとは流れ落ちてはくれない。


 ネットで人体について調べて、肺と横隔膜、さらには腹直筋などの胴体周りの筋肉の動きなども必要な事が理解出来た事で「もう、身体の中の臓器を全部作っちゃいなよ状態だよ!」と悲鳴を上げた。

 人体とは良く出来たシステムであり、無駄が無い事は無いが各臓器や組織は単に独立した機能を持つ部品ではなく有機的に結合されたシステムであり、想像以上に深い知識の蓄積とそれを反映させる強いイメージ力が必要だと理解するには意外に時間はかからなかった。

 幽霊の能力を使えば、ディスプレイに表示された情報は一瞬で記憶し、かみ砕いて理解するのも一瞬。

 ボルトネックになるのは必要な情報を探し出す段階。

『なあ、パソコンは新しいのに買い替えよな?』

『お、おう……』

 富井のパソコンのCPUは発売から十年を軽く超え、パソコンの世界では完全に年代物だった。

『それから回線契約しような光にな』

『分かってるよ。色々あったから放置してただけだよ』

 富井の実家にはネット回線が無く、LTE接続だったので遅かったのだった。


 人体に関して十分な知識を得た富井は、器官や筋肉などの組織を頭の中で正確に思い浮かべる。これは今の富井にとっては全く苦にならない。

 負荷を掛ければ掛けるほど、それに応えてくれる幽霊として自分の知能が段々面白くなってきて、身体の内側に様々な器官を形成していた富井だったが、取り込んだ食べ物を最終的にどう処理するかという段階に達して身体の力が抜けていく感覚に襲われたのだった。


『おい、大丈夫か?』

『……ちょっと眩暈がしただけだ』

『とりあえず今は作業を止めなさい。霊力の消費が大きかったみたいだ』

 ちなみに二郎さんの様に古い幽霊はオーラとは呼ばない。彼らはあまり新しい事に迎合しない傾向にあるようだ。

『そうですか……』

 家の中に満ちている縁のオーラによって十分ほどで富井は回復した。


『気を付けるんだよ。ついうっかりでオーラを使い過ぎて消滅というのは幽霊の消滅原因の第二位だから』

『消滅?』

『死んでとっくに幽霊の身よ。今更死なん、いや死ねんのだ。ただ消え去るのみじゃよ儂等は』

 その言葉に富井は幽霊という存在の一端を理解させられるのだった。


『トミー。お前はまだ幽霊初心者なんだから気を付けろよ──』

『トミーと呼ぶなよ庄司浩太朗の癖に。せめて名前が正太郎とかだと思ったわ』

『何だよ別に良いだろ』

『いやお前は悪い。勝手に人を変な名前で呼ぶな』

『何だよサイモン』

『サイモン呼ぶな、俺は西門だ』

 偉そうに説明めいたことを口にしようとした浩太朗に洋三が釘を刺す。

『そうじゃな、三十年も幽霊やっても未だに駄目なお前が言うな』

 今度は二郎さんまでショウ──浩太朗を攻撃し始める。

『な、何が駄目だっていうんですか?』

『富井君を見つけて、いきなり接触したとか馬鹿だろ。こっちとはオーラの容量も出力も桁違いなんだ。下手に近寄って殴られでもしたのなら消滅しただろうな』

『浩太朗は、本当にその場の勢いってやつで生きとるからなぁ』

 二郎さんが溜息を漏らす。

『何で俺が怒られてるの? ここはトミーを弄る場面でしょ!』

『……知らんがな』

 富井も呆れてそう口にした。



『とりあえず、将来はともかくとして現状で必要な機能は、食べて咀嚼した物を喉の奥から腹部の空間にスムーズに送り込んで、その後は一部抜き取った水分とそれ以外を分けて保存し、各部から外に排出する機能があれば良いのかな?』

『君の場合は唾液を出せないから、水を飲んだ際に一部を頭部に確保して、随意に口の中に流せるようにした方が、食事中自然じゃないか?』

『逆流を防ぐ方法も考えておかんとな』

『なるほどそうですね』

 洋三と二郎さんの意見に富井は肯く。


『臭いはどうするんだ? 食べた物そのままの臭いの大小便をするつもりか? 隣の個室でお前の排泄物の匂いに食欲を覚えた人に申し訳なくなるぞ』

『それは保留だよ。精々外出先ではトイレに入らず、家では消臭に気を付ける位しか良い方法が無い』

『トイレに換気扇をつけたらどうかな?』

『それは確かに一つの手だけど、でもトイレの換気口から食事の臭いがしたらご近所さんはどう思うだろう?』

『……やはり消臭に気を遣うしかないじゃろ?』

 普通に考えればそこに落ち着くしかなかったが、普通じゃない事を言いさす奴がいた。

『トミーが食後に消臭剤を飲めばいいだろ』

 そうドヤ顔で断言する。

『お前な……』

 確かに排出する前に身体の中でしっかり消臭してしまえば問題解決なのだが残りの三人は呆れ顔である。

『別に生きてる人間じゃないんだから、健康被害とかあるわけじゃなし何の問題があるんだよ?』

『味覚が無いならそれでもいいかもしれないが、そんなもの口から入れたいと思わない』

 反論する富井に『だったら臍の穴から流し込めるようにすればいいだろ』と告げた。


『何だろう? 浩太朗が賢く見えてきた』

『落ち着け。気のせいじゃ。落ち着け儂』

 長老である二郎さんまでが混乱する状況に流石に浩太朗も不貞腐れる。



 結局試行錯誤を経て、富井が生きていた頃の様に自然に食事をする事が出来る様になったのは二日後だった。


「くぅ~っ!」

 カップ麺を啜り富井のテンションは上がる。

 大事なのは呼吸をするという事だった。酸素を血液に供給して二酸化炭素を排出するのが呼吸のすべてではなかったのだ。

 麺を啜るという行為には当然呼吸が必要である。

 また、体表面部分で感じていた五感を、本来存在する器官の部分の感度を集中的に上げる事で、啜り上げた麺と一緒に吸い込まれたスープがエアゾル化し、それを鼻へと抜ける吐息が鼻の奥の嗅覚機能を持つ部分へと運んでくれる感覚。また味覚も口腔内全体で感じていた受容能力を舌の上に、しかも各味に応じて分布させたので、紛れもなく生きていた頃と同じ、いやそれ以上に明確に味を感じる事が出来たのだった。


 ずずずぅ~と啜り上げるとカップ容器のスープから立ち上がる匂いが鼻の穴から入り込んで感じる醤油とニンニクのふわりとした柔らかい香。そしてはぁ~と息を漏らすと、啜った事でエアゾル化したスープの香りが強く嗅覚を刺激する。数日ぶりの感覚に思わず涙を零してしまうほど感動を覚え、咀嚼するのももどかしく、そのまま麺を飲み込むと熱い麺が食道を通過して胃へと落ちていくのを感じる事が出来た。

「これだ! これだよこれ!」

 興奮して声を上げるのであった。

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