光速の第一歩 その11

011


 春休みに僕が『あいつ』と出会って宇宙人になってからというもの、文字通り僕は人間離れした身体能力を手にしていた。――そして、もちろんそれはスピードにおいても例外ではない。


 春休み以降、どんなモンスターも、あるいは、僕と同じく宇宙人となった木原那由多キハラナユタのように僕と互角の速度を持っているやつはいても、僕を上回る速度を持った相手に出会ったことはなかった。


 まあたかだか二ヶ月弱しか経っていない宇宙人としての経験で何を偉そうにいっているのかと言う話ではあるのだけども、しかしそれでも、――僕がスピード負けするのが初めての経験であるということは紛れもない事実だった。


「俺はさ、これでも昔は短距離走の選手だったんだ。いわゆるアスリートってやつさ。まあ昔とはいってもつい数ヵ月前までの話なんだけれど」


「どうりで。走り方が堂に入っていると思いました。プロの方だったんですね」


 僕たちはお互いにボロボロになりながら、しかしそんな状況には不釣り合いな世間話を繰り広げていた。


「正確にはプロじゃねぇがな。まあその辺は陸上競技ってのはまだまだマイナースポーツなのさ。野球やサッカーみたいにはいかねぇよ」


「そうなんですか。大変……なんですね」


 僕は当たり障りない返事を返す。


「そうだな。大変だったよ。でも、あんなものは楽な部類さ。アスリート時代の悩みなんて今思えばたかが知れている。現代社会人の、一般人の悩んでることの方がアスリートの何倍も深くて苦しい」


「……そういうものですか」


「そういうものだよ。だから、俺はスーパースターに、ヒーローになりたかったんだ」


「……」


「より正確に言えば、スポーツでヒーローになって社会から逃げ切りたかった、ってことかな。まあ負け組アスリートの悩みだ。笑ってくれ」


「笑えませんし、笑いませんよ」


 そう、僕には彼を笑うことはできない。夢破れて、ボロボロになって、それでも成功している誰かを羨ましいと思う気持ちは僕みたいな凡人にだってないわけじゃない。でも――


「でも、それでも僕を倒したとしてもあなたはヒーローにはなれませんよ?」


 なぜなら他ならぬ僕もヒーローではないから。ゆえに僕に勝ったところでヒーローになれるわけなどないのだ。


 浅川は僕からヒーローの座を奪い取るつもりらしいけれど、そもそもそんな座に僕はついていないのだ。


「それは持っているものの傲慢な考えだよ。俺にも経験がある。見るに耐えないな」


「どういうことですか?」


 僕は聞き返す。


「ようするに、お前自身がどう思おうが関係ないってことさ。お前がどう思っていようと、周りの人間がお前をヒーローだと思えばお前はヒーローなんだよ」


「……そういうものですか」


「そういうものだよ。だから、俺はお前と戦うのさ」


 そう言って浅川は構えをとる。短距離走さながらのクラウチングスタートの構えを。


「……わかりました」


 そう答えて僕も浅川の攻撃に備える。


 ――ドン!!


 次の瞬間、浅川の姿が消えたかと思うと、浅川は僕の目の前で倒れていた。


「ぐぁ!?」


 腹部にはめり込んだような拳の跡がついている。


「はぁ、はぁ、はぁ。まだそのスピード、使いこなせていませんね」


 簡単な話だ。元々スプリンターであり、しかも超人になったのがつい数時間前でおそらくうまく力を使いこなせない浅川は僕に対して真っ直ぐにしか走ってこないと読んでいた。


 そこまで読みきってしまえばあとはタイミングを合わせて拳を繰り出すだけで簡単に倒せる。光の速度も、軌道さえ分かってしまえば僕にとってはどうということはない。


「さて、あとは超人集団に連絡して――」


 しかし僕もここで一瞬油断してしまった。あろうことか光速を越えた男を目の前にしながら油断して浅川から目を離してしまった。


 ――ヒュン!!


 そんな音にもならないような音を出して、最後の力を振り絞ったのであろう浅川は研究所から離脱してしまった。


「あちゃーやってしまったな。これは追い付けない」


 そんな僕の呟きすら誰に聞こえることもなく、燃えたぎる炎で照らされた闇夜に消えるだけだった。

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