グレーは、どちらにでも転ぶ色



 ★




 レフトの守備位置から翔馬はマウンドを見つめる。誰よりも高い場所に立つ誠は、今は誰よりも小さく、縮こまって見える。


 しなやかな腕から投げられる球には、力がこもっていない。打席に立つ羽田に、いとも簡単に打ち返される。引っ張り過ぎた打球は大ファールで、サード方向のフェンスの向こうに飛んでいく。


 誠は、帽子を取って汗をぬぐっている。あの一件以来、彼とはまともに話していない。


 そして絵美には連絡すら取っていない。悲しませないために、距離を置こうとして。


 いや……体の良い言い訳だ。本当は絵美と向き合わないといけない。俺はあのメールを見て行動したわけじゃないんだ、と絵美の誤解を解かなければならない。だけど、何て言えばいいんだよ。知らないうちに俺はあなたに澄香の幻影を重ねていたみたいです、どうか我慢して付き合ってください? ふざけてる。


 誠の投げたボールが大きく高めにすっぽ抜ける。何とか掴んだキャッチャー役が、低め、低めと指示を出す。




 ごめんね、私がすーちゃんじゃなくて。




 俺は、本当に絵美を見ていたんだろうか。


 俺は、本当は何を見続けていたんだろう。


 だけど、絵美のおかげで今こうやって野球ができている。絵美と行ったデートは確かに楽しくて、俺が喜ばせようとしたのはアイツだった。無邪気で、すぐ拗ねて、甘えてくる絵美を思うと、心がざわめく。


 キン、と高い音が響いた。翔馬は打球の行方を追い、走り、腕を目いっぱい伸ばして飛びつく。


 飛び込んでいる間は、いつだって音が止まる。


 グラウンドに滑りながら着地すると、グローブの中にボールの感触があった。


「ナイスキャッチ!」


 あちこちから聞こえる賞賛の声を聞きながら、翔馬は無心でボールを返す。ナイスキャッチなんかじゃない。打球の反応に遅れただけだった。普通に走れば普通に捕れたはずだ。


 左肘をすりむいたようで、翔馬のユニフォームには赤い色が付いている。袖をめくって傷に唾をつけてみる。小さな痛みと共に液体はじわっと染みていく。顔を上げると、マウンドから見つめていた誠と目が合い、互いにそらしてしまった。




 翔馬は天を仰ぐ。グラウンドの上空には、ずっと、薄い灰色の雲が立ち込めている。




 毛繕い中、チューくんは、自分のグレーの毛並みを見て考えます。


 毎日毎日ピカピカに漂白したら、ホワイト。


 手入れを怠って汚れがいっぱいついてしまえば、ブラック。


 グレーというのは、どちらにでも転ぶ色なんだ、と気付きました。



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