第16話 褐色の歌姫 その1

001


 イヤホンをつけて歩く人たちをよく見かける。


 休日の街中で暇を持て余している人、下校中の高校生、通勤途中のサラリーマンなど彼らの時間や状況は異なっているし、何を隠そうこうやって話している僕自身もつい最近までそうやって歩いているうちの一人だった。


 しかし、それは大変もったいないことだと言わざるを得ない――自分のことを完全に棚に上げてでも僕は断固主張する。


 イヤホンをつけて自分の好きな音楽だけを聴き続けることもきっとそれはそれでその人の人生を豊かにしてくれるのだろうけれど、それでも僕は言わざるを得ない。


 イヤホンを外して歩いていると、様々な音が耳に入ってくる。


 それは小鳥の鳴き声であったり、雨の音であったり、風が凪ぐ音であるかもしれない。もちろん時には不快な音を耳にすることもあるだろう――それでも僕は偶然出会う音をもっと大切にしてほしいと思う。


 これから語る物語も大したものではない。


 偶然普段聞かないジャンルの音楽を聴いた僕がそのアーティストのファンになるという――たったそれだけの本当にありふれた物語だ。




002


「久間倉君、今度の週末に私とデートに行きましょう」


 僕がいつものように放課後の部室で読書をしていると、突然村雨からそんな提案をされた。


「それは別にいいけど、お前何でいつも当たり前みたいにここにいるの?」


『よく考えたらお前部員でも何でもねぇじゃん』と言外に僕は村雨に尋ねる。


「――? そんなの久間倉君がいつも放課後はここにいるからに決まっているじゃない?」


 村雨はさも当然といった感じで答える。


「ねぇ久間倉君? そんなことより週末のデートについてだけれど『ディアナ』のコンサートのチケットが手に入ったから一緒に行きましょうよ」


「――へ? ディアナのコンサート?」


 僕は音楽には疎い方だけれど、それでも名前は聞いたことがある。


 ――『ディアナ』


 そのルックスと類まれな歌唱力で今や絶大な人気を誇る世界的に有名なアーティストだ。南米人の母と日本人の父の間に生まれたハーフで年齢は二十七歳。


 そして驚くべきことに彼女の出身地は僕たちが住んでいるこの街なのだ。


「ディアナが数年に一度この街のアリーナで凱旋コンサートをやっているのは知っているでしょう? そのペアチケットが手に入ったの」


 村雨は珍しくテンションが上がっているようで、なんだか僕は彼女の意外な一面を見たような気がした。


「ねぇ久間倉君、一緒に行きましょうよ」


 村雨は普段のクールな態度からは考えられないほど目を輝かせて僕に言う。


 正直、コンサートに興味はないけれど、ここで断ってまたヒステリックを起こされてもかなわない。(もっとも、前回の発作ででこの部屋にあるほぼすべての備品は破棄してしまったわけだけれど)


「いいよ、行こう。ぜひ一緒させてくれ」


 僕は適当に答える。


「本当!? それじゃあ――」


「――悪いが、その予定はキャンセルしてくれ」


 村雨の言葉を遮って突然割って入ってきた声を追って入り口の方を向くと、そこには面倒くさそうな顔をした醍孔先生が頭を掻きながら立っていた。


「……先生、キャンセルとはどういうことですか?」


 村雨は醍孔先生を睨みながらとげのある声で尋ねる。


「珍しく組織から指令が入ったんだ。面倒くさかったから代わりにお前たちを推薦しておいた」


 醍孔先生は近くのイスに座ると、大きく息を吐いて足を組む。


「……先生、後生ですから代わっていただけませんか?」


 村雨は自分の中で葛藤があるのか複雑な顔をしながら醍孔先生に懇願する。


「別に私は変わってやってもいいが、お前たちは後悔するんじゃないか? 特に村雨、お前はな」


「――? どういうことですか?」


 ニヤニヤした顔でそう言った醍孔先生の言うことは何だか要領を得ない。


「醍孔先生、組織から依頼された任務ってどんなものなんですか?」


 僕が醍孔先生に問いかけると、先生はやはりニヤニヤと笑いながら、


「今回お前たちに依頼された任務は、この街でコンサートを行う世界的アーティスト――ディアナの護衛任務だ」


 と、僕たちの方を向いてそう告げた。




003


『ぜひその任務は私たちにお任せください!!』


 と、醍孔先生に即答した村雨はそれから数日間とてもご機嫌だった。

(ちなみに手入れたペアチケットはメ〇カリで売り飛ばしていた)


 僕たちに与えられた任務はこの街を訪れるディアナをコンサート中も含めて五日間護衛するというもので、ディアナがコンサートを行うゴールデンウイークの最終日までの間、僕たちは彼女に付きっきりで護衛を行う。




 護衛一日目。


 僕たちはこの街にある、田舎にしてはやたら設備が整った音楽スタジオにきていた。


「まだかしら? もうそろそろかしら?」


 僕の隣で待つ村雨はそわそわしながら今回護衛する人物を待っていた。


 すると、突然猛スピードで黒塗りの車が突っ込んできたかと思うと、その車は僕たちのすぐ目の前で急停車し、


 ――バタン!!


 と、次の瞬間にはその後部座席のドアが乱暴に開かれて、中からサングラスをかけた褐色肌の女性が車から降りてきた。


「相変わらずこの街は静かで何にもないわね」


 そう言って車から降りてきたのは僕たちが今回護衛する人物である――ディアナその人だった。


「あら? 見慣れない顔がいるわね?」


 ディアナは少し背伸びをして周りを見渡すと、僕たちの方を見て不思議そうな顔をした。


「え、えっと……む、無理。私恥ずかしくて顔を見れない」


 僕の隣にいる村雨はもはや感動のあまりキャラがぶれて、まるで好きなアイドルに会った女子高生のような反応をしている。


 スゲーな。こいつにもこんな一面があるのな。


「はじめまして。僕たちは『超人集団』から派遣された者で、今回あなたの護衛を務めさせていただきます。僕は久間倉健人といいます。あと、隣にいるのは村雨類です。短い間ですがよろしくお願いします」


「よ、よろしくお願いします」


 村雨は僕の影に隠れながら消え入りそうな声で言った。


「ふーん。そっか、あなたたちが今回の護衛を担当してくれるのね」


 そう言うと、突然ディアナは僕に近づいてきたかと思うと、僕の顔をじっと覗き込んで、


「あなた、なんだかつまらない顔をしているわね」


 と、言うとそれ以降興味をなくしたのか隣にいる村雨に話しかけた。


「そっちのお嬢ちゃんはすごく綺麗ね。どう? 私これでも両方行ける口なの。よかったら今夜私のホテルで一緒に夜景でも見ない?」


 突然ディアナに口説かれた村雨は、


「残念ですが、それはお断りします。私の愛は重いので、それを受け止めきれる人としか私は寝ません」


 と、そのときだけはいつもの凛とした態度に戻ってきっぱりと断った。


「あら残念。でも隣の坊やにあなたのその愛が受け止めきれるかしら?」


「無理でしょうね。だから彼が受け止めてくれるまで私はいつまででも待ちます」


 意地悪な顔でにやけるディアナに村雨は答える。そして僕は恥ずかしいので二人と顔を合わせないように目をそらしていた。


「ははは、あなたたち面白いわね。いいわ、こちらこそ短い間だけどよろしく」


 そう言ってディアナは持っていた手荷物を乱暴に僕に放り投げると、そのままスタジオの中に入っていった。




004


 醍孔美妃は『超人集団』の支部にきていた。


 いつも住んでいる街から車でおおよそ一時間半ほど走った市街地に建っているビルの一室にそこはあった。


「やっぱり相手組織の超人化がどんどん進んでいるな」


 醍孔は大きなモニターを眺めて調査結果を見ながらつぶやく。


「前回久間倉が戦った時点で敵の『作り出す』モンスターは言語能力に加え、複数の能力を持っていた。しかもこの能力は……」


『醍孔さん、お久しぶりです』


 突然モニターの画面が変わって眼鏡をかけた三つ編みの女性の顔に画面が変わった。


「宗像、突然画面を切り替えるな。私は今調べ物をしているんだ」


 モニターに映った女性の名前は宗像奏多ムナカタカナタ――彼女は『超人集団』のバックヤードを担当する構成員である。


『いいじゃないですか。醍孔さんが支部を訪れることなんてほとんどないですし』


「うるさい、失せろ。お前に構っている時間はない」


 醍孔は宗像を冷たくあしらうと手元のパソコンに先ほど調べたデータをダウンロードしていく。


『はいはい、分かりました。でも、醍孔さんも気を付けてくださいね。おそらく相手組織の手口やモンスターの傾向を見るとおそらく首謀者は……』


「ああ、おそらく『あの男』だろうな」


 そう言って醍孔はパソコンの画面を見た。


 データの取り込み完了まであと数秒だったが、醍孔にはその時間がとてつもなく長く感じられた。

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