故郷と幼なじみ(2)

「ここはまだ残ってるんだな」


 二人並んでなだらかな坂を上ると、子供の頃お世話になった児童公園に着いた。入り口にイルカの置物があって、「イルカ公園」と昔は呼んでいた。その置物は、青い塗装が多少剥げてはいるがまだ健在で、右のひれを上げて笑顔で出迎えてくれる。


 長辺が七十メートルくらいと、程々の大きさの公園内。その七割ほどが雑草の生い茂る広場で、たまにホームランが出て小学生の草野球にちょうどいいくらいの大きさ。残りは滑り台やブランコなどの遊具や砂場、ベンチなどがあって、のどかな昼下がり、小さな男の子がブランコで遊び、それをおじいさんが横で見守っている。


「あれ、遊具減った?」

「うん。最近あちこちで遊具の事故増えてるらしいしね。クレームがつくんじゃない?」


 ふうん、と翔馬は鼻を鳴らす。かつて周りにしがみついて回転する球体の遊具があった場所には、不自然にぽっかりとスペースが空いている。あの飛ばされそうなスリルは楽しかったが、言われてみれば確かにリスクと隣り合わせだったのかもしれない。


「ていうか、あの回転する遊具で、誰かふっとばされてなかったっけ」

「うん。みっちゃんだよ。私たちはそんなに回したら危ないよ、って言ったのにさ」


 そうそう、と笑いながら、二つ年下の「みっちゃん」のことを翔馬は思い出そうとしていた。時々一緒に遊んでいたこと、酒屋の息子ということ、道夫みちおという名前までは覚えているが、顔や苗字は思い出せなかった。


 ベンチに腰掛けようとして、翔馬は足下に咲くタンポポに気付く。踏まないようにしながら座って、ふう、と息をつく。


「お疲れ?」

「ああ。大学の授業終わって、飯食って、すぐ来たから」

「大学って、もしかして」

 絵美が口にしたのは、俺の通う大学の名前だった。

「そうそう。だからここにいるんだよ」

「ええ、ウッソー!」

「失礼な。と言っても一浪だけど」

「あ、疑ってるって意味じゃなくて。って、え、一浪?」

「悪い?」

「そうじゃないの! 私も同じ大学! 私たち、同級生!」

 しばらくの間、翔馬は絶句した。

「マジかよ! うわあ、そうか、お前が同級生になってしまうのか、チクショー」

「何それ、もっと喜んでよ……まあいいや、学部学科は?」

「理学部の物理学科」

「ああ、惜しい。私、理学部化学科」

「化学か、惜しいな。でも学部まで一緒ってことはさ、普通に構内で会うかもな」

「そっか、確かに」


 藤崎|ルビを入力…《ふじさき》絵美は、翔馬の一つ年下の幼馴染だ。昔は同じ町内に住んでいて、仲の良い幼馴染グループの一員だった。そのグループは男女混じっていたが、それをあまり気にすることもなく、毎日のように公園で集まったり、誰かの家に行ってゲームで遊んだりしていた。


 うわあ、すごいな、嬉しいな、と絵美は無邪気に笑う。ああ、この笑顔だ、と翔馬は懐かしむ。公園の風景と合わせて、完全に昔の彼女の姿が重なって見える。


「昔さ、ここでサッカーとかしてたとき、俺と一緒になったらめちゃくちゃ喜んでたよな」

「え? ああ、だって翔ちゃん最強だったから。そんなこと覚えてたんだ」

「なんかふっと思い出した」


 翔馬は仲間内で一番スポーツが得意だったから、周りから重宝されていた。中でも、絵美は同じチームになると特に嬉しがっていた。ああ、昔からそうだ、素直で無邪気なヤツだ。


「いっぱい遊んだよね、この公園。秘密基地とか、落とし穴とか」

「落とし穴! 懐かしいな。結局失敗したよな、あれ」

「うん。ミシッ、って中途半端にへっこんで、かなり微妙な空気になっちゃったよね」


 翔馬が小学四年生のとき、公園の砂場を掘って落とし穴を作ろう、と誰かが提案した。一度試してみて、成功しそうなら誰かをはめてみよう、と意地悪いことを考えつつ。


「かなり掘り進んだよな、砂場ってあんなに掘れるんだってくらい」

「うんうん。それで、確かその中に木の枝とか入れてみて」

「どこかから段ボールを拾ってきて敷いて」

「さーっと砂を被せて」

「そして俺が試しに歩いて」

「ミシッ」

 二人の声がピッタリと合って、爆笑の渦が起こった。

「あんなバカなこと、またしたいなあ」

「服汚れちゃう、とか余計なこと考えちゃうよね」

「そういや、あの後帰ってからドロドロで怒られたっけなあ」


 そんな過去の回想は、突然の着信音でかき消される。ごめんね、と言いながら絵美が取り出した携帯は、先月出たばかりの最新機種だ。画面を見て彼女が言う。


「あ、忘れてた、お母さんに買い物頼まれてたんだ。翔ちゃんのせいだよ」

「勝手に忘れてそれは酷い」

「だって」

「おしおき」

「わあ、でこぴんくる?」


 一瞬挙げかけた手を、そっと下ろした。子供の頃、こういうときに額にでこぴんをし合うというのが流行っていた。もしかしたら、さっきまでの流れなら自然にやっていたかもしれない。

 携帯を触る絵美に、大学生になった姿を見てしまった。


 不思議そうな表情を浮かべる彼女に、翔馬は笑いかける。

「今日は大目に見てやる。ほら、早く行ってこい」

「ありがと。えっと、また会おうね、翔ちゃん」


 手を振り合うと、彼女は公園から走り去っていく。さっき遊んでいた子供はいつの間にかいなくなっていて、入り口のイルカの前には小学生が野球道具を手に数人集まっている。こんなところにいたら邪魔かな、と翔馬は自転車を押して反対側の小さい入り口に向かう。自分も、すっかり大学生の自分に戻っていた。現実がしっかりと押し寄せてくる。


 さっきの会話で、あえて触れないようにしたことがあった。きっと絵美もそうだろう。開いてしまったその穴こそ、「ミシッ」で止まっていれば良かったのに。最後まで開ききってしまったその穴は、どうしても埋められず、ぽっかりと道を塞いでいる。


 白い蝶に顔の横から追い抜かされていく。翔馬はふと振り返り、さっきのベンチの上で野球道具を取り出し始めた子供たちが視界に入って、思う。俺たちはもう、あの頃に戻ることはできない。色々な意味で、戻ることはできない。



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