【1-9】
貴重な時間を車での移動に費やしてしまったが函館発のフェリーをその日の夕方の便にした事で翌日の夕方前には家にたどり着くことが出来た。
それでも丸一日を無駄にする事になったと思った富井だったが、結局、この一日は今の自分を知るには必要な時間と納得している。。
まず彼は食事が出来ない。個体だろうが液体だろうが口に入れることは出来ても飲み込むことが出来なかった。
その為に食事は全てキャンピングカーで調理するか、店でテイクアウトしたものを縁に与えて、自分は食べた振りだけして処分するしかなかった。
当然の事だが食べないので出すものも出ない。
また、彼は眠る事が出来なかった。
最初の夜は気が高ぶっているせいだと思ったが、翌日全く眠気が怒らず、今以って眠気が起きないのでそう認識するしかなかった。
そして、富井自身が謎に思っていた十分以上の時間が消し飛んだ現象の答えも出た。
今の彼はどれだけ考え悩んでも時間が経過しなかったのだった。
身体を動かしながら考え事をすると普通に時間は経過するが、考え事に没頭してしまうと周囲の時間が止まったかのようになるという不可思議な現象に悩まされる……と言っても、そう長くない人生延長戦だと思っているのでウザったいくらいにしか考えてはいないようだ。
およそ半月ぶりの家のベッドで自分の胸に額を押し付ける様にして眠っている縁を見つめながら「暇だな」と呟く。
眠れない夜を持て余してしまうのは仕方ないだろう。
時間つぶしに何か考え事を始めれば、夜は永遠の如き長さをもって精神的疲労を強いてくる。
今の富井は何故か明瞭に思い出すことが出来る。そう寝ていた時に見た夢すら思い出す事が出来たので、車中泊だった昨夜は、過去の自分の体験や知識に沿って物心ついた頃からの記憶をたどってみたのだった。
事細かに追憶なんて言葉が意味を失うような濃厚な人生の追体験を終え、精神的な疲労を憶えたが眠気は全く無く、そして時計を見ると前回に確認してた時刻から五分と進んでいなかった。
時刻を確認してから始めた訳ではないので実際に経過した時間はゼロではないにしても、自分の人生のリプレイに要する時間の短さに、絶望しゆっくりと声を出しながら一から数字を数えて時間を潰し始めるには十分であろう。
しかし連夜で三万近くも数を数えるにはうんざりだった。何の罰ゲームかと思うのだった。
ゆっくり慎重に縁の様子を伺いながら身を離すと布団から抜け出し、一分間ほど縁の様子に変化が無い事を確認してから寝室を出た。
丁度八時過ぎくらいなので、着替えるとそのまま家を出る。
「煙草位なら吸えるかな?」
富井は少しでも気を紛らわすために、学生の頃の一時期吸っていただけの煙草の力すら借りようとコンビニへと向かった。
途中、近道の飲み屋街の通りを歩く。既にすっかり酒気を帯びた人々の賑やかな喧騒の中で、どうしようもないほどの孤独に胸を焦がされながら。
飲み屋街を抜けようとした時、不意に温度でも湿度でも密度でもない何かが異なる空気の層の境目が自分の身体を撫でる様に触れた気がして立ち止まる。
『こっちだ』
「っ!」
耳元で聞こえた声に、思わず振り返えりながら「誰だ?」と声を上げかけるが──『声に出すな! 変な奴に思われるぞ』と再び耳元で聞こえる声によって止められた。
周囲を見渡すと、確かにいきなり立ち止まって鋭く振り返った富井へ視線が集まっていた。
『黙ってこっちについて来い』
そう言われて声のする方向を見ても、それらしい人の姿はなかった。
姿なき声に思わず声を掛けそうになるが、人々の注目を浴びる中では冨井も思い止まる。
裏道に入ってすぐに、立ち並ぶ建物の間の道とも呼べないような狭い隙間を声に従って歩いて行く。
富井も従う自分への疑問もあったが、それ以上に今自分に起こっている状況を知る手掛かりになるのではという思いが歩を進めさせていた。
『ここなら誰も来ないし、ここまでの道に監視カメラもないから安心しろ』
そう言われても、この声の主自体が一番安心出来ない要因であった。
「お前は誰だ!」
鋭く放たれた富井の言葉に相手は『声に出さなくても良い。心の中で俺に話しかけてみろ』という意味不明な事を言い出した。
「心の中?」
『そうだ。難しい事ではない簡単に出来るはずだ』
『…………お前は何者だ?』
『初めての一言がそれかハードボイルドでしびれるね~。俺の事はショウと呼んでくれ』
いきなり言葉遣いが軽くなった相手の態度の変化に、富井は訝しげに眉間に皺をよせながら『俺は富井だ』と名乗った。
『そうかトミーか、よろしくな』
『と、トミー?』
そんな風に呼ばれた経験は彼の人生には無かった。
『冨井だからトミー。何もおかしい事は無いだろ』
会った早々で他人をトミー呼ばわりでは、おかしいのはお前の頭だと思いながら、富井はショウと言う存在を自分より二つ下のヒエラルキーに設定したのは仕方がないだろう。
『設定したのは仕方がないだろうじゃない。全部聞こえてるからな!』
『悪いな。まだ念話を使い慣れてないんだ』
『こ、こいつ……良い性格してやがる』
富井裕。性格が良いと言われた事は無いが、良い性格とは良く言われっる男だった。
『見ただけじゃ確信までは出来なかったんだよ。本当にトミーが俺等と同じ幽霊なのかってな』
『幽霊?』
『そう幽霊。実体化した幽霊なんてお話し以外で聞いた事も見た事もないから流石の俺も緊張した。まあとりあえず空前絶後のレアもんゲットだぜ!』
微妙に危険な言い回しだった。
『幽霊?』
自分が幽霊だと言われても未だ受け入れられない富井。
自分が幽霊みたいなものだと思わないでもなかったが、幽霊が肉体を持つなんて事は無いという常識が、別の何かなのだろうと思いこませていた。
『お前は間違いなく幽霊だって、実際に俺に念話で話しかけただろ。生きてる人間にも時々俺たちの念話が聞こえちまう体質な奴もいるけど、念話で話しかける奴なんていないぞ』
『念話?』
『今お前さんと俺が会話してるのが念話だ。ほらあれだテレパシー的な……何か?』
幽霊本人も良く分かっていないのだろう。
『その念話というのが使えるから俺が幽霊だというのか?』
『い~や、念話以前に見つけた瞬間に幽霊じゃないかとは思ってたんだ……ほら俺の指先を見てみろ』
『…………はぁ?』
そもそも富井の目には指先も何も相手の姿が全く見えていなかった。
『何だ? どうした? まさか、俺の事ちゃんと見えてなかった?』
富井は黙って肯き『ぼんやりとした白い塊にしか見えた無い』と告げた。
『そうかそうか。自分の物質化した身体を持ってるから【視る】という感覚が身についてないって事か』
『どういう事だ?』
『普通な、幽霊になった直後は自分の身体さえ見えないんだよ。実際パニくったなあれは……という事で混乱しながらも必死に色々やってる内に自分の身体の見方を覚えるんだが、その過程を踏んでないからな、お前さんは』
『そういうのはいいから、具体的にどうすればいいのか言ってくれ』
富井にはまどろっこしい話に付き合うほど精神的余裕は無かった。
『何だよ。会話を楽しむ余裕を持てよ』
『そんな余裕はねえ!』
『そらそうだけど、俺たち幽霊には言葉のキャッチボールが大切なんだぞ』
『良いから早くしろよ』
富井は明らかに苛だっていた。あの日以来ずっと自分にしがみ付くように張り付いたままの不安を解く鍵。それを目の前にぶら下げられている様なものだのだから。
『ああ分かったよ! お前が納得したら、お前の家に行って朝まで色々聞かせて貰うから覚悟しておけよ!』
『見えた……見えたけど、お前教えるの下手すぎるだろ!』
疲れたように呟いた後、思い出したかのように怒る富井。
はっきり言って「遠くの山を見る様な感じで近くのものを見る」と言う曖昧な言葉だけで、よくも見えるようになったものだと感心するレベルだった。
『仕方ないだろ。色々試した結果がそれなんだから……それでどうだ? なかなかのイケメンだろ』
自分の顎に指をかけてドヤ顔を決めるが、富井は俯いて首を横に振った。
『十人中七人が「無いわ」と答えて、残りの三人が「そういうさっぱり系が趣味な人にとってはそうかもね」と答えるレベル』
『十人中十人がNOと言ってるじゃねえか!』
『言葉のオブラートには包んである。それで指先がどうのと言う話はどうなったんだ』
この件に関して、これ以上議論の余地はないと最後通牒を突きつけた富井の言う通り、嫌な癖は無いが深いコクも無いさっぱりとしたスープの様な印象の顔立ちだった。しかも顔に似合わぬあくの強いファッションの二十代半ばの男だった。
ファッションに関しては、パンクとメタルの区別がつかない富井は、どっちらだろうが大して興味も無かったので、とりあえず「ロッカー」というより大きなカテゴリーに放り込んで、それ以上気にしないと結論付ける事に何の躊躇いもなかった。
『まあ良い。よく言われる事だしな。とにかく俺の姿が見えた言う事でよろしくな』
そういって手を差し伸べてくるショウに対して富井も反射的にその手を掴もうとしてすり抜けてバランスを崩した。
『幽霊ドッキリ成功!』
そう叫んではしゃぐショウに向ける富井の目はドライアイス位に冷めていた。
『怒るなよ。これは新人の幽霊には必ずやるお約束だから』
『俺は幽霊が嫌いになってきた』
『そう言うなよ』
『特にお前の事が』
『そ、そう言うなよ……』
『分かったよ……ほら、俺の指先に注目しな。何か見えないか?』
『煙みたいなものが出ている? 違う吸い込まれてる』
『それが俺たち幽霊のエネルギー源のオーラだ』
『……オーラ?』
ショウが口にした胡散臭さ満載の言葉に富井が眉を顰める。
『昔は霊気とか、単に煙とか呼んでたんだが、ほら昔、拳法漫画で北だ南だと言うのが流行しただろ。それ以来オーラと言う呼び名が定着したんだよ』
『幽霊の癖に流行に左右されるのかよ!』
『流行に左右されない幽霊なんてこの世にいるものか!』
『そこまで言うのか?』
『幽霊は全く新しい事を一から考えるのは出来ないんだよ。既にあるものをアレンジする発想は得意なんだけどな』
幽霊本人にそう断言されてはそういうものなのかと何も言えない富井。
『とにかく、今度は自分の指先を見てみろ』
『……吸い込んでる。うっすい煙みたいのを掃除機みたいに滅茶苦茶吸い込んでいるな』
彼の指先からは自分で驚くほどのオーラが吸い込まれていた。その流入量は正確には分からないがショウに比べたら桁が二つは違うだろう。
『肉体まであって、物理的干渉をしまくりなんだから燃費が悪いんだから幾らでもオーラが必要だろう』
『そんなに使ってオーラは無くならないのか?』
『生きてる奴らが普通に垂れ流してるものだ。まあ俺たちは人間から溢れ出たオーラしか受け付けないけどな』
『周りにいる人間に影響は?』
もしも縁の身に影響があったらと思うと焦る富井だった。
『別にないだろ。若い十代の人間のオーラで俺の様な普通の幽霊百人分くらい楽勝だし、そもそも生きてる奴らから直接吸い取ってるんじゃなく自然に流れ出てる分を吸収するだけだから人間には何の影響もない』
『そ、そうか……』
自分が傍にいる事が縁に悪い影響を与えるものでは無いと知り、ほっとして表情を緩めるのだった。
『それで俺みたい存在は珍しいってどれくらい珍しいんだ?』
『空前絶後って言っただろ。何の比喩でも誇張でもなく空前にして絶後。過去にもきっと未来にもお前の様な存在はいないって事だよ』
『そりゃあテンションも上がってレアもんゲットだぜと叫びたくなるな。実際に叫ぶかどうかは別としてな』
『素直に共感してくれよ。そうよね分かる分かるわって』
『女子か?』
『幽霊にとっては共感ての大事だぞ。精神的存在だから周囲から強く否定されたら生きてる人間以上に自我を保てなくなる……まあ、それはどうでも良い。問題は別にある』
『どうでも良いのかよ?』
『歴史上初めての変わり者の幽霊がいるいないなんて話は、この後の話に比べれしょうもないほどちっさな事だ』
上げて一気に落としてきた。富井のテンションもだだ下がりで、そのまま本来の目的の煙草を買い行くために立ち去ろうとするほどだった。
『待て、待ってくれトミー俺の質問に答えてくれ』
『だからトミーじゃねえ』
『まあ、それは置いておいて俺の質問に──』
否定する言葉を無視するショウに苛立ちを覚え、遮るように『お前が俺の質問に答えるならな』と告げた。
富井は体育会系という階級社会を文字通り生き抜いてきたので、自分よりも一段階ならともかく二段階も下だと判断した相手に遠慮や容赦は無い。
『何だよ? 早く言えよ速攻で答えるからな』
一方こちらも全く堪えた様子もなかった。
『幽霊の寿命はどれくらいだ?』
縁が大人になるまで見守る事が出来るのか? それだけが富井にとっての気がかりだった。
『寿命……死んでるんだけどな。まあいいか……
基本的に、自分からこの世に留まり続けるのが嫌になるか、それとも悟りでも開く貸して成仏する以外はずっとこのままだ……とは言っても、普通は百年とか二百年でこの世を去る場合が多いな。三百年を超えるのはかなり珍しいし、千年を超えるなんていうのは俺の知る限りでは両手の指で数えられる程度だ。まあ幽霊だって元々は人間だからな、永遠に存在し続けるほど神経は太くないんだよ』
ショウの言葉に富井は今まで感じていた不安が一気に解消されてその場に力なく座り込んでしまった。
『おい、どうした?』
『……俺以外に身寄りのないまだ三歳の姪がいるんだよ』
『そうかって違う。そんな未練を抱えて幽霊になったのかよ? ……いや、だからこんな普通じゃない幽霊になった?』
『何の事だ?』
『幽霊になるにはこの世への未練が必要だが執着するほどの強い未練があるとなれないっていうのが俺達幽霊の常識なんだよ』
『そう言われれば……思い当たる節はある』
『どういう事だ?』
いきなり凄い勢いで顔を近づけて尋ねるショウに気圧されながら『俺が死んだ時の状況は、姪の将来の事よりも命を救う事しか考えてなかった気がする』と答えた。
『何だ普通じゃないか……それでどんな風に死んだんだよ?』
『普通にヒグマとやりあって』
『そうか……って全然普通じゃねえ! どういう事なんだ?』
北海道を旅行中に縁だけを車に残した状態で離れて、そこでヒグマと遭遇した事。
縁の安全を考えた結果撃退するしかないと判断した事。
足を犠牲にしてヒグマの鼻を蹴り砕いたは良いが、本気させてしまい撃退ではなく殺し合いになった事。
ヒグマにも致命的なダメージを与えるも、縁の元に戻ろうとして途中で死んでしまったのじゃないかと伝えた。
『……まあそんな感じだ』
『そんな感じだじゃないだろ! ヒグマの鼻を蹴り砕くとか致命的なダメージを与えるとか意味不明なんだよ!』
『それは気にするな。世の中知らない方が良い事がある……それより聞きたいことがあるのだろう?』
自分が中学時代の三年間部活でどんな地獄の様な日々を過ごしたのか説明される方が余程意味不明な上に、深く思い出そうとすると動悸息切れ眩暈、吐き気などの症状が起こるので説明などしたくなかった。
ショウは自分を射抜くような富井の深刻そうな眼差しに自分の身が可愛いのならば聞くべきではないと言う本能の声を聞いた。
『分かった……俺が聞きたいのは物理的な身体を持つ幽霊としてのお前に具体的に何が出来るのかを聞きたい』
『具体的に?』
『そうだ。まず第一に聞きたいのは飯を食う事が出来るか──』
『無理だ。口に入れてることは出来る。噛んで味わうことも出来る。だが飲み込めない。どう頑張っても無理だった』
『味わうことが出来るって口に入れた物の味が分かるのか?』
『分かるに決まってるだろ』
何を言ってるんだと言わんばかりの表情を浮かべる富井に対して、ショウの顔は破願の二文字がこれほどぴったりとくるのは無いと言うほど歓喜に歪んでいた。
『なぜそこまで喜ぶ?』
『幽霊には視覚と聴覚と嗅覚はあるのに味覚と触覚は無い。それなのにお前さんにはあるという。これは一万年を超える幽霊の歴史に新たな道が開ける希望なんだ! 味覚を手にする事が出来るなら幽霊は後三百年は戦えるぞ!』
そう盛り上がるショウだが、富井は視覚と聴覚の二つの感覚と、触覚に関してはそれが幽霊にとって必要は不必要で区別することが出来ると思ったが、必要か不要かで言うと微妙な臭覚と味覚が、有ると無いに分かれている事が気になった。
『つまり必要か不要かではなく、別の理由で分けられている……?』
考えても答えは出なかったが、それは新米幽霊の自分には判断するため知識も経験も足りないと判断するしかなかった。
一方、何やら奇妙な踊りを舞いながら喜びを表現したショウは、いつの間にか手にしていたスマホを操作して『よし送信と』と口走った。
『ちょっと待った! 何で幽霊がスマホ?』
富井の疑問はもっともな事だった。
『はぁ? お前だって幽霊なら持ってるはずだぞ……多分。うんきっと持ってる……持ってると良いな~』
物理的な身体を持つ幽霊と言うレアもん富井を前にして途中で自信を喪失する。
『スマホなら持ってるが、これは生きてる時から使ってる奴だぞ』
『違う。幽霊なら情報伝達ツールを必ず持っているんだよ……基本的に』
富井は間違いなく幽霊としての基本を逸脱している。
『持ってないぞ』
身体中を叩きながら探っても元々持っているスマホの他は、財布と鍵の感触くらいしかなかった。
『違う、何というかこいつは俺の魂の中にしまってあって必要に応じて取り出す的なモノで……』
良い表現が思い浮かばないのか、手の中のスマホを出したり消したりしながら、必死に「分かってくれ。振りだけでも良いからわかってくれ」と器用に表情で訴えてくる。
『念話じゃ駄目なのか? 念話があればスマホなんていらないだろ』
冨井としては幽霊らしいオカルトっぽい能力があるのにスマホなんて興ざめだった。
『念話は思いっきり気合を入れれば地球の裏側にも届く』
『だったら──』
『世界中の幽霊に大声で話しかけるのと同じだから、それをやると滅茶苦茶怒られる』
『そ、そうか』
世界中から「喧しい!」と総ツッコミされるのを想像し、やる前に知って良かったと富井は心底思った。
『あれは本気で滅茶苦茶怒られたもんな』
『やったのかよ!』
『やったから親切におしえてやったんだろう。普通はそれをやって叱られるのを眺めるのがお約束だからな』
『やっぱり幽霊ってのが嫌いだな俺』
ショウは何も言い返せなかった。
『とにかく念話を使うなら精々何十mかくらいに届く範囲に抑えろ。それ以上離れてたら相手の場所に移動するかスマホだ』
『移動って態々歩く──』
『んな訳ねぇよ。こうするんだよ』
そう言ってショウは姿を一瞬で姿を消したと思ったら10mほど離れた場所に居た。
そして再び目の前に現れる。
『行きたいと思う場所にいつでも移動出来る。流石に知らない場所には行けないけどな』
『行きたいところって海外もありか?』
『海外は無理だ。どんなにオーラを身体中に蓄えた状態でも二百キロぐらいが限界だ。それ以上は命懸けって事だ……幽霊だけどな』
『そうか……でも、それは俺にも出来るんだよな?』
富井は目を輝かせ前のめりに尋ねる。
『俺は自分以外は髪の毛一本だろうが一緒に移動させることは出来ねえぞ』
富井は失望感に膝から崩れ落ちた。
結果を言うなら富井もスマホを持っていた幽霊専用のスマホを。
『まさかの同じ機種』
元々持っていたスマホを左手に、幽霊専用のスマホを右手に持って呆然としている。
『自分の携帯をイメージしたんだろ。だったら当然だよ。まあインターフェースは使い慣れた奴の方が良いだろうから問題ないさ』
『どうせなら最新型のを──』
『イメージしたら最新型と同じ機能使えるから安心しろ。それに処理能力なんかはこっちの方がずっと上だから安心しろ』
『えっマジ?』
『マジマジ。ちなみにインターネットにも接続可能だ。ちなみにダウンロードだけでアップロードは出来ない』
『ちょっと待て、インターネットってそういうのじゃないだろ、アップロードなしにどうやってダウンロードしたいデータを指定するんだ?』
『コマケェ事はどうだって良いんだよ。出来るか出来ないか以上に大事なことがあるのか?』
『いや、原理や理屈も必要だろ』
『そういうのは生きてる人間に任せておけば良いんだ。俺達は幽霊なんだからな。全く幽霊なり立ての新米はこれだから』
理不尽な愚痴をこぼす想像よりもずっと昔気質なショウに「こいつ思った以上に昔の人間だぞ」と富井は引く。
『大体アップロード出来ないなら、さっきの送信って何なんだ?』
『それはインターネットとは別に幽霊専用のネット環境があるんだよ。幽霊専用の情報ツールがあるのに幽霊専用のネット環境が無いはずがないだろ』
はずがないと言われても富井には答えようがなかったが、いずれ自分も幽霊である事に馴染むとこうなるのかと思うと「嫌だなぁ」と思うのであった。
『それにこいつでプログラミングも出来るからアプリも色々あるぜ。ただしアプリも現実のネットからのダウンロードは可能だがアップロードは出来ない』
『何だ、その微妙さは?』
世の中の情報を知ることは出来る。だけど何一つ発信出来ない。幽霊とは唯の傍観者なのだろうか? 富井はスマホの機能よりも幽霊という存在自体を微妙と考えた。
『それにプログラミングなんてスマホで出来るのか』
『出来ると思えば出来るのが幽霊。それにポケコンでもプログラムは出来るんだスマホで出来ない訳が無いって誰かが言ってたぜ』
富井世代の人間はポケコンと言われても何の事か分からずに首を傾げる。
『昔そういうのがあったの、今のスマホ位の大きさで、プログラムの勉強したり、自分で簡単なプログラムを組んで計算したりするんだよ……まあ、俺も詳しくは知らないんで受け売りだけどさ』
スマホにもプログラミングが出来るアプリが存在することを二人は知らなかった。
『それでネット上に匿名じゃないけど巨大掲示板サイトがあって、そこに【謎の大型新人】自分でも何を言ってるのか分からないがマジでレアもん発見したんだけど。どうしよう?【物理的な身体を持つ幽霊】というスレを立てて、それからSNSも投稿したから──反響が凄いな……ポルナレフ乙? 黙れこの馬鹿』
自分へのレスに毒吐き始めたショウに、そもそも匿名じゃない巨大掲示板サイトってすでにSNSと差別化する意味が薄いんじゃないかと関係ない事を考え始めるのであった。
実際、富井が考えたように最初から発言者個人が明確な巨大掲示板サイトがあるためにSNS的なコミュニティはあまり幽霊の中では発達しないのであった。
自分の正体がとりあえず幽霊の一種と分かった事で落ち着いた富井は煙草は必要ないと判断したが、それでも縁の明日の朝食用のパンが必要だと気づいて、そのままコンビニへと向かった。
『それで味って生きてた時と同じように感じるのか?』
しかし幽霊は付いて来たのだった。この際は憑いて来たが正解だなと思う富井だったが、自分も幽霊なのに憑くも憑かぬもあったものでは無い。
『生きてた時よりもむしろ五感ははっきりと感じられるから、生きてた時とは同じとは言えない』
『おおっ、それは良いな──それでどうすれば感じられると思う?』
『知らんがな。それよりもこのスマホの使い方は元のと同じで良いのか?』
『あんまり深く考えないで適当に使えば大丈夫。基本的に幽霊はイメージで乗り切るんだよ』
『イメージ?』
『そもそもスマホ型になったのはスマホが開発されたからで、その前はガラケーだったし、その前はポケベル。ずっと昔は手紙だ』
『手紙?』
『束ねた懐紙と矢立のセットで、懐紙に字を書いて届けたい相手を思い浮かべると手紙が届くんだけど一対一のやり取りだから今に比べると不便だったらしいな』
『矢立って何だ?』
『物知らずだな。パッと見で煙草を吸うためのパイプと言うよりは煙管みたいな形をしたやつで、煙管で言うパイプの部分の中に筆を入れて刻み煙草を詰める部分みたいな場所に墨を入れて置く、昔の筆箱みたいな奴だ』
『詳しいな』
『幽霊歴二百年を超える様な年寄りなんかが、未だにそれで年賀状を送り付けてくるからな』
『それは良いとして、だったらSFチックな未来的な通信機器とかもイメージしたら作れるんじゃないの?』
『作れるぞ。自分だけのオリジナルの通信機器を……誰ともつながらない無駄に高性能な奴だけど』
『どういう事? 3Dテレビ電話とかは無理だろうけど普通に通話とかメールとかSNSは出来るんじゃないの?』
『相手の幽霊達が、それを通信機器と認識しないと繋がらないという問題点があるんだな~これが』
『通信プロトコルの問題みたいなものか』
そんなやり取りをしながら買い物を済ませて家路に就く。
『だから、俺は服からもオーラを吸ってるけど、この服自体が俺の身体な訳。だけどお前さんが着てるのはただの服だから吸ってないだろ』
言われて見ると、確かにショウの服、特に襟などの飛び出た部分から勢いよくオーラを吸い込んでいるが、自分の服からは一切オーラが吸収されていなかった。
『肌の露出が少ない分、吸収も良くないし、それに実体がある分消費も大きいだろうから毎日二、三時間程度は人混み……いや、姪っ子の面倒を見ていれば十分か』
『俺の場合は燃費が悪いんだろ? それでも二、三時間人混みの中に入れば良いのか?』
『普通の幽霊は冬の曇りの日でも顔だけに十分くらい浴びるくらいで大丈夫ってテレビでやってたぞ』
『それは紫外線だ』
とにかく幽霊は燃費が良いようだ。
その後、電話番号やメールアドレス等を交換していると家の前にたどり着いた。
『帰れよ』
『入れてくれよ』
家に上がりたいショウと、絶対に入れたくない富井が玄関前で揉める。
『いいから帰れ。小さい子供がいる家にお前の様な不審者を招き入れるはずがないだろ』
『そんな友達だろ?』
『友達? それは無い。帰れ!』
取り付く島もない。
『帰る場所なんてないんだよ』
当然、幽霊に帰る家などは無い。
『昨日お前が一晩過ごした場所があるだろ。そこがお前の帰る場所だ。さっさとそこで自縛霊にでもなれ』
『ひ、非道い!』
そんな声なき問答を繰り返していると玄関の扉が開く。
「ヒロちゃん!」
飛び出してきた縁がそのまま富井に突撃して来て彼の股間に額が直撃した。
それを見ていたショウは思わず目を背け、冨井も「うっ!」と呻き声を上げるが痛くはなかった。
『幽霊でなければ即死だった』
『幽霊になっても、いや幽霊だからこそあの痛みが詳細に頭の中で再現されてしまう』
ショウは自らの股間を両手で押さえて身もだえるのだった。
縁は冨井をポカポカと両手で叩きながら「起きたらヒロちゃんいなかった!」と涙ながらに彼の心を責めてくる。
「ごめんな。明日の朝ごはんが無かったから買い物に行ってたんだ」
あんな事件が起きて旅程を繰り上げて帰ってきたが、本来は一月ほど旅を続ける予定だったので冷蔵庫の中も調味料の類しか残ってなかったのは事実だ。
「お買い物なら縁も一緒に行くの! 一人で行っちゃダメなの!」
「だって縁が気持ちよさそうに寝てたから起こすのが可哀想で──」
「だったら縁もう寝ない!」
真っすぐ富井の目を見つめてそう宣言する縁に、ショウは『凄い事を言うなこの子』と口を挟んできたので『お前はさっさと帰れ!』と念話で怒鳴る。
「むっ!」
縁は何かの気配に気づいたかのようにショウの方を睨み付ける。
『何この子? えっどこ見てるの?』
次の瞬間、縁は「みゃ~っ!」と微妙な気合を入れ、両手を振り回しながらショウへと突進する。
『マジ見えてるの?!』
そう驚きながらもギリギリでヒョイと飛び退くと、縁は目標を見失いそのまま花壇の植え込みに突っ込んで転んだ。
「縁っ!」
慌てて駆け寄り抱き起すと「ううぅ」と呻きながら目や眉、唇を中央の鼻にギュッと寄せ、目尻には大粒の涙が今にも零れ落ちんばかりに溜まっていた。
「泣かない泣かない縁は強い子だよ」
そう言って抱きしめると強く唇を結んだまま気丈に「んっ!」と肯いたが、肯いた拍子に涙は頬を勢いよく流れ落ちた。
「ヒロちゃん。あそこになんか変な白いのがいるよ!」
縁が指さす先でショウが『見えてるよこの子!』と驚きながらも興味深げに近寄ってくる。
「シャァァーーーっ!」
喉の奥から絞り出すような声を上げて猫の様に威嚇する。
『威勢が良いが可愛いだけだよ』
『お前が変だから怯えてるんだよ。もういいから本当に帰れよお前』
そう告げる富井を無視して、縁をからかうかの様に顔を近づけるショウ。そこに五本の指を鉤爪の曲げた腕の一振りが襲い掛かる。
『うわっ!』
顔を両手で覆って仰け反る。
『えっ! えっ!? 引っ掻かれたの?』
『痛いのか?』
思わず富井も尋ねずにはいられなかった。
『痛くはない……けど何か……オーラがガッツり削られてる? やべぇよ! この子ってもしかして霊能力者?』
所謂、自称霊能力者は幽霊達には笑い者だが、世の中には少ないながらも幽霊に対して干渉する力を持つ霊能力者が存在するのだが、流石に「レアもんゲットだぜ!」と軽く言えるほど気楽な相手ではなかった。
一方、富井は自分の腕の中から落ちそうなほど身を乗り出して腕を振るう縁の姿は、狭い穴から前足を突き出して何かを取ろうと必死な猫の様で『これが、霊能力者?』と首を捻るのだった。
そんな隙を突いて縁は富井の腕の中からスルりと抜け出し、再び「みゃ~っ!」と叫びながらショウへと襲い掛かって行く。自分の攻撃が効いた事で強気になったのだろう。
『止めろ! 止めろってんだ! ちくしょう!』
悲鳴を上げながら逃げる幽霊を追い掛け回す姪。
この状況をどう収拾するべきか、富井には何も思い浮かばなかった。
『どうだチビちゃん、ここには登って来れないだろう。や~い!』
縁が手を伸ばしてジャンプしても届かない高さの門柱の上に陣取ると大人げなく煽る。
「ムキィーーーッ!」
言葉は通じてないのだが挑発されている事は分かるようで縁の怒りがエスカレートしていく。
『ほ~ら来てみろチビちゃん!』
いい加減富井がショウをぶん殴ろうと決めた時、様々な大きさの薄い石板をモルタルを挟みながら積み上げた門柱の石板の間に指を突っ込んで縁は門柱を登り始めた。
怒りが臨界点を突破したのだろう「うぅぅぅぅ~!」と唸り声を上げながら登っていく背中には、叔父として富井が「そんなところを登ったら危ないよ」と一言声を掛ける事すら躊躇われる怖さがあった。
それはショウも同じなようで「怖い! 獲物を狩る肉食獣の目をした幼児が、ゆっくりと迫ってくるのがすげえ怖い!」と叫んでいる。
門柱の上部に縁の右手が届くと思わず足が出て縁の指を押しのけようとするが、勿論すり抜けてしまうだけで全く効果はなかったが、次の瞬間左手の指が上部に掛かると、一気に身体を引っ張り上げてそのままショウの足に縁は噛み付いた。
『痛い! 痛い! 痛いの? いやなんか違う! 何これ!? でも何か痛い!!』
もう一方の足で縁の頭を押しのけようとするとすり抜けてしまうのに、縁の歯は自分を捉える理不尽さ、そして触覚が無いはずの自分が痛みにも似た何かを覚えるという幽霊としての初めての経験に叫ぶ。
「縁、止めるんだ!」
『助けてトミー!』
富井の声に自分の味方をしてくれるのかと思い縋るショウだが、「そんな汚いの噛んだら駄目! ペッしなさい。ぺって」と姪を諭す姿にショウの目は死んだ魚の様な濁った目をした。
『幽霊に痛みを感じさせるなんて恐ろしいチビだよ!』
既にちゃん付けして見下す余裕などなかった。
「シャァァーーーっ!」
再びの威嚇音に飛び退くと『憶えてろよチビ!』と捨て台詞を吐くと負け犬は逃げ去って行くのだった。
興奮状態の縁を抱き上げて家の中に入る。
居間のソファに座って、膝の上の縁を落ち着かせるために撫で続けると、少しは怒りが心が静まった様で「あの変なの何?」とたずねてきた。
「変なのって?」
「白いぼや~っとした変なの」
誤魔化そうかと思っていたのだが、かなりはっきりと見えていたようなので冨井もあきらめるしかなかった。
「あれは幽霊だよ」
「ゆーれい?」
「お化けの事だよ」
富井の言葉に縁の顔が強張る。
「うん、どうした?」
尋ねる富井に答えず身体をブルブルと震わせ始める。
「縁!?」
異変に気づいて声を荒げた瞬間、縁の首が後ろにカクンっと傾く。
目に入れても痛くない可愛い姪と謂えども、口を開けて白目を剥いた顔は怖いと思った直後。
「あ~っ!」
自分の脚の上に広がる温かい感触に全てを悟るしかなかった。
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最初に閃いたコンセプトが「幽霊が成仏するためにキャンピングカーで日本一周する」だったため、キャンピングカーの件が残ってしまった。
結構本気で情報を集めたので全部お蔵入りにするのが無念でダイジェスト版になったがかなり蛇足。
解説
【函館の回転寿司チェーン】:昔函館に住んでいたという人の評価は高いが、小樽に店を見つけて食べたことがあるが思い出補正なのか、昔は良かっただけなのか判断に苦しむ店だった。
【バンコン】:基本的に日本人がキャンピングカーと言われて想像するのはキャブコンと呼ばれるタイプ。FRP製の外壁で覆われた居住ブロックを持つキャンピングカー。キッチン・トイレ・シャワー等の設備があり、寛いで食事をとれるスペースもあるイメージで間違いないだろう。
一方バンコンは元々の車の外装にはほぼ手を付けずに内装に手を入れたタイプで、主に快適に寝られる事を重視して改造したキャンピングカー。
ちなみに作中のキャンピングカーは正式にはキャンピングカーでは無いのだが、その事を主人公は一話の段階では認識していない。それ以降は車検時に知るのだが面倒なので表向きキャンピングカーで押し通す。
ちなみに動画サイトで車中泊仕様に車を改造する動画が数多くあるが、特に定年退職を機に車泊という世代の場合、奥さんと二人乗り仕様で作り始めるが、出来上がって実際に車中泊する段階で奥さんが登場するケースはほとんどない。
【サブのバッテリー】:キャンピングカーの場合。エンジン停止中止に様々な電気機器を使用するため通常の車載バッテリーから電源を取ると、バッテリーが上がりエンジンの始動も出来なくなるため、サブバッテリーとして別の電源を用意するのが一般的である。
またキャンピングカーとかサブバッテリーとか関係無く、バッテリー切れの対策にジャンプスターターは用意しておくべきだと思う。
【幸運の道化師】:函館ローカルのハンバーグショップ。
函館に一泊しかしないのに二回も行ってしまうほど美味い。気軽に行ける距離じゃないから食べた事の無いメニューを食べたいが、既に食べた事のあるメニューも食わずにはいられない罪な奴である。
しかも一個一個にとても重量感があり、どんなに頑張っても三つ食べ、そして腹を壊すのが関の山である。
ただ店員教育には問題があるようで、ハンバーガー以外のメニューでありえないほど酷い出来の料理に当たった経験があるので注意。
【驚愕するロバ】;皆さんご存知の、とっ散らかった内装のハンバーガー・ショップではなく「ハンバーグ」ショップである。
【北関東のS県】:あまり今後の展開に全く関係はないけれど、S県とは朝松健氏の「死闘学園」の舞台であるS県のオマージュです。
欲しいのだが、既に絶版どころかレーベルも出版社もなくなっているので中古書店で探すしかない。
更に読者を非常に選ぶ作品で、格闘技全般、特にプロレス。オカルト。時代劇や時代物の小説。日活無国籍アクション作品等の知識がないと笑えないどころか「ぽか~ん」とするようなギャグが満載であり、また開き直った挙句に逆切れ気味のメタ表現など小説のお約束を破る悪ノリが酷過ぎる……冷静に考えるとトンデモナイ作品だ。
作者は「死闘学園」が好き過ぎて、誰も書かないから自分で二次小説を書こうとしたが、思ってた以上にテイストを出せずに挫折。
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