123章

ローランド研究所内にはトレーニング用の施設がある。


それは、研究所に在籍ざいせきしているストリング兵や研究者たちが、身体がなまらないためや、気分転換に利用するためのものだ。


もちろん研究所内で寝泊まりしているアンとロンヘア二人も、ここの使用は許可されていた。


この数日で鬱屈うっくつしていたアンは、じっとしていることが耐えられなくなり、トレーニングルームへ来てみた。


どうやら昼前は誰も使っていないらしい。


彼女は施設に入るなり、ウォーキングマシンに目をつけ、機械が出せる最大速度に設定する。


そして、ウォーキングマシーンの上に乗ってただ走り続けた。


息が苦しくなっても、足が痛みだしても、アンは走ることを止めなかった。


そこへ誰かがトレーニングルームへ入って来る。


「やあ、朝から元気だね」


色素の薄い長い髪をした少年――ロンヘアだ。


顔立ちや背格好からして、同じ16歳くらいかとアンは思っている。


「僕も一緒にいいかい?」


アンは何も答えずに、ただ呼吸荒く走り続ける。


ロンヘアは返事がないことを気にせずに、彼女の隣にあったウォーキングマシンを起動させて飛び乗る。


それから二人とも、たがいに何も言葉を発せずに、ただひたすら走り続けた。


「たしかロンヘアっていったか? 見た目よりもタフなんだな」


ロンヘアはアンと同じ、最大速度に設定していた。


だが、苦しそうな彼女とは対照的たいしょうてきに、彼は笑みを浮かべながら走っている。


「こう見えても体を動かすのは好きなんだ。まあ、それに僕は後から走り始めたしね。アンより先にバテるわけにはいかないよ」


ロンヘアは走りながらアンの顔を見て言った。


だが、彼女には彼のほうを見る余裕はない。


それでもアンは言葉を続ける。


いつからローランド研究所ここにいるんだ?


お前もマシーンウイルスの治療でここへ入っているのかと。


アンは、特に彼のことに興味があったわけではない。


ただ、なんとなく会話をつなぐくらいの気持ちで訊いてみただけだ。


アンは、いつまでも答えない彼のほうをなんとか見た。


たずねられたロンヘアは、両眉りょうまゆを下げて困った顔をしている。


「訊いちゃまずいことだったか?」


息を切らしながら言うアン。


ロンヘアは、その困った顔のままで彼女のほうを見返した。


「いや、あのさ……。信じてもらえないかもしれないけど……」


どうやらロンヘアは、ローランド研究所へ来る前の記憶がないらしい。


彼はある戦場でストリング帝国に拾われ、この施設に連れて来られたのだと言う。


……じゃあ、ロンヘアはストリング帝国の出身じゃないのか?


そう思っていたアンは、さらに足が痛みだしてきていたが、それを我慢して彼に声をかける。


「信じるよ。私の知っている奴に記憶喪失のじいさんがいるからな」


「お爺さんと一緒なんて……。それじゃまるで僕が記憶がないのが、物忘れが酷いせいみたいじゃないか」


少し怒ったようなロンヘアの声を聞いたアンは、クスッと笑ってしまっていた。


そんな彼女を見た彼はニッコリと微笑む。


「やっと笑った顔が見れた」


真っ直ぐに見つめてくるロンヘアの瞳。


それを見たアンは集中力が切れてしまい、体にも限界が来ていたのもあって、そのまま転んでウォーキングマシンから落ちてしまう。


ぶつけた場所がよくなかったのだろう、アンはすぐに立ち上がろうとしても、腰が痛くてうまく立てないでいた。


「アン、大丈夫? ケガしていない?」


アンが顔を見上げると、そっと手を差し伸べているロンヘアが目の前にいた。


ウォーキングマシンで走っていたせいか、さすがに彼もかすかに呼吸が荒かった。


それがわかるくらい近い距離だ。


白い肌、邪気じゃきのない切れ長の目、どこか人工的な美しさ――そんなロンヘアのことをじっと見てしまっていた。


それに気づかれまいと、ぜあはあと息を切らして、痛みをこらえて立ち上がる。


「こ、これくらい大丈夫だ」


立ち上がったアンは、ロンヘアに背を向けて足早にトレーニングルームを出て行ってしまった。


その後、研究所からあてががわれている部屋へと戻り、シャワールームでトレーニングでいた汗を流す。


アンは熱い湯を浴びながら、その場にへたり込んだ。


それは、ロンヘアには大丈夫だと言ったが、体の痛みと疲労で立っているのも辛かったかからだった。


「何を強がってんだろ、私は……」


そう独り言をつぶやくと、腕に巻かれているセンサーが、けたたましく鳴り響いた。


これはアンが目覚めたときにはすでに付けられていたもので、彼女の肉体的、精神的なものを調べる装置だ。


この装置は、アンを鬱屈させる原因の一つでもある。


自分の体の状態を常に監視されていると思えば、誰でも気が滅入めいってくるだろう。


アンは体を起こしてからシャワーと止め、バスタオルを一枚羽織はおってバスルームを出た。


そして、部屋の出入り口にあるタッチパネルに触れると、通信用のデバイスが現れる。


「何の用だ? 今日は午後まで検診けんしんはないと聞いたんだが」


無愛想に言うアン。


だが、彼女は返ってきたの言葉を聞いて思わず口角が上がる。


それはアンと会うために、このローランド研究所に人が来ているというものだった。


通信している人物が、もし嫌なら断れるがと言うと――。


「会うに決まっているだろ!? 面会室へ行けばいいんだな。着替えたらすぐに行く」


先ほどまでの覇気のない声から一変して、まるで怒鳴っているかのような声を出し、通信を切ったアン。


彼女は、急いでれた髪を乾かし、バスタオルを放り投げて服に着替える。


といっても、ここには診察しんさつ時に着なければいけない患者用の病衣びょうい――いや検査衣けんさいとトレーニング用のジャージ。


あとは彼女がいつも着ているフードの付いた白いパーカー、上下ともに深い青色をしたストリング帝国の軍服しかない(ちなみに靴は黒のコンバットブーツとトレーニング用の運動靴だけだ)。


「大事、身だしなみは大事」


アンはよほど嬉しいのか、鏡で自分の顔を見ながら弾んだ声で独り言を言っている。


彼女は、結局いつもの白いパーカーと軍服を選んだ。


……きっとグレイだ。


グレイがニコと一緒に来てくれたんだ。


体の痛みを忘れて、笑いながら走るアン。


そのはしゃぎっぷりはいくら彼女が16歳といっても、少々おさな過ぎるものだった。


そして、アンが面会室の扉を開けて中に入ると――。


「……来たか。思ったより早かったな」


中にいた人物は、アンに向かって不機嫌そうに声をかけた。


彼女はただ驚きを隠せずに、その場で立ち尽くしてしまっていた。


アンはその表情のまま、震えている声を出す。


「お、お前は……」


そこには、アンと同じストリング帝国の軍服を着たノピア·ラシックがいた。

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