122章

――ストリング帝国内にあるローランド研究所。


そこの食堂で一人食事をしている少女がいた。


彼女はナチュラルブラウンのボブスタイルの髪をいじりながら、誰もいない広い食堂を見渡す。


無愛想に固形ブロックの料理を口に運んでいる。


少女の名はアン·テネシーグレッチ。


アンは、以前ストリング帝国の兵士だった。


だが、あることがきっかけで軍を脱走する。


それは――。


彼女は、帝国で仲間と共に軍のウイルス実験に使われたからだった。


その細菌の名はマシーナリーウイルス――。


ストリング帝国の科学者たちが開発した、人体を侵食する細菌。


このウイルスは、体内で一定の濃度まで上がると成長し、宿主しゅくしゅの身体を機械化する。


機械化した者は、人体を超えた力と速度で動けるようになるが、宿主は自我を失い、ストリング帝国の完全なる機械人形へと変わってしまう。


アンは右腕だけの機械化で済んでいたのだが、逃亡後に全身の機械化が始まってしまった。


このままではアンは完全に帝国の機械兵――オートマタになってしまう。


それを、共に逃亡した育ての親であるシープ·グレイが、ストリング帝国の皇帝――レコーディー·ストリングに取引を持ち掛け、彼女は帝国内の施設で治療を受けれることとなった。


治療のおかげでアンの体は以前のように、生身のものへと戻っていた。


今は療養中扱いで、ストリング帝国の研究施設であるローランド研究所で隔離かくりされている。


アンは、食べるのをやめてうつむく。


……味がしない。


元々好きではなかったけど、やっぱりオート·デッシュの料理は合わないな……。


この国――ストリング帝国では料理する人間などいない。


それは、すべて機械が作ってくれるからだ。


オート·デッシュと呼ばれる機械にカードリッジをはめ込み、後は食べたい料理のスイッチを押せば、カロリー計算されたものが出てくる。


便利であり、手間も時間もかからない、ストリング帝国の発明品の一つである。


だが、いくら完璧に計算され、簡単に栄養が取れるといっても、やはり食事はグレイの作ったものがいい――。


アンはそう肩を落とすと、離れ離れになってしまった仲間たちのことを思い出していた。


……あの後、一体どうなったんだ?


それにみんなは……。


アンはローランド研究所へ来る前に気を失っていた。


そのため、自分がどういう経緯いきさつでここへ来たのかがわからない。


研究所内の人間は、必要以上に彼女と接触はしなかった。


だからいくら説明を求めても返事は返って来ず、何も教えてもらっていない。


アン自身は、それとなくマシーナリーウイルスの治療ためにここへ連れて来られたと理解していた。


気を失う前に起こった身体の変化を、おぼろげながら覚えていからだった。


それに、もし帝国に捕まったのなら、もっと酷い扱いを受けるはずとも思っていた。


アンは、突然固形料理の乗ったトレイを乱暴に投げ捨てる。


散らばった固形料理が、真っ白な床、壁、そしてテーブルにき散らされた。


アンは着ている白い服のフードを思いっきり深くかぶる。


そして強張こわばった表情のまま、目の前のテーブルに組んだ両腕と顔を押し付けた。


「ニコ……どこにいるんだ……会いたいよぉ……」


ニコとは、グレイがアンがまだ幼いときに与えた電気仕掛けの子羊だ。


彼女は今、ニコのゆたかな白い毛でおおわれた体を、想像の中で抱いている。


顔にしわが現れるくらい目を閉じ、居もしない子羊のことを思う。


生温い液体がアンの目から腕へと流れていく。


彼女は周りに誰もいないのもあってか、涙を流し始めていた。


今まで逃亡しながら死闘を繰り広げてきたアンだったが、ここまで心細くなったことはなかった。


彼女は、そんな自分を情けなく思い、寂しさと不甲斐ふがいなさでたまらなくなってしまったのだった。


「どうしたの? どこか痛いのかい?」


テーブルに顔を押し付けて泣いていたアンへ声がかけられた。


そこには、色素の薄い長い髪をした少年が立っている。


「ロンヘア……」


アンはそう呟くとあわてて顔を手で拭って、無言のまま首を横に振る。


「そう。ならいいんだけど。よかったら、これを使って」


アンの仕草で、痛みはないことを理解したロンヘアと呼ばれた少年は、彼女へハンカチを渡すと隣の席へと腰を下ろす。


そして何も訊かずに、ただ優しく微笑みながら彼女の傍で食事を始めた。

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