「はじめまして」



 コンコンと、ノックの音が鳴る。


「エポドス様」


 近衛兵団の兵長だった。


 ドアを開けて入室した騎士は、相談事をもちかけた。


「時おり城に出入りする呪剣士が、城内にフォル・トナの気配があるともうすのです」


「フォル・トナの?」


 自分はその国のもと皇太子だが、その気配の主が自分ではないことはたしかだ。その気配は、すべて消している。


「誰です」


「先月から暮らしはじめた茶寮務めの女中で、名はマリアとか。街を賑わせていた吟遊旅団の一員です」


 調べたのですが――と、兵長の男は前置きをして、マリアという娘の話を続けた。


「顔つきが似ているという理由だけなのですが、岩窟牢にいる男の娘ではないかというのです。ノルア・マジュリーという錬金術師の……」


「ノルア・マジュリー……錬金術師――」


 はっと、記憶が蘇る。


 国王令で、王の盾を造らせたことがあった。王居に飾る特別な盾飾りは「堅守の盾」と呼ばれる錬金術の品で、女の心臓を溶かした鉄で造る習わしがあった。


 ノルア・マジュリーという錬金術師が「女の心臓を探せ」と命じられると、男の妻が、夫に自分の心臓を使えといったらしい。


「最後にお役に立てるなら、幸せなことです。あなたが無事に王の盾を造りおおせたら、あなたの地位はあがるではありませんか。どうか、マリアと幸せに」


 心臓を渡した女は病に瀕していて、死を待っていたという。しかし、王の盾に必要なのは、脈打つ女の心臓だ。盾を造る鉄に女の心臓を混ぜる日が、女の命日になった。


 夫の錬金術師が、肉体から取り出されたばかりの心臓を鉄の炉に捧げるのを、幼いエポドスは製鉄場の端から見ていた。自分の妻の肉体の一部を泣きながら鉄に混ぜる男の背中が、子ども心に恐ろしくて目を逸らせなかった。それに、同じように隅にいて、手に円い小さな時計を握りしめてうずくまる少女のそばを離れることもできなかった。


「あまりにも哀れだ」


 泣きじゃくっていた少女の名はマリアで、鉄に溶かされる心臓の提供者と、その夫の錬金術師の娘だという。


「ごめん。あなたの父上に、母上の心臓を捧げさせろと命じたのは、私の父上だ。ごめん」


 謝り続けた。でも、炉の鉄を溶かす熱の轟音と、竜神に祈りを捧げる神官唄隊の歌声にかき消されて、娘の耳に届いたかどうかはわからなかった。だから、そばに寄って背中をさすった。間近に寄ると、その子が流す涙の熱さを感じた。その熱は、真っ赤になって揺らぐ鉄の炉よりも、エポドスにとっては熱かった。


 熱にうなされたように、エポドスは少女に言った。


「魔法をかけてあげる」


 いい生徒ではなかったが、魔術の手習いは済んでいた。エポドスは、少女の目元に手をかざして、習ったばかりの呪文を唱えた。


「カシム・カージ。この子が、母上を失った悲しみを忘れられますように。悲しい記憶を閉ざしてあげて。この子のもとでは母上を生き続けさせて」


 そして、仕上がった王の盾は、十年に渡ってフォル・トナの王城を守った。しかし、十年後。その盾は割れ、王国は滅びた。





(マリア・マジュリー……あの子がその名なら、もしかして――)


 皇太子としてはすでに死んでいたつもりだったので、幼い頃のことを思い出すのは久しぶりだった。でも、一度ありかを思い出しさえすれば、奥へ仕舞い込むのが困難な鮮烈な記憶でもある。


 上の空だったが、兵長の男は、エポドスへの相談を続けていた。


「その、ノルアという男は、どれだけ痛めつけても我々に協力しようとはしません。もし、その呪剣士の勘が正しくて、本当にそのマリアという娘がノルアの子なら、娘を殺すと脅せば――」


「ああ――」


 兵長の言わんとしていることはわかった。昔の記憶に脅されてぼんやりしていたが、エポドスは気づいた。その娘と父親にそんな真似をさせてはいけないし、それより――。


「――そうね。でも、おまえがいう呪剣士っていうのは、信頼がおける男なのかしらね?」


「と、いいますと」


「侍女一人くらい、試してみればいいわ。けれど、まずは、知らせの出どころが確実かどうかを確かめるべきでしょう」


「はあ、なるほど。では、その男を連れてきましょうか」


「いいえ」


 その男が呪剣士だというなら、自分が探している男――フォル・トナの王家の家宝を奪い去った刺客かもしれない。エポドスにとっては会いたくてたまらない男だが、顔を見られるとまずいのはこちらも同じだ。男から女に変えられているとはいえ、その男なら、自分が魔法をかけた皇太子かどうかくらい、見ればわかるだろう。


 兵長にはこう告げた。


「そうね。髪の毛を一本、こっそり抜いてきなさい」


 身体の一部がわずかでも手に入れば、呪いがかけられる。直接会う前に、まずは調べるべきだった。その男の力のほどや、そいつを殺すにはどうすればいいかを。





「かしこまりました。しかし、マリアという娘にも一度お会いになってみればいかがでしょう。茶寮に寄って、あなたにお茶を運ばせるよう命じておきますので」


 「直接ご覧になってください」と言い残して兵長は去っていったが、執務室に一人になってしばらく経つと、もうその娘はやってきた。


 ノックの後で、震え声がきこえる。


「エ、エポドス様、失礼いたします。お茶をお持ちしました」


 茶寮の女中の制服に身を包んだマリアという娘は、銀のワゴンに陶器の茶器を乗せてやってきた。


 昼間も同じようにお茶を運んできたばかりなのに、まるで初めてここにやってきたように、そわそわと部屋の中を見回して、こちらの顔を見ては息を飲み、立ちすくんだ。


「入ってきていいのよ」


 声をかけてやると、息を吹き返したように顔を上げた。


「失礼します。すぐにご用意します」


 そういいつつ、銀のワゴンを動かすのに手間取って、ワゴンの端はまだ扉をくぐれずにいた。


「そう緊張しなくてもいいのよ。マリ……」


 たしか、昼間も同じことをしていた。「二度も来たのに、なかなか慣れないわね」と笑いかけようとした時、マリアは姿勢を正して、挨拶の姿勢をとった。


「はじめまして、エポドス様。マリアと、その――もうします」


 緊張して、声がうわずっている。目も、はじめて出会った相手――得体の知れない化け物を見るようだった。


 そうだった。この子にとっては「はじめまして」なのだ。


 エポドスにとっては、このマリアという娘に会ったのは三度目だ。一度目は、歌声に呼ばれてそばに行き、殺しかけた。二度目は、怪しい娘だと気になって、給仕に呼んだ。そして、今――それどころか、故郷でも幼い頃に会っている。


 でも、そんなことはマリアが知る由もない。「私のことを忘れなさい」と魔法をかけたのは、さっきも、幼い頃も、自分だった。


 エポドスは、微笑んだ。


「――はじめまして」


 これは、作り笑顔だ。仮面のような表情と胸の思惑がちぐはぐで、気味が悪かった。

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