【1-3】

「縁のこれからの事を考えたら定期的な収入は絶対に必要だ」

 幸いな事に現状すぐに金銭的に困窮する事はない。


 状況が状況だけに社長が何とか工面して出すと言ってくれた退職金の額は決して多くは無かったが、元々給与は同世代と比べたら多く貰っていた上に、仕事が忙しすぎて使う暇がなかったので、相続した家と土地の税金を払っても彼の銀行口座には贅沢しなければ数年は生活に困ることのない金額が残っていた。

 家の自体の評価額がゼロに近かったが、土地は流石に五千万を超えたので切り詰める必要は感じてた。


 そしてまだ振り込まれてはいないが、両親と兄夫婦が空港で掛け捨ての保険に加入していたので、その保険料と両親と兄夫婦が残した遺産があれば縁が独り立ちするまでにかかる費用を賄うに十分な金額になるだろうが、それに手を付ける気にはなれなかった。

 少なくとも兄夫婦の財産と保険金は縁が独り立ちする際に全て渡してやりたかった。



「発想を変えよう。そもそも今の会社に勤めながら縁を育てる事が出来たのか? いや絶対に無理だ! つまり会社が倒産した事は愛社精神を無視すれば、全く問題は無い。多少なりとも退職金が出ただけありがたいくらいだ」

 酷い事を口にする彼の顔は晴々としていた。

「結局、現状で必要な条件は、縁が小学校に入学する年齢までは出来る限り傍に居られるような形態の収入源を見つける事だ。それしかない」

 姪の事に気を取られて自分自身のその後の人生設計を完全に忘れている彼は、間違いなく馬鹿だが悪い人間ではない証でもあった。



 先ずは兄夫婦と縁が住んでいた賃貸アパートの解約と荷物の整理と処分を行い。

 次に自分が住んでいた元職場へ電車で三駅のアパートを引き払い実家への引越しを行うつもりである事を必死にかみ砕いて縁に伝えた。


「ヒロちゃんと一緒におじいちゃんのお家に住むの?」

 この「ヒロちゃん」とは叔父さん呼ばわりされるのを嫌った富井が無理やり呼ばせたのではなく「ヒロシおじちゃん」と言えなかった頃の縁が、ヒロシの「シ」を省略し、更におじちゃんの「おじ」も省略してしまった結果であり、それを今も使い続けているのである。

 ちなみに「ヒロちゃん」も言えなかった二歳頃迄は「ヒーヒー」だったのだが、その頃すでに叔父馬鹿を発病していた彼は高校時代からの友達と飲んだ際に、如何に自分の姪が可愛いか力説し「俺のことをヒーヒー」と呼んでくれる事をしつこく自慢した。

 その後、酔った上にいい加減にうんざりした友人に「幼い子供をヒーヒー言わせる変態がいるんです」と通報されて実際に警察が来て大変な騒ぎになって、その店を出禁になったのは良い思い出なのだろう……多分、きっと。


「そうだよ。お父さんと俺が育ったこの家で縁も暮らすんだよ」

 富井は続けて「嫌か?」とは聞けなかった。この幼い姪の同意の強要などしたくはなかった。

「お父さんとお母さんと縁が住んでいたお家は?」

「元のお家の方が良かったのかな? 縁が好きなお家で良いよ」

 まだ両親と兄夫婦の荷物の整理も手つかず状態なので、一番キャパの大きな実家なら兄夫婦の荷物と自分の荷物を運び込む事が出来るし何より家賃が掛からなくて助かるのだが、やはり縁が第一だったのだ。


「ゆかりねえ、ヒロちゃんと一緒ならどのお家でもいいよ」

 そういう風に言ってくれる縁だが、実際は毎日の様に夜中に突然泣き叫んでしまうほど心に傷を負っている。

「そうか、ありがとうな縁」

 そんな三歳の姪の気遣いに嬉しいやら気遣いさせてしまう自分の情けないやらで胸が一杯になり、縁を強く抱きしめた。

「だからね、ずっとずっと一緒」

「うん、そうだね……俺ももっともっと頑張るよ」

 兄貴と義姉の代わりは無理でも、せめて大人として縁に気遣いさせないくらいにはと富井は思った。



 今月中に解約して退去するために富井はすぐに荷物の整理・処分と運搬を始めることにした。

「冷蔵庫や洗濯機は、俺の小さい奴や実家の古いのより兄貴のところのを使うとして、やっぱり大型の家電や家具は業者に頼むか」

「テレビはヒロちゃんの大きなのが好き!」

 富井は反射的に周囲を見渡し、例の中学校時代からの友人がいない事を確認した。



 兄夫婦の家にあった物は、縁が大きくなって自分で必要か不必要かを判断出来る様になるまでは捨てずに残しておきたいが、例えば下着類の様に処分しておいた方が良い物もある。

 他にも処分しておくべきものは多いだろうと見積もるも、結局は残しておくなら実家に、処分するなら処理場に持ち込む必要があり、母親が買物用に使っていた軽自動車や兄のコンパクトカーでは運べないものも少なく無かった。


「確か親父がキャンピングカーに改造するのに買ったワンボックスがあったはずだよな」

 彼の父親は退職後のセカンドライフを満喫するために、趣味の釣り用の車──釣り道具を積んで、一人で車中泊する目的──としてスズキの軽ワンボックスか、そのOEM版で良さそうな中古を探していたのだが、その様子を見ていた母親が吐き捨てた「随分楽しそうな老後の人生設計ですね……一人だけで」と凍り付くような言葉に恐怖し、すぐさま夫婦二人で名所と温泉を巡り、その土地の食事を楽しむ為の車中泊用の車作りへと変更した。

 結果、二人旅に必要なスペースを考えて、ベース車両も軽ワンボックスから大型商用ワンボックスカーへ変更されたのだった。


 家に併設されたガレージのシャッターを上げて中をのぞき込む。

「トヨタの大型商用バンか」

 良くも悪くも名高いHな奴である。

「うわ~バスだ!」

「うん、ちょっと違う気もするけど間違いでもないね……たぶん」

 実際にマイクロバスとして定員が十人以上のモデルも存在するが富井は知らない。

 単に姪っ子の発言を正面から否定する事が出来なかっただけである。


「ロングボディーのハイルーフ……キャンピングカーとして使うつもりなら妥当といえば妥当な選択なんだろうな」

 ハイルーフはデメリットもあるが、富井の両親は共に小柄で父親さえ百六十センチを大きく下回るのでハイルーフならば床を張る時に床下のスペースを作らないようにすれば、車中を歩く時に軽く頭を下げておけば頭頂部を天井で擦る事も無い。

 また立ったままの姿勢で着替えが出来るので、長い車内での生活で感じるストレスを大幅に減らすメリットがあった。

 しかし高身長の富井にとっては単純に室内空間が広がり荷物を収納するスペースが取れる以外にメリットは少ない。

 一ナンバーに分類されるため税金などの法定費用は安くなるメリットがあるが、車検も毎年受ける必要があるので手間は二倍になる。

 更に任意保険では「家庭用」ではなく「事業用」と分類されるので保険料は高くなってしまうので、この段階で金額面でのメリットはかなり圧縮されてしまう上に、高速道路料金は三ナンバーの二割増しで、更に三割引きの休日割引が対象外となり高速道路の使用頻度が高いドライバーならば、金銭面のメリットは消えてしまうどころかデメリットになってしまう可能性が高い。

 更に金銭面以外では重心が高くなり重量も増加し、制動性能の悪化や横風の影響の増大による安全性の低下、そして燃費性能の低下などを踏まえると総合的にデメリットの方が大きいと判断するしかなかった。



「じゃあ、中を見てみようか?」

「うん!」

 そして左のスライドドアを開けた次の瞬間。

「何じゃこりゃ!」

 叫ぶ富井を縁も真似て「なんじゃこりゃ~!」と楽しそうに叫んだ。


 ワンボックスの中は、天井や壁やドアに取り付けられていた樹脂製のパネル類が全て取り外されて、剥き出しになった外装の鉄板の裏が露わになり、電装品のケーブルが無残に垂れ下がっており、一言でいうなら車の廃墟状態だった。

「……これは、デッドニング中だった……のか?」

 天井の前半分ほどに黒くて分厚いシート状のゴムの様な物が幾つも貼られているのに気づいた。

「でとにん~!」

 かなり違うが姪の可愛いさにニッコリと笑って許すのだった。


 デッドニングとは、車載オーディオの音を良くするために、ノイズの元である車自身の振動やロードノイズ、更に外から入ってくる音を抑える為に音を車内に響かせる原因であるドアなどの鉄板部分に振動を吸収するゴムを張り付けたり、内装のパネルとの間に防音材を入れる処理だが、キャンピングカーの場合は特に就寝時に外部からの音を遮断する目的で行われる。

 また断熱材も使用して夏冬の寒暖から室内の温度変化を抑える処置も同時に行われる事も多いので、なんとなく防音・断熱処理の事だと思っておいて良いだろう。


 キャブコンと呼ばれる本格的なキャンピングカーの居住ブロックはFRP等で作られており、外壁と内壁の間に高い防音・断熱対策を施されているが、一方でバンコンは基本的に外観はほぼベース車両のままなので、強い雨が降ると雨粒が屋根などの鉄板を叩く音で夜は眠れたものでは無い。

 本気で長期間の車中泊旅行に堪える車を作る覚悟があるならば是非ともやっておくべき処置である。


「しかし、これはどうすれば良いんだ?」

 富井の真似をして「いいんだ~?」と言いながら腕を組んで首を傾げる縁がいなければ、とっくにドアを閉め、その場で建機レンタル会社に電話して軽トラックを確保しただろう。

 彼はこの手の作業を苦手とするタイプではなく、むしろ機械いじりは好きな方であるが、流石に車体を叩きながら音の響くポイントを探してはゴムを張る作業は想像しただけで嫌気が差す。

 それどころか現状では外された内装のパネルとネジがどこにあるのかも分からなければ、多分パネルをはめるにも順序があるのだろうと思うと頭が痛くなるのであった。


「このまま廃車にすべきか? とりあえず何とか元に戻せば人気車種だし売れるよな……どっちにしても親父が化けて出てきそうで嫌だ……キャンピングカーにするとして、このまま元に戻しても結局後でデッドニングをする事になるなら……いや、きっとやるんだろうな。だったら今やるべきなのか?」

 この後、外されたパネルとネジ等の部品はガレージの隅で発見し、更にダッシュボードの中に父親本人が自分の為に撮影したのだろう、パネルを外す作業を解説付きで録画したビデオカメラを発見し無ければ、そのまま廃車にしていただろう事も事実である。


「べきなの!」

「やった方が良いと思う?」

「うん!」

「そうか……それなら親父の供養代わりにキャンピングカーを作ってみるか」

 実際のところ縁には意味が分かってないのだろうが、その言葉に富井は背中を押されたよう気になり、この車をキャンピングカーとして完成させて縁と一緒に旅に出るのも良いかと思うのだった。



 キャンピングカーに改造すると車内に棚などの構造体を配置することになるのでルームミラーの視界を遮り後方確認が出来なくなるのでバックモニターが欲しくなる。

「親父もそう思ったのか」

 ガレージ奥の隅にブルーシートを被せてあった荷物の山の中からバックモニターセット一式を始めとするキャンピングカー作り用と思われる太陽光パネルや大容量のバッテリーシステム。電気製品等が購入してあったので、それらの配線を行うならば、やはり内装パネルが外された状態の今やるしかなかった。


「ユーティリティーナット……追加する?」

 地道なデッドニング作業を続けながら、改造の参考のために流している車中泊用車の改造動画で、車には最初から車内に様々なアクセサリー固定するために用意されているボルトをねじ込むための穴が最初から用意されている場合があり、それを上手く使って改造の役に立てる方法が幾つも紹介されていた。


 日産やスズキ等ではユーティリティーナット。ダイハツではユースフルナット等と呼ばれているようだが、ライバルである日産の大型商用バンにはユーティリティーナットが数多く用意されているのだが、富井の父親が残したトヨタのそれには申し訳程度にしかなかった。

 しかし、現在パネルが外されてむき出しになったボディの外板の内側を見て「ロングナットを溶接すれば好きな場所にユーティリティナットが出来るのでは?」と余計な事をひらめいてしまったのだった。

 しかも工場に持ち込めば一か所当たり数百円程度でやって貰える事を知ってしまった彼は「一箇所二箇所で頼むのは申し訳ないから、適当に十……いや二十位頼めば良いよな」等と言い出す始末だった。

 ちなみにロングナットとは通常のネジ穴の径と同じかそれ以下しかないナットの厚みを数倍から十倍以上に増した文字通り長いナットである。


 デッドニング作業を中断し、日産の大型商用バンに用意されているユーティリティナットの位置を参考にハイエースの各所にロングナットを溶接する場所にあたりをつけ、取り付け場所をマジックで囲んでいく。

 更に壁にはめ込むパネルと外板との長さを計ると縁を連れて郊外のホームセンターでロングナットを余裕をもって多めに購入し、近場で溶接をしてくれる工場をネットで探し大凡の費用を確認すると、そのまま車を工場に持ち込み即日溶接を終えるのだった。


 天井は住宅用の安いフローリング用の板材を使う事にした。

 溶接費用が予想よりも安かったので天井にユーティリティナットを追加して溶接してもらう。

 後々配線し直す時に縦に長い板を一枚を外せばアクセス出来る様にするためで、木目を活かしカントリー風の内装にしたいというデザイン的な理由は全く考慮していなかった。

 その証拠にドアや壁等は元の樹脂製のパネルをそのまま戻すつもりだ。

 インテリアコーディネートも彼の仕事の一つだったのだがプライベートではこんなものである。



 デッドニングと配線作業の前に内側にガイナと呼ばれる断熱・遮音性に優れた塗料を塗るか考えたが、塗料と呼ぶにはあまりにも高すぎる値段と内側よりも外側に塗った方が効果が高いと知り諦めて、そのままデッドニングと配線を施す。

 本人は後々必要性を感じたら、その時に外側を塗れば良いと思っているが、これは良くある絶対にやらないパターンである。


 パネルの洗浄──中古商用車であったためタバコの煙による汚れが裏側にまでこびりついていた──と再設置。

 そして床のフルフラット化──本来は後部座席を畳むと前座席の後ろで場所を塞ぐので、彼の父親が内部空間を広げるために後部座席を撤去し、二人乗り専用にして構造変更手続きをしていた──三メートル以上のスペースの床には細かい凹凸があるのでクッション性のあるタイルカーペットを敷き詰める。それが富井の父の考えだった。

 先にも述べたように富井の身長では、どのみち車内で立つことは難しいので床を上げて床下に収納スペースを作る事にするのだった。



「縁もお手伝いしたい!」

 それまで富井の作業を興味深げに見ていた縁がそう切り出した。

 忙しそうに作業をしている富井の姿が、何やら楽しそうに見えたようで自分も何かしたくなったのだった。

「……それでは縁隊員にもお仕事を与えよう」

「わ~い!」

 喜ぶ縁を連れて買い物に出かけ、郊外の大型書店の文具コーナーでスケッチブックとクレヨンを買って帰る。

「縁隊員には作業の記録係を命じます」

「きろく係?」

「これで叔父ちゃんが働いてる様子を描いて下さい」

 可愛い姪が、自分の絵を描いてくれる富井にとって何よりのご褒美だった。

「うん、ヒロちゃんを描く!」


 縁がお絵描きに夢中になっている間に富井は急ピッチで作業を進め、車内での無理な姿勢による長時間の作業で腰を痛めながらも二日間で作業を終えた。

 彼には縁がお絵描きに飽きた後のプランは無かったので必死にやり遂げたのだった。

 勿論、縁が寝た後も作業を進めたお陰であるが、富井はやり遂げたのである。

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