39章

白銀の大地には、どこまでも雪景色が続いている。


足元に広がる大地は、この大陸に入る者すべての生命を拒絶きょぜつしているかのようだ。


そして、この大地に足をつけた2人――。


アン・テネシーグレッチとキャス・デューバーグ。


アンとキャスは、この過酷かこくな大地にいると聞いたシープ・グレイと、仲間であるマナ・ダルオレンジ、そして電気仕掛けの子羊ニコと会うためにやってきた。


2人はここまで乗ってきた蒸気ボートを、海岸に固定し、真っ白な地面の上を進んでいく。


乱暴な吹雪が皮膚に突き刺さるように、2人を向かい入れた。


その寒さの中――。


アンが地図を広げて、マナとニコがいると聞いた反帝国組織バイオ・ナンバーの駐屯地ちゅうとんちの場所を確認していると――。


「アン、こっちだ」


キャスが前に出て、アンに声をかけた。


アンは無愛想に返事をする。


「キャス、この吹雪だ。ちゃんと地図を見て位置がわかっていないと、確実に遭難そうなんしてしまうよ」


だが、キャスは足を止めずに早足で前へと進んでいく。


アンが大きくため息をついて、それを追いかける。


「おい、待てって。キャスは将軍だったからわからないかもしれないけど、知らない土地ではまず現在位置の確認を――」


アンが言った通り、キャスは元ストリング帝国の将軍だった。


そして、アンはその国の末端の兵士。


アンから見れば、今のキャスの態度は、世間知らずなお嬢様といった感じに映っているのだろう。


「いや、私にはわかる、わかるんだ。こっちのほうに人がいる」


アンにはよく理解できなかったが、キャスがそんな嘘をつく人物ではないことを知っているので、地図をしまってその後についていく。


キャスは、この目の前もほとんど見えない道を、何か確信めいたように歩を進めていた。


「……シックスがいる」


キャスが歩きながら、着ている外套がいとうの前を閉めて言った。


「何を言っているんだ? シックスとはバイオ・ナンバーの本拠地ほんきょちで別れただろう? ここにいるはずがない」


シックスとは反帝国組織バイオ・ナンバーの一員である男だ。


彼は、自分の体格を活かした体術を駆使して戦い、それと不思議な力――風を操れる力を持っていた。


アンとキャス2人は、この雪の大陸へ来る前に、シックスともにストリング帝国の軍勢と戦った仲である。


「だが、この感じは間違いないくシックス……彼だ」


キャスは一歩もゆずらず、さらに足を速めた。


アンがよく理解できないままでいると、前すらろくに見えない雪景色の中に、小さな黒い物体が見える。


「キャス、ちょっといいか、あれは……」


アンが目をらして、その黒い物体を確認した。


そしてそれは――小さな黒い子羊だった。


「あれはニコと同じ電気仕掛けの羊か?」


アンは、ニコと同じタイプだと思われる羊を見て、両目を大きくしていた。


だが、同じタイプとはいっても、ニコの身体をおおう豊かな毛は白い。


しかしアンは、その黒い羊がグレイと関係があるではないかと考える。


それは、アンが幼い頃にグレイからニコを与えられたからだった。


……あの黒い羊、グレイとなにか関係があるかもしれない。


アンは少しでも手掛かりをと黒い羊に向かっていった。


「アン、危ないッ!」


後ろからキャスの叫ぶ声が聞こえると、アンは突然吹き飛ばされた。


そこには、6メートルはありそうな大きな青い熊が立っていた。


氷熊アイス・グリズリー――。


この地域に生息する野生動物で、コンピューター・クロエによって生み出された怪物――合成種キメラよって崩壊した世界に、突如とつじょ現れた大型の青い熊。


平均体重は1200キロはある、かなり強暴な獣である。


氷熊アイス・グリズリーは、雄たけびをあげて、アンに襲い掛かっていく。


そして、そのするどいい爪が、彼女の体を切り裂こうとした。


アンはその攻撃を右腕で受け止める。


それなのに、血の一滴いってきも出ていない。


それは――。


アンの右腕が機械だったからだ。


彼女は、生まれた国――ストリング帝国で仲間とともに軍のウイルス実験に使われた。


その細菌の名はマシーナリー・ウイルス――。


ストリング帝国の科学者たちが開発した、人体を侵食する細菌。


このウイルスは、体内で一定の濃度まで上がると成長し、宿主しゅくしゅの身体を機械化する。


機械化した者は、人体を超えた力と速度で動けるようになるが、宿主は自我を失い、ストリング帝国の完全なる機械人形へと変わってしまう。


アンは、その実験で自分の部隊の仲間たちが機械化し、互いに殺し合うことを強要された。


13歳で両親と妹を合成種キメラに殺されたアン(そのときにグレイに助けられ、その後に育てられた)。


それからの3年間――。


現在16歳のアンは、キメラへの復讐をかてに生きていた。


そのせいか、いつも無愛想だった彼女にとって、部隊の仲間は数少ない優しくしてくれた理解者たちだった。


部隊の仲間は、アンにとってグレイとニコと同じように家族も同然。


仲間のおかげで生き残ったアンは、その後にグレイとニコと共に国から逃げ出す。


その後もアンは、いまだに恐怖に怯えていた。


今は大丈夫でも、いつ自分が仲間たちのように機械化するかわからない。


それを考える夜も眠れない日もあった。


だが、それでもアンは、自らの意思で戦うことを続けている。


「アン、下がっていろ。少々派手にやる」


そう言ったキャスの身体から、水流すいりゅうの音が聞こえ、その身をき通った水が包んでいく。


全身にまとった透き通った水が、月の光をびて青みをびる。


その姿は大昔の物語に出てくる四大精霊しだいせいれいのうち、水をつかさど精霊エレメンタル――ウンディーネのようだった。


「ここは人気ひとけがないからな、思いっきりやれる」


キャスは、そう言うと手をかざした。


てのひらから、津波つなみのような勢いで大量の水が飛び出し、氷熊アイス・グリズリーを吹き飛ばした。


キャスは水を操れた。


彼女が18歳という若い年齢でストリング帝国の将軍に選ばれたのは、剣の腕前と聡明さだけではなく、この力があったからだと思われる。


なぜ自然の力を操れるのか?


その理由は、彼女も、そして風を操れるシックスにもわからない。


吹き飛んだ氷熊アイス・グリズリーを追いかけて、アンが機械の右腕を前に出した。


アンの感情と呼応こおうするかのように、腕から稲妻いなづまほとばしる。


そして、頭部を掴んで電撃を喰らわせると、氷熊アイス・グリズリーは焼け焦げ、完全に動かなくなった。


「アン、ケガはないか?」


キャスがその傍へと近寄って来る。


「大丈夫だ、それにしてもキャス。少々じゃなかったのか? ここらの木々が折れてしまっているぞ」


「そう言うな。大技は加減ができないんだ」


「じゃあ、早くコントロールできるようにならなきゃ」


「うぅ……わかっている。しかし、せんな。お前、そんなに木が好きだったのか?」


キャスの質問に、アンは無愛想に返すと、先ほどの黒い羊のほうを振り向く。


「大事、木々や自然は大事……」


そして、小さくつぶやいた。


だが、そこにはもう黒い羊の姿はなかった。

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