My Brave Face


 ★



 床にはプリントが散らばり、洗濯物が散らばり、テーブルには空になったコンビニ弁当の容器が放り出されている。


 部屋というのは不思議なものだ。持ち主の心がそのまま反映されて、その部屋がまた持ち主に影響を及ぼす。共役で強力な二重らせん。


 そんなことを冷静に思う割には、今の翔馬には、片付ける気力すら湧かない。


 気分は泥沼だ。野球のことを考えに考えた。何度も宙に向かって腕を回し、そこに人の影を思い浮かべた瞬間、動きが止まった。それを繰り返すごとに、考えるごとに深みにはまって、浮き上がることもない。


 だけど緩やかだった。ただ緩やかに落ちて、堕ちていく。授業は出ているし、学部の友人にはそんな気分を見せないようにはできる。だからこそ、浮上のきっかけも掴めない。


 高二のときもそうだった。学校に復帰してからは、日常を何とか繋いでいるだけだった。クラスメイトや友人との会話は何も記憶に残らず、秋の葉も、冬の雪も、梅の花も、全てがモノクロで何の感慨もなかった。ただ、凪いだ海のような気持ちで月日が流れるのを見ているだけだった。


 また野球ができるかもしれない、そう思ったのに。結局あの頃と何も変わらない。


 一つ息をつき、何か面白い動画でも探そうかな、と翔馬はスマホを手に取る。それが刹那的な気晴らしにしかならないことを、わかっていながら。


 誰かから連絡が来ている。何気なく確認すると絵美からだった。ふと、この前の別れ方を思い出す。悪いことをしたな、もしかしたら何かなじられるだろうか、そんなマイナスなことを考えてしまう。


「翔ちゃんへ。勇気を出して」


 文面は、その一行で終わっていた。


 さすがに首を傾げたが、よく見ると、音楽ファイルが添付されている。再生ボタンを押してみた。




「やば、テンパってる藤崎さん超面白い」


「ちょっと、竹田さん、もう録音始まってますよ!」


「あ、ホントだ。さて、翔馬。今からお届けするのは藤崎さんからのラブレターだ」


「だから、何言ってるんですか!」


「こほん。始めるよー。『My Brave Face』」


 最後は翔馬の知らない女性の声だった。少しして、ドラムカウントからなだれ込むように曲が始まった。


 ハイテンポな曲だ。口笛の軽快なメロディーが奏でられる。やがて、少し気合が入り過ぎたようなピアノが入ってくる。絵美だろうな、と翔馬は笑う。緊張しているみたいだ。


 イントロが終わると、さっきの女性の歌声が入ってきて、さらに耳を傾ける。


 爽やかな曲だ。どこか夢見るような雰囲気を含んで、時々イタズラのように意外な音が挟まれる。歌詞もなんだか少し変わっている。曲と相まって、七転び八起き、という感じ。だけど不思議に、力をもらえる気がする。




 駆け付けた一時間遅れ 砕け散る目覚まし


 天気予報はいつも嘘つき 晴れてた筈の街路樹


 こんな時は 世界の終わりでも祈る


 お次は君の番 さぁ 今すぐ




 くたびれた自慢のブーツ 今日で最後の付き合い


 さぁ笑えよ 遠慮は要らないさ


 ポケットに一ダースのポーカーフェイス




 This is the meaning of your life, this is the meaning of your smile


 駆け上がる階段


 This is the meaning of your life, this is the meaning of your smile


 鳴り響け! 口笛




 曲が終わると、マイク越しに絵美の声がした。


「翔ちゃん。翔ちゃんなら、また野球だってできるよ。頑張って!」


 そこで、再生は終わった。


 翔馬はファイル名を眺める。「My Brave Face」。私の勇敢な表情。


 さっきの曲のピアノの音が、翔馬の耳の中でリフレインする。転んだり音が固かったり、お世辞にも良いとは言えない出来だったが、思いだけは十分、いや十二分に伝わってくる。


 私は、勇気を出して応援してみたよ。だから、翔ちゃんも。




 絵美、と翔馬は心の中で語り掛ける。顔が自然とほころぶ。


 お前の選曲、カンペキすぎる。



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