【1-5】

「北海道ってどんなところなの?」

「北海道はねでっかいどーなんだよ」

 三歳児の漠然とした質問に答えあぐねた結果二十八歳児が出した答えがこれであった。

「でっかいどー! でっかいどー!」

 妙に子供受けしてしまった富井は「そんなに面白いかな?」と少し気を良くしながら東北自動車道を北へと走らせる。



 早目の昼食を取るために那須高原SAへと入る。

「ゆ~か~り~起きて~」

 幸いな事に縁は乗り物酔いしない性質(たち)だったが、三歳児は猫に負けいないくらい寝るのが仕事なので、出発して三十分足らずで助手席に設置したチャイルドシートの中で夢世界の住人になっていた。

 ハーネスを外して肩を揺すりながら声をかけるが「あぅ~」と唸り富井の手から逃れるように背中を向けて夢の中へ逃げ込もうとする。

「ご飯だよ~」

 まだ十一時を過ぎたばかりだったが、早めの出発に合わせて朝食をとったのでそろそろお腹が減っているはずだった。

「うう~」

 しかし、出発してからはほとんど寝ていた縁はまだお腹が減っていない様だった。

「ケーキも買うよ」

「!」

 一瞬で覚醒して跳ね起きると第一声は「イチゴ乗ってる?」だった。

「ショートケーキじゃないからイチゴは乗ってないけど、ここにはイチゴのソフトクリームならあるよ」

「ケーキとソフトどっちも食べて良いの?」

「どうせ全部は食べられないでしょう……まあ食べて良いけど、食べた後ちゃんと歯磨きするからね」

「うん!」

「良い返事だね……磨くのは俺なんだけど」

 義姉の残した「縁ちゃんQ&A」には食後には必ず歯を磨いて上げるなど事細かく記されているのである。


「ケーキ、ケーキ、ソフトにケーキ!」

「縁。ケーキもソフトもご飯を食べた後だからね」

「!」

 頭の中がスイーツで埋め尽くされている縁に、釘を刺すと「何それ聞いてない!」と目で訴えてくる。

「先ずはちゃんとご飯を食べてからだよ」

 姪の視線に負けることなくしっかりと諭す……実際、崖っぷちの攻防を凌いだに過ぎないのだが。

「ヒロちゃん」

「そのお願いだからって顔しても駄目だよ……」

 追い打ちを掛けられて、一瞬「お母さんに頼まれてるんだから」という言葉が頭を過ったが口に出さずに飲み込んだ。


「じゃあ、縁お昼はちょっとね。ヒロちゃんのちょっとだけ頂戴」

 ケーキとソフトクリームの為に出来る限りお腹を開けておく気満々である。

 富井も諦めて妥協する事にするのだった。

「はいはい」

 三歳児の食事量などたかが知れているので、量的に物足りないサービスエリアの食事でも大盛りで頼めば縁に分けても十分だろうと考える。


「さて何にするか、縁も食べるなら……おっ、那須三元豚のハンバーグか……縁、ハン──」

 富井が自分の左手を握って歩く縁を見やると、ピンク色のイチゴのソフトクリームのディスプレイに釘づけ状態になっていた。


 昼食を終えると、縁に手を引かれて御用達でないチーズケーキと地元のとちおとめを使ったソフトクリームを買い車内に戻る。

 富井はラウンド売りのチーズケーキを切って皿に乗せ、更にソフトクリームをスプーンですくってその上に盛り付けていく。

「ヒロちゃん! これってぜいたくなんだよね? ぜいたくひんって言うんだよね!」

 大興奮の縁に、富井は「義姉さん……変な言葉を教えるなよ」と呟く。

 飼い主の「よし」を待つ子犬のように期待一杯の目で、じっと自分を見つめる視線に耐え切れず、まだ電子レンジで牛乳を温め中だったが「おあがりなさい」と言ってしまう富井に義姉の教育方針に文句を言う資格などなかった。



 お腹一杯になって、富井に歯を磨かれている段階で口を開けたまま寝落ちしていた縁は、那須高原サービスエリアを出発する時にはすでにチャイルドシートの中で可愛い寝息を立てていた。


 一人でいる時の孤独よりもずっと辛い二人でいる時の孤独を感じながら再び北を目指して走り続ける。

 旅の計画を立てていた頃は、大間でマグロを食べて一泊し、翌朝函館へフェリーで移動することを考えていたのだが、移動時間だけで十時間程度、更に食事やトイレ休憩などを考えると最低でも十二時間は計算しなければならず、更に予定外のアクシデント等も考慮すると到着予定はかなり遅い時間になってしまう。こういう場合はタイトなスケジュールは絶対にしてはいけない。

 予め初日の夕食にとネットでチェックした店の多くが午後六時に閉店で、遅くまでやっている店の休みは不定休になっていて、電話で確認しても「仕入れの関係で店を閉める事があるので一週間も先の事はわからない」と断られたため大間ルートは諦め、青森市のフェリーターミナルから函館に向かうルートを選択した。

 無理に一日で東日本を踏破しなくても時間的余裕はあるのだから、高速を降りて寄り道をしながら途中で一泊なり二泊なりでもして旅を楽しめば良いのだが、せめて本州にいる間くらいは高速道路で進める限りは一般道は走りたくない富井だった。



 途中、宮城県の長者原サービスエリアと岩手県の岩手山サービスエリアにトイレ休憩とドリンク等の補給で立ち寄り、外を縁と散歩したりもしながら北上を続ける富井だったが、ついに最愛の高速道路とのお別れの時間がやってくる。

 青森東出口を出て一般道に降りるとすぐに現れる。ほぼ十時間ぶりの目の前に現れた信号機の偉容に気圧され怯えた表情をすら浮かべるヘタレであった。


「まず食事かな」

 この時間ならば地元料理を出してくれる居酒屋で、地元産の魚で日本酒を飲むなんて素敵だと思う富井だが、小さな子供を連れての紫煙漂う居酒屋というのは彼にとってはありえなかった。


 次の選択肢は寿司屋だが、居酒屋同様に除外──「いや、回るお寿司屋さんなら」と早速ネット検索をかける。

「青森市……全国チェーンの回転寿司ばかり!」

 実際ヒットしたリストの回転寿司は全国展開の大手ばかりで、見たことが無い店名を見つけて確認してみると函館の回転寿司チェーンだった。

 地元と密着して独自の仕入れルートを持った大手とは一味違った独立系の回転寿司は、旅の前に調べた北海道ではそこそこあるようだったが青森県民はそれほど回転寿司に対する思い入れは無いようだった。


「まだだ。まだ終わらんよ!」

 諦めずに色々と条件を変えながら回転寿司の検索を実行するが、やっと地元の店と思しき店名を見つけて詳細を確認すると「普通に回らない寿司屋だよ! 回転寿司って言っただろ!」と叫ぶ。縁はピクリと反応するもすぐに寝息を立て始めた。


 結局、某グルメサイトの評価が限りなく三に近い全国展開の大手回転寿司チェーンよりもコンマ一ポイントほど高かった函館の回転寿司チェーンに入ることになった。

「明日は函館に入るのに、青森で函館の店かよ。大体この店で食うなら一戸手前で高速降りれば早かったよ。一般道の運転に慣れさせてくれてありがとうね!」

 富井の愚痴に、チャイルドシートの中の縁が眠りながら眉を顰めた。



 夕食は、大手チェーンに比べると値段が高いが味は値段相応で悪くはないが、問題は子供向けのサイドメニューが貧弱だった事で、縁を連れた富井にとっては失敗と言える結果だった。


 食事を終え今晩の宿泊地となる道の駅「浅虫温泉 ゆ~さ浅虫」へと向かう。

 駐車場に車を停めた富井は、入浴道具を詰めたバッグを持ち、縁の手を引いて道の駅としては五階建てと高い建物である本館に向かう。

 この時期の今の時間で施設内で利用可能なのはトイレと自販機と展望浴場だけで、他の施設はすべて閉まっている。

「お店閉まってるよ?」

「でも上の階にお風呂があるんだよ」

「おフロ入るの?」

「広いお風呂に入るんだよ」

「それ知ってる。せんとうって言うんだよね」

「ここは正しくは温泉だよ」

「そうともいうの?」

 銭湯と温泉の違いを説明して分かって貰えるのか? と悩んだ末に富井は「そうともいうね」と答えた。



「夜景が……やけ(い)に暗いな」

 湯船につかりながら窓の外を眺めてそう呟く。

 展望浴場というのだから夜景も綺麗なのだろうと期待していた富井だが、海に向かって開けた大きな窓からは漁船の漁火も見えず唯々暗闇が見えるだけでは、皮肉交じりの駄洒落の一つも出ても責めることは出来ないだろう。

「やけいがやけいにくらいな~!」

 がっかりする富井を余所に、三歳児は広い浴槽にプカプカと浮きながら聞き流して上げるべき駄洒落を本人の前で嬉しそうに繰り返すのだった。



 移動中は寝てばかりだった縁は夜の九時を回っても未だ元気。むしろフル充電状態だったが、一方で富井は車中泊中に何かあった時に運転出来るように酒を飲まずにいたのにも関わらず既に眠たくなっていた。

「ねえこの後どうなるの?」

 二人でテレビ放送のアニメ映画を観ていると縁はこの手の質問を良くする。

 富井としても観た事の無い映画であり、わざわざネットで検索して教える気もないので「それは見てのお楽しみだよ」と答えるしかなかった。

「ヒロちゃん~」

「俺もね、知らないの」

「そうなんだ~大人だから知ってると思ってた」

 子供からの無条的信頼が誰かの親になった事の無い富井にはプレッシャーだった。


 朝からの運転で縁よりも先に寝てしまいそうになった富井だが、何とか持ち堪えてベッド展開作業と縁と自分の歯磨きトイレを済ませる。そして既に夜オムツは一応卒業している縁だが念のために防水おねしょパッドを敷いて、その上にタオルケットと温度調整機能付きでお値段以上の掛け布団を掛けて就寝準備を完了させる。

「おやすみなさい」

 向かい合ってそう言い合うと消灯する。

 まだ眠くならず、もぞもぞと布団の中で動き続ける縁を抱きかかえるように抑え込む。すると安心したようにすぐに立て始めた寝息を子守歌に富井も眠りに落ちるのだった。

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