第15話 盲目の憧れ その7
013
飛行機には何度か乗ったことはあったけれど、こんな揺れ方は初めてだった。
しかも、目が見えないゆえに、この飛行機が真下に落下していることはすぐ分かった。
――昔からそう。私は他の人とは違う感覚を持っていた。
みんなが当たり前にできることが私にはできない代わりに、みんなが一生かけても見ることができない景色を私は『見る』ことができた。
だから私は心のどこかで自分以外の人を見下していたのかもしれない。
目が見えなくても周りの人たちの反応から自分が恵まれた容姿をしていることは分かっていて、それがさらに私の持っている、まるで自分が特別であるかのような錯覚をより助長させたのだと思う。
周りの人たちは私のことを美しいとか、可愛いとか言ってくれたけれど、自分の内面すらも『見える』私にとっては自分のことなど、とてもではないけれど美しいとは思えなかった。
――だからあの人を最初に『見た』ときにはその美しさと力強さにとても惹きつけられたのを覚えている。
とても強いくせになぜかいつも何かにおびえているような、そんなあの人の姿がたまらなく愛おしく感じて、私と変わらないくらい弱々しい心を持っているにもかかわらず、逃げ出さない勇気を美しいと思った。
『私もあんな風に強く美しい存在になりたい』と思ったからこそ、私は手術を受けることを決めた――この『見えない』という特別な力を手放すことを決めたのだ。
今のままでは、まるで自分が特別な存在であるような幻想を抱いたまま生きていかなければいけない――だから私は『見える』ようになることで普通の存在になろうとした。
普通の存在になって、それでも逃げ出さない勇気を持つことで、
――私もあの人のように強くなりたいと思った。
だからこそあの人に昨日偶然会えたことは幸運だと思った。あの日に『見た』美しさと強さをあの人は変わらず持っていたから――だから私は安心して旅立つことができた。
「まあ、強いて言えば恋人がいらっしゃったのは予想外でしたけれど」
そう言って私はあの人には絶対に見せないような意地の悪い笑みを浮かべる。
機内はパニックに陥っていてみんなとても慌てていたけれど、私だけはいたって落ち着いていた。
――だってこんな時には必ず
次の瞬間、垂直に落下していた機体がゆっくりと平行移動を始めて、そのまま時間をかけて地面に降り立った。
「ほらね。やっぱりあの人は来てくれたわ」
そう言って今度は子どもらしい明るい笑顔で私は笑った。
――だって、今はどこであの人が見ているか分からないでしょう?
そうやって私は、近くにいる『あの人』にいつ見られてもいいように、いつもの余所行き用の笑顔に切り替えた。
014
落下してくる機体を僕は下から支えながら飛ぶことで何とか強引に着陸させた。
「さて、これで当面の危機は脱したわけだけれど……」
そう言って僕は先ほど光線が飛んできた位置を見ると、そこには前回と同じく筋肉隆々のモンスターがちょうど空港の展望台の位置に立っていた。
「よいしょっと」
僕はそんな軽い掛け声とともに少し助走をつけて展望台まで飛んで行くと、モンスターより少し離れた位置に着地した。
『ヲ? ヲマエガココヲマモッテイルチョウジンナノカ?』
「へー、今回のモンスターは一応喋れるんだな。それは助かる」
モンスターはやや聞き取りにくい声で僕に話しかける。
『ヲレハヲマエニマケルコトワナイ。ヲレワヲマエヨリツヨイ』
「そうかよ。じゃあ試してみなよ」
僕はそう言ってモンスターとの距離を一気に詰めて殴りかかる。
「――!?」
しかし驚いたことにモンスターは僕の拳を紙一重でかわした――まるではじめから僕の動きが分かっていたかのように。
『ヲレ、ヲマエノウゴキ見エル』
そう言うとモンスターは両目からレーザー光線を発射する。
「――っ!?」
僕は咄嗟に両腕を体の前に突き出して受け止めるが、モンスターの両目から放たれた二つの光線が僕の両腕を少しずつ溶かしていく。
「調子に乗るな!!」
『――ウウゥ!?』
僕は同じく目からレーザー光線を発射するが、それも紙一重でかわされる。
(何でここまできれいに全部かわされるんだ?)
僕は少し考えながら超人化した僕の驚異的な視力と透視能力などを使ってモンスターの全体をゆっくりと見渡した。そして、
「――なるほど。お前も『見える』のか」
そう言って僕はまたモンスターに向き直った。
「――透視能力。おそらくそれがお前の持っている能力なんだろうな」
僕は向かい合っているモンスターに対してそう言った。
『ウウガ?』
「お前が理解していようがしてなかろうがどっちでもいい」
タネを明かしてしまえば簡単である。要はあのモンスターも『僕と同じく』透視能力に近いようなものを持っているのだろう。
だからこそ僕が攻撃しようとしてもあのモンスターは僕の細かな筋肉の動きや温度の変化で攻撃を予測してかわされてしまう。しかし――
「――そんなものはタネが分かってしまえばどうってことはないよ」
そう言うと僕は自分の出せる最大速度でまっすぐ距離を詰めるのではなくランダムに相手の周りを走り回った――それこそ相手の『目にも止まらない』速さで。
そしてモンスターが完全に僕を見失ったところで背後から思いっきり後頭部を殴り飛ばす。
急所にダメージを受けたモンスターは吹っ飛ばされて壁に激突した後、ほどなくして溶けて消えた。
015
飛行機が破壊されてしまったことで文月ちゃんのアメリカ行きも危ぶまれたように見えたが、そこはさすが富豪の娘といったところか、その場で専用機を一台チャーターしてしまった。
少し出発は遅れてしまったものの、空港自体も順次使用可能な滑走路から飛行機が飛び立っており、文月ちゃんのアメリカ行きそのものには大きな支障はなかった。
「お見送りに来ていただいてありがとうございます。お二方と出発前にお会いすることができて少しホッとしましたわ」
文月ちゃんは空港の待合室で僕と村雨にそう言った。
「手術、頑張ってね」
僕は当たり障りのないようなことを言う。
「久間倉さん、あなたから見えるこの世界は美しいですか?」
文月ちゃんはいつか村雨が僕に聞いたのと同じ質問を僕にしてきた。
「……」
僕は何も答えられない。
「久間倉さんは正直なお方ですわね」
文月ちゃんはそうやって僕の方を向いてほほ笑んだ。
僕に気を使ったのか、いつの間にか村雨はその場からいなくなっていた。
「きっと久間倉さんの目に映る世界は私が『見ている』世界よりも美しいものではないのでしょうね。でも、それでも私は、早く『見える』ようになりたいのです」
「……」
「たとえ今の私にどれほど美しい世界が見えていたとしてもそれは私だけの世界。
でもそれだけしか『見えていない』私にはきっと誰かの苦しみや辛さやあるいは喜びを同じように感じ取ることができないと思うのです。
――だって、私と他の人たちでは『見えている』世界が異なるのですから」
「……すごいな。これじゃあ君の方がよっぽどヒーローみたいじゃないか」
僕は素直に感想を言う。
文月ちゃんのその年齢に似つかわしくない大人びた考え方や雰囲気から、この子がこれまでどんなに人と違う人生を歩んできたかが僕にも伝わってきてしまったから――だから、つい僕はそんな子どもみたいなことを言ってしまった。
「私はヒーローなどではありませんわ。だって、私にはあなたを信じることしかできませんもの」
文月ちゃんははっきりとそう答えると、見えないはずのその目を僕からそらして滑走路が見える窓の方を向く。
「私はあなたが――久間倉さんがきっと助けてくれると信じているから前を向いていられるのです――初めて私を助けてくれたあの日から。
だから私には信じることしかできませんし、私はどんなときでも久間倉さんのことを信じます」
文月ちゃんは窓の方を向いたままこちらを見ない。
少しだけ頬が赤くなっているような気がしたけれど、それは窓から入ってくる夕焼けの色に紛れて僕にはよく分からなかったし、なによりもこんなに綺麗な夕暮れすら見ることができない目の前の少女をひどく不憫だと思った。
――だから僕は口を開く。
上手い言葉なんてきっと言えないけれど、それでも僕は文月ちゃんに伝えなければならないと思った――だってこの子にとって僕は
「正直、目が見えるようになると、きっと文月ちゃんはこの世界に失望すると思う。僕たちが普段『見ている』世界っていうのはそんなにいいものじゃないんだよ」
僕は窓の外を見て、できるだけ文月ちゃんと同じ景色を『見よう』としながら言葉を続ける。
「この世界にはそれほど美しいものなんかなくて、でもそうでないものは放っておいても必ず視界に入ってくる。何かの犠牲や努力なしに僕たちは美しいものを目にすることはできない――少なくとも、僕たちの『見える』世界ではそうなっているんだよ」
文月ちゃんは振り向かない――まるで目線など向けなくても僕のことは『見えている』と言わんばかりに。
「でもそんな世界だからこそ、そこで前を向いて生きる人たちや諦めずに泥臭く生きる人たちを僕たちは尊いと思える。そんな人たちが苦悩の果てに一瞬だけ『見えた』美しい世界を一緒に見たいと、守りたいと――少なくとも今の僕にはそう思えるんだよ」
それこそ僕があいつに――あの美しい宇宙人に出会えたように。文月ちゃんにだってこの世界で生きてもいいかなと思えるくらいの美しさに出会える時が来るかもしれない。
「だから、僕はこの目に映る世界をいつかきっと美しいと思うだろう。そして、そんな美しい世界を君にも見てほしいと思う。だから、
――君の目に映る世界がきっと美しいものであるように、僕がこれからも君の世界を守るよ」
僕はこちらに振り向いた文月ちゃんの『目を見て』そう告げた。
「……やっぱりあなたは私だけを守ってはくれないのですね」
「――?」
文月ちゃんが少し寂しそうな顔をして何かつぶやいたような気がしたが、僕は聞き取ることができなかった。
そのうちにフライトの時間が近づいてきて菅野さんが文月ちゃんを呼びに来た。
すると、文月ちゃんは僕の方に歩いてきて目の前で立ち止まると、少し背伸びをして僕の耳元に顔を近づけてささやいた。
「きっと私はあなたと同じ世界が見えるようになって戻ってきます。だから、それまで待っていてくださいね――私の
そう言った文月ちゃんは年相応のいたずらっぽい笑みを浮かべていて、僕はその笑顔をこれまで見た彼女の笑顔の中で一番美しいと思った。
016
「かれんちゃんの手術成功はしたみたいね」
ある日の放課後、机とイスだけを残して物が一切なくなった部室でイスに座って読書をしている僕に村雨が突然そう切り出した。
空港での騒動から一週間後、文月ちゃんの手術は無事成功したらしい。
(といっても実際にLINEで報告を受けたのは村雨なのだけれど)
「今週中にも日本に帰ってくるみたいよ? どうするの? やっぱりロリコンである久間倉君は帰国してくる女子小学生に会いに行くのかしら?」
「だから、僕はロリコンじゃない」
これだけは断固認めるわけにはいかないし、認めてしまうと社会的に死ぬ。
「で、会いに行くの?」
「……会ってもいいのかな?」
「何で?」
「だって、ほら……やっぱりがっかりさせたくないからさ」
「それはあなたがかれんちゃんに失望されることを怖がっているだけではないの?」
確かにそうなのだろう。はっきり言って、僕は単純にあれだけ僕を信じてくれている文月ちゃんに失望されたくないだけなのだと思う。
「かれんちゃんに『君の世界を守る』って格好つけて宣言してしまったのでしょう? なら会わないなんて選択肢はないんじゃないの?」
「……重いな」
僕はつい本音を漏らしてしまった。
「誰かから期待されている人なんてみんなそうではないの?」
村雨はすました顔で答える。
「だから、久間倉君が背負っているものを少しでも分担できるように私がいつもそばにいるのよ。お願いだからそれを忘れないでね。
――ほら、行きましょう」
そう言って村雨は僕に手を差し出す。
「……ありがとう」
僕は村雨の手を握ってイスから立ち上がった。
僕の手をつかんだ村雨だったが、僕に変な気を使ったのか途中で別れて先に帰ってしまった。
村雨いわく『今回だけは特別に見逃してあげるわ』とのことだった。
僕はちょうど交差点に差し掛かかったところで、反対側からとても美しい少女が信号待ちをしているのが見えた。
信号が変わった瞬間、その子は信号から流れる音を聞くこともなく、信号の色が赤から青に変わったことをきちんと見て確認すると、ゆっくりと、しかしまっすぐな足取りで歩き出した。
そして、交差点を渡り終えた後、反対側で茫然と立ち止まっていた僕の前に立ち、少し微笑んで、
「またお会いできましたね――私の
と、そう言った文月ちゃんの目はとても輝いていた。
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