俺は、ただ



 試合は結局負けてしまった。とは言っても、誠は尻上がりに調子を上げていって、自分がキャッチャーになってからは無失点。試合後、なんだよあのリード、と言いながら、これは正捕手の座も危ないかもな、と羽田は嬉しそうに背中を叩いてきた。


 グラウンドを後にしようとした翔馬は、背後から声をかけられた。


「上野君、ありがとう」


 誠は帽子をとって頭を下げた。翔馬は体を半分だけ彼に向ける。


「試合のことならお互い様だ。別の話なら、まだ何も始まってない」


「でも、たぶん、今の上野君なら大丈夫だって思った。絵美をちゃんと守ってくれよ」


 へへっ、と笑って誠が歩み寄ってくる。振り返って彼と向かい合った瞬間、突然伸びてきた腕から額にでこぴんを食らわされた。ばちん、と音が鳴る、本気も本気の、のけぞってしまうようなでこぴん。


「まったく、かなわねえよ、上野君には」


 何かを堪えているようにも見える誠の笑顔に、翔馬は改めて思う。やっぱり澄香のことだけじゃなかったのかもしれない。たぶんコイツは絵美のことが。……いや、きっとそれはいいんだ。それがコイツの答えなら、ちゃんと応えてやる。


「じゃあ、行ってくる」


「おう」


 日向に出ると、真昼の太陽が身を焦がす。五月の頃とはまた違う、まとわりつくような湿った暑さは、夏が近い証拠。つまりあの絶望の時期からもう三年。帰ってきてからもう三か月。


 今は、前へと駆け出していける。




 絵美の顔が頭に浮かぶ。


 昔からずっと、いつだって他人の笑顔を生もうとしてきた彼女。自分の笑みを、他人の笑みを、何よりも大切にしようとする彼女。


 アイツの笑顔を思い出すだけで、胸が苦しくなる。アイツの泣き顔を思うだけで、また別の意味で胸が苦しくなる。大事にしたい。アイツの感情全てを大事にしたい。


 今から思えば、最初付き合いたいと思ったのは、澄香から離れたいとか、澄香を忘れさせてくれるからとか、きっとそんな理由が先に来ていた。絵美が俺のことを好きでいてくれたから、それでもなんとかなっていた。自分は最低だった。




 だけど、今は違う。


 俺は、伝えないといけない。




 俺は、ただ絵美のことが好きなんだ。



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