眠りの場所
翔馬がうとうとしているうちに、バスは井原市の山の方へと差しかかっていた。小高い丘の手前で翔馬は下車し、ウグイスの声を聞きながらてくてくと歩いていく。地図を頼りに歩くと寺の梵鐘が見えて、ほっと息をつきながら額の汗をぬぐう。
寺の入り口をくぐった所に、人が立っていた。
「まったく。朝っぱらから人をこき使わないでよ」
「ありがとな、誠」
今朝、翔馬は誠に連絡を取って、澄香の眠る場所を教えてほしいと伝えていた。先日のことが頭をよぎったが、意外にも早く返事は帰ってきて、書くのもややこしいから、お寺に来てくれたら直接案内する、と書かれていた。
玉砂利の音を立てながら、二人は黙々と歩いていく。おもむろに立ち止まり、翔馬は頭を下げた。
「この前は、ごめん」
「……いいよ別に」
誠は気まずそうに笑っていた。顔上げなよ、と。翔馬は安堵した。たぶん、ちゃんとコイツと同じ位置に立てている。今なら、目はちゃんと合わせられる。
「ここだよ。いい所でしょ?」
誠が手で示した先に、仲井家の墓がある。その横には季節も終わりかけの桜の木があって、ちらちらと花びらを振り撒いている。確かに、良い所だ。
墓石は綺麗に磨かれ、辺りに雑草もない。花が供えられ、線香の煙も立っている。
「どうせなら、早く来てちゃんとしてあげようって思って。ほら、綺麗な姿見せてあげたい、ってのはなんか違うかな」
誠が少し照れたように笑う。翔馬がその頭をぽんぽんと叩くと、髪乱れるだろ、と恥ずかしそうに手を払われる。
墓石の横にある石碑には、眠る者の名前が順番に記されている。昭和の初期から始まり、順番に辿り、最後には澄香の名前がはっきり記されていた。ああ、本当のことなんだな、と翔馬は何かが収束するのを感じた。まばたきしても、どれだけ凝視しても、これは事実らしくて、現実は残酷だ。
翔馬は数珠を取り出し、墓の前に跪いて、そっと両手を、両目を閉じた。最初に言うことだけは、三年前から決めていた。
「ごめん」
そのたった三文字を言うまでに、こんなに時間がかかるなんて。そのたった三文字に込める思いは、あまりにも多すぎて大きすぎる。
花びらを頭や肩に浴びながら、今年二十歳になる男が、涙を堪えて何度も重々しくごめんを繰り返している。誠は、身じろぎひとつする気配も見せなかった。
翔馬は自販機で缶コーヒーを二つ買って、お堂の近くのベンチに座る誠に手渡した。「ありがと」と言って受け取った誠は、途端に顔を歪ませた。
「どうした?」
「いや、ブラック飲めなくて」
「マジかよ、そんなクールぶってて」
翔馬がくっくっと笑っていると、しょうがないだろ、とその缶を押し返される。誠は自分で微糖の物を選んで、プルトップを開けながら乱暴にベンチに座る。
「そういや、苦いもの苦手だったよな。ピーマンとかきゅうりとか、もう食えるのか?」
「バカにしないでよ。さすがにそれは食べられる」
そう言って誠は缶の中身を一気に飲み干し、ぷはあ、と勢いよく息を吐き出した。
「なんだよ、さっきあんなに辛そうだったのに、回復速いな」
「そもそも、澄香とその弟じゃ同じ扱いな訳ないだろ。身の程を思い知れ、茹でダコくん」
「あ、なんでそんなこと覚えてるんだよ」
バン、と思い切り左肩を叩かれ、その間も翔馬はケラケラ笑っていた。昔の誠は、怒りの沸点の限界に来たとき、タコのように顔が真っ赤になっていた。
「いやあ、やっぱり誠は誠だ」
「クッソ。あーあ、しょせん上野君には勝てないですよーっと」
誠は拗ねたようにベンチにもたれかかった。翔馬は笑いながら墓の並ぶ方を眺める。遠くで小さな鳥、恐らく雀が、可愛らしい声を出しながら二羽飛んでいく。静かで、良い所だ、と再び思う。だけど、アイツからしたら、少し物足りないんじゃないだろうか。
「さっきさ」
「ん?」
「姉ちゃんに、なんて謝ってたの」
頭上の木が揺れる。どこかから、線香の香りが漂ってくる。
「約束破ってごめん、って。もっと早く来なくてごめん、って」
翔馬は溜め息をついた。再び熱くなりそうな目頭に、未開封のコーヒーの缶を押し当てる。
「交換条件、覚えてる?」
案内する代わりに、引っ越してからの上野君に何があったのか、教えてほしい。彼は今朝、そう書いていた。
「……ああ」
確かに、そろそろ誰かに話すべきだ。唾をごくりと飲み込んで、翔馬は意を決した。
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