光速の第一歩 その13

013


『浅川万里』


 自分とついさっきまで死闘を繰り広げた相手の名前をインターネットで検索するのは初めての経験だった。


 研究所での戦闘を終えたあと、僕と村雨は火災の鎮火に協力して自宅へと戻ってきた。


 自宅へと戻ってきた僕はソファーでスマホをいじりながら、Go○gleで浅川万里の名前を検索していた。


 ちなみに村雨は当たり前のように僕と一緒に部屋に戻ってきて、現在は台所で先ほど食べた夕食の洗い物をしている。


 検索すると、ネット上には浅川のこれまでの輝かしい実績が書かれていた。――しかし、そのすべてが過去のもの、より詳しく言えば十年近く前のもので、


『陸上競技元日本記録保持者浅川選手引退』


 と、書かれた最新の記事はネットのかなり下の方まで検索しなければ見つからなかった。


 それはいかにあの人が最後まで足掻き続けて、そして足掻き続けたまま消えていったのかということを如実に表していた。


「なあ、村雨?」


「何? 結婚ならもちろんオッケーよ。私の部屋の引き出しに婚姻届が入っているから明日にでも市役所へ提出に行きましょう?」


「ちげぇよ」


「学生結婚、それも高校生同士の結婚となれば周りからの批判は避けられないでしょうけれど、でも私久間倉君となら上手くやっていけると思うわ。もちろんゆくゆくは久間倉君には家庭を支える大黒柱になってもらわなければいけないのだけれど、それでも費用対効果を考えれば大学には行ってもらった方が長期的に見れば生活は安定すると思うの。だから久間倉君には結婚した以降も学業には励んでもらって、地元の国立大学か、もしくは返済不要の奨学金をもらえるくらいの好成績で近くの私立大学に通ってもらう必要があるわね。今の久間倉君の成績では正直厳しいとは思うけれど、まだ時間はあるから安心してちょうだい。私がきっちりと教え込んであげるから。私のすべてをかけて久間倉君を無事エリートコースへ進ませてみせるわ。そして予定通り大学に進学してからはさすがに少しアルバイトもしてもらわなければいけないけれど、安心してね、主要な生活費は私が何としても稼ぐから。ひょっとしたら久間倉君にも今と同じくらいの頻度で組織からの依頼を受けてもらう必要があるかもしれないけれど、でも心配いらないわ、私がきちんと組織と交渉してそれなりの給与を発生させるから。その分私たちに対する仕事の負担は増えるかもしれないけれど、そこは私が馬車馬のように働いて何とかするから安心してちょうだいね。あ、でもさすがに贅沢はできないから大学はきちんと四年間で卒業してね。まあ久間倉君は文系志望だからおそらく大学院に進む必要はないと思うけれど、もし四年後に本気で学業を極めたいというのであれば、そのときは私に相談してね。一応考えはあるから。と、仮定の話は置いておいて、特に何事もなければ、一般企業か地元の公務員として勤めてもらって、おそらく大学時代にいくらか借金は必要になるでしょうから、それを返済しつつ、でも大学時代よりは余裕をもって暮らせると思うの。そして、その……生活にある程度の余裕が出てきたら……こ、子どもが欲しいかなって……。大丈夫、私と久間倉君との子どもだもの、絶対に可愛くて賢い子どもが生まれてくるわ。名前はさすがにまだ決めていないのだけれど、それでもできれば子どもは三人くらい欲しいかなって……。ほら、私って結構複雑な家庭に育った人間だから、子どもが多くて活気ある家庭には憧れていたのよ。だから、久間倉君ともそんな風に幸せな家庭が築ければいいなと思っているの。もちろんそのためには久間倉君にもその……色々と頑張ってもらわなければいけないのだけれど、でも子育ては私がきちんとするから安心してね。久間倉君は性欲の限り頑張ってもらって……な、なんなら三人とは言わず、四人でも五人でも久間倉君が望むなら受け入れる覚悟よ。そして、子どもたちがそれぞれ独り立ちしたらあとは夫婦水入らずとして過ごすの。でも久間倉君、ひとつだけ約束してね。一秒でもいいから私より長生きして――」


「だから、ちげぇって言っているだろ!!」


 放っておくとこのまま僕との人生設計を口にしながら今すぐにでも市役所に走り出しそうな勢いの村雨の話を遮って僕は大声で叫んだ。

(僕が遮らなければ、どさくさに紛れて某めぞ〇一亥の名言をパクリ出すところだったのでそれだけは何としても止めなければいけないと思った)


「冗談よ。それで、どうかしたの?」


「……ちょっと聞きたいことがあってさ」


 さっきのドン引きするような人生設計は村雨にとってはただの冗談だったらしい……怖いよ。


「それで、聞きたいことって何なの?」


 村雨は先ほどの態度とは一変して、真面目なトーンで僕に尋ねる。なんだかんだはぐらかしながらも、僕がこれから真剣な話をするつもりであることが伝わったらしい。


 そのあたりの意思疎通が、短い時間ではあるものの、僕たちがかろうじて恋人として上手くいっている大きな要因なのかもしれない、と僕はそんなことを改めて思った。


「超人ってさ、どういう原因でなることが多いんだ?」


 僕は、それがまるで何でもないようなことであるかのように村雨に尋ねた。


「理由なんて色々よ。今回みたいに実験に巻き込まれるケースもあれば、超人と直接接触することで自分にも超人化の症状が現れるケースもあるわ。前にも少しだけ話したかもしれないけれど、ようは偶然の産物ということね」


 村雨も洗い物を続けながら、まるで世間話をするように答える。ただ、その言い方には少し棘があって、それについてあえて僕は気づかないふりをした。


 当然だ。村雨は自ら超人になろうとして、――そして失敗したいわば出来損ないの超人だ。


 そんな村雨が僕みたいな何の努力もせずに偶然宇宙人になったようなやつからこんな質問をされれば、それは腹が立って当然というものだろう。むしろ、いつもみたいにヒステリックを起こさないのが不思議なくらいだ。


 それでも、僕は何となく疑問に感じた。疑問に思ってしまった。――僕以外の超人が、一体何を思うのか。超人になって、ある日突然特別な力を手に入れて、そのときに一体何を感じるのかを知りたいと思ってしまったのだ。


 そして、そんなことを尋ねることができる相手は僕には村雨しかいなかった。


「偶然か。でもさ、偶然そんな風に持て余すくらいの特別な力を手に入れてしまったら、普通の人は何を思うのかな?」


 だから、構わず僕は村雨に尋ねる。まるで世間話でもするようにごくありふれた様子で、彼女の琴線に触れるかもしれないような危険なテーマについて話す。


「さあね。少なくとも、そんなことは手に入れることができなかった側の人間である私には分からないわ」


 村雨は突き放すようにそう言った。


「でも、きっと他の超人たちも久間倉君と同じことを思うのではないの?」


「そんなものなのかな?」


「さあ? だから私には分からないわ」


 そう言うとちょうど洗い物を終えた村雨が僕の座っているソファーのすぐ隣に腰を下ろした。


「でも、きっと今の超人たち、少なくとも私が組織で出会った超人たちは皆その運命を受け入れていたわ」


「運命を、受け入れる?」


 あまりに大それた言葉だったから、僕はつい聞き返してしまった。


「そう。才能がないことを受け入れるのと同じくらい、自分の長所や自分の持っている力を自覚して受け入れていくことも難しいことよ。――だって、その能力が自分の望むものであるとは限らないのだから」


「……」


「そして、それが突然降ってきたような力であればなおさらね。でも、久間倉君たちは受け入れた。普通であった日常から、超人としての特別な非日常を受け入れて生きている。それはね、私は誇っていいことだと思うの。少なくとも、きっと私にはできないことだわ」


 謙遜だ。僕はそう確信した。


 常にヒステリックを起こすメンヘラ美少女だから忘れてしまいそうになるけれど、村雨は僕なんかよりもずっと強い人間だ。常に生きる意味を探して、そしてその意味が見いだせず、かといって日常にはもう戻れないところまで踏み込んでしまった今なおも、こうやって弱々しくも生きている。そしてきっと、そんなことは僕にはできない。


「ふふ、案外私たちって似た者同士なのかもね?」


「――?」


「何でもないわ」


 そう言って村雨は僕の隣でご機嫌そうに笑う。


「ねぇ? もう少し近くに寄ってもいい?」


「……いいよ」


「ありがとう」


 そう言って村雨は僕の左肩にもたれかかる。


「ねぇ、久間倉君? 私やっぱり子どもは五人くらい欲しいわ」


「……大学卒業して大人になったらな」


「約束よ?」


 春休み以降、宇宙人になって非日常を、あるいは特別な日々を送ってきた僕にとって自分以外の誰かにとっての特別な存在となり、また、日常の一部となっていることがたまらなく嬉しかった。


 村雨の話した人生設計通りに事が進むのはまったくもってごめんだけれど、それでも、二人なら、こんな風に毎日が非日常の連続であっても、それすらも日常の一部としてやがて受け入れていくことができるような気がした。


 こんな風に普通ではない僕たちは、まるで普通の恋人たちのようにお互いに寄り添いながら、しばらく一緒の時間を過ごした。

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