全部、受け止める



 翔馬たちの試合は、朝から三十度近い炎天下の中スタートした。誠は予定通り先発ピッチャーとしてマウンドに立ったが、相変わらず球が走っていない。羽田のリードもあり、毎回ピンチを迎えながら、なんとか四回まで一失点で切り抜ける。一方、打線は点を取れず、ビハインドのまま試合が進む。


 状況が変わったのは五回の守備だ。一点を追加され、さらにノーアウトで二、三塁という場面。突然、キャッチャーの羽田が左脚を抑えて苦しそうな様子を見せたかと思えば、足を引きずりながらベンチに引き揚げていく。野手全員がマウンドに集まり、ベンチから控えの一年生の男が走ってきた。


「羽田さん、さっきデッドボール食らったところがやっぱりダメみたいで。誰か交代してほしいと」


 メンバーは動揺する。このチームで彼以外にキャッチャーで公式戦に出た者はいないからだ。それと同時に、ショートを守っていた近藤にチラッと顔を見られ、翔馬は頷く。


「俺、やります」


 他の全員が、何より誠が驚いたように見つめてきた。


「キャッチャーはブランクあるでしょ、大丈夫なの」


 円の中心にいる彼は汗だくで、肩で息をしながら苦しそうな顔をしている。この日光では、投げる度に体力もどんどん奪われていく。翔馬はその頭にポンと手を置く。


「何年キャッチャーやってたと思うんだ。任せろ」


 メンバーの了承をもらうと、翔馬は防具をもらうためにベンチに戻り、羽田に話しかける。羽田はベンチにどっかり座って、痛みに顔をしかめている。


「すまんな、上野」


「いえ、ちょうどいいタイミングなので」


 首を傾げる彼に、「独り言です」と翔馬は返した。


 胴を守るプロテクターを装着する。脚に着けるレガースを装着する。マスクを脇に挟んで、最後に、キャッチャーミットを手渡された。羽田自身の持ち物で、幾多の経験を刻んできたということが手にしただけでわかる。羽田の表情が、精悍なものに変わった。


「上野、お前、本当にキャッチャーだったんだな」


「え?」


 なんでもない、と羽田は手を振った。


「任せたぞ」


「はい!」


 翔馬はマウンドに駆け寄り、誠に話しかける。


「サインだけど、今は無しだ」


「はあ?」


 誠から疑うような目を向けられた。暑さで気でも狂ったんじゃないか、とでも思われているかもしれない。


「小細工するな。お前本来の球ならあの打線くらいバテバテでも十分抑えられる。コースの指示だけ出すから、今は直球だけを思い切り投げろ」


「ちょっと、そんなのねえだろ」


「俺は吹っ切れた。今日答えを出す」


 誠の表情が変わる。目で語り掛けると真意を汲み取ってくれたらしい。反対に、彼の目が揺れる。


「それで大丈夫なの」


「大丈夫かどうかじゃない。そうするんだよ」


 誠の胸をミットで叩くと、ぼすっ、と昔から聞き慣れた音がする。こうやって叩けば、なんでだろう、信頼関係が生まれて、気持ちが通じやすくなる気がする。漫才のツッコミみたいなものだろうか。


 ふっ、と誠が笑う。


「ああ、そうだよな。そうなのかもな」


 誠は帽子をギュッと被った。翔馬は彼の茶色いグローブにボールを入れる。


「わかったか、思い切り」


「おう」


 彼を背に走り、ホームベースの後ろに立ち、マスクを着けてから、翔馬は振り返る。


懐かしい感じがした。


放射状に広がるグラウンド。その先に広がる青空。ヘルメットに手を当てるランナー。そして緊張した面持ちで俺を見つめる守備陣。そうだよな、俺の居場所は元々ここだった。


 内野、外野共に前進の指示を出す。腰を下ろすとマウンド上の誠を見つめる。内角高め、ギリギリストライクの高さに指示を出すと、わずかにニヤッとしたように見えた。


 一球目、寸分たがわず勢いのあるボールが投げ込まれる。打者は手も出せずにのけぞる。受けた瞬間、彼の声を聞いた気がした。


――俺、ずっと上野君に投げてみたかったんだ。部活で野球を始めたときからずっと。


 ボールを返す。それも、思い切り。


 ――俺も、後ろで見ながらうずうずしてた。誠の球を受けてみたかった。


 今度は外角低め、これは低めにボールになる位置。


 誠の球は、打者のバントを潜り抜ける。飛び出していた三塁ランナーを刺して、アウトを一つ取った。二塁ランナーは三塁に進んで、ワンアウト三塁。


 誠に返されるボールを見ながら、翔馬は思っていた。




 全部、受け止めてやる。




 ホームベースの後ろに座って、マスクを装着する。




 誠、お前の思いやりの気持ちだって。




 絵美、お前の俺への気持ちだって。




 ど真ん中に構える。わずかな逡巡の後、誠は頷く。




 そして澄香、お前の死だって。もう逃げない。言いたいことがあるなら、全て受け止めてやるから。




 俺は、受け止める男キャッチャーだ。




 構えたミットに、今日最高の球が投げ込まれる。バットは空を切り、誠のガッツポーズで世界が弾ける。味方の歓声で世界が躍動する。


 立ち上がってマスクを外す。蒸れた顔を、青空から吹き降ろす風が爽やかに撫でる。


「ツーアウト、しまってこうぜ!」


 おう、と威勢のいい声が、グラウンドから、ベンチから、俺を要にして集まってくる。



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