第9話 盲目の憧れ その1

001


 例えば、自分自身にしか見えない世界があるとして、それを他の人に説明することはおそらくとても難しいことだと思う。


 それでも人間である以上、自分以外の誰かに理解してほしい、あるいは誰かと同じ視点に立ちたいと思ってしまってもそれは決して責められることではないのだろう。


『他人にどう見られているかなんて気にする必要はない。大切なのは自分の気持ちの持ちようだ』

 なんて言葉を僕たち凡人は簡単に言ってしまうのだけれど、きっとそんな意見は僕たちのように、自分の気持ちや自分の見える世界が他人のそれと比べてもそれほど大差がない平凡でありふれた人間の考えなのだと思う。


 特別で選ばれた人間には気持ちをどう持ったところで絶対に他人と交わることができない世界や価値観がきっとあるのだろう。

 そして、往々にしてそういうものは自分以外の人間には理解されないものであることが多い。


 それでもそんな特別さや天才性を僕たち凡人は羨ましいと思ってしまうもので、村雨から言わせれば、


『そんなのは贅沢な悩みよね。他人に理解してもらえないことなんて特別な人間に限った話じゃないわ。私たち凡人でもそうなのだし、そもそも、そんな特別な人間から見たら、私たち凡人なんて気にするほどの存在ではないのだから無視してしまえばいいのよ』


 とのことで、そういう話をするとき彼女は決まって不機嫌な顔をしながら僕に暴力を振るうのだった。


 なるほど、村雨のその考えには僕も共感するところがあったものの、しかしきっとその考えすらも、僕たち凡人の平凡な自己満足でしかないのだろう。


 なぜなら、そんな特別な人間たちが、一緒に同じものを見て同じように感動したいと思う相手が僕たちのような平凡な人間である場合も往々にしてあり得ることなのだから。


 今回語る物語は、そんな風に自分だけの世界を持った特別な女の子が自らの意思で平凡な世界に降りてくる――そんな物語。




002


 土下座――それは日本に古来より伝わる究極の謝罪の形である。

 その歴史は古く、邪馬台国の時代から存在していたのではないかという説もあるほどで、それほど日本の文化に深く根付いているものだといえるだろう。


 さて、そんな日本文化に深く根付いている土下座であるが、こと高校生にとってはそれほど身近なものであるとは言いがたい。

 実際、高校時代に友人や先生に本気の土下座を披露したという経験を持つ人は少ないだろう。


 しかし、誠に遺憾ながら僕は高校二年生の段階でそれを経験してしまった。

(大人の仲間入りだ、やったね!)


 時刻は午前八時五十分。僕は一時間目の授業をサボタージュして、慣れ親しんだ生物準備室にて現在進行形で全力の土下座を披露している。


 唯一、一般的な土下座のイメージと異なる点があるとすれば――全力で土下座している僕の頭を先日付き合い始めたばかりの恋人――村雨類が思いっきり踏んづけていることだろう。


 まったく、土下座している彼氏の頭を容赦なく踏みつけるなんて、相変わらず彼女の愛情表現は難しい。


「この状況で一体何を自分の世界に浸っているのかしら? このクソ虫は」


 そう言って村雨は腕を組んだまま僕の頭に足を押し付けている。


 もはやそこには彼氏を思いやる心などなくなっているのか、先ほどまで外を歩いていた靴を僕の頭で磨くかの如く容赦なく踏みつける。

 (どうでもいい話だけれど、誰もいない教室で美少女に土下座して頭を踏みつけられるというのはなかなかどうして趣がある)


「本当にどうでもいいわね。今は久間倉君のドン引きするような性癖の話なんてどうでもいいのよ。それよりも少しは反省しているのかしら?」


「……心より反省しています」


「よろしい。では反省の言葉とともに私への愛の言葉を述べなさい」


「この度は村雨様に大変ご迷惑をおかけいたしましたことを心よりお詫び申し上げます。私はこれからの人生で村雨様に尽くすことでこの失態を取り返していく所存です。つきましては、村雨様には寛大な心でお許しいただきたく思います」


「……もう、本当にバカなんだから」


 村雨はそう答えると僕の頭から足を降ろしてそっぽを向く。横から見えた彼女の頬は少し赤くなっていた。


 ……最近分かったことだけれど、僕の彼女はチョロくて扱いやすい。


「おっほん!!」


 と、村雨はこれみよがしに咳払いをした後、再び僕に向き合った。(もちろん僕は土下座の姿勢を崩さない)


「でも実際、面倒なことにならなければいいのだけれど。まさか――」



「――あなたの正体がバレただなんてね」



村雨は神妙そうな面持ちで僕にそう言った。

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