第6話 それぞれの愛


愛し合う男女が居た。――永遠を誓い合った仲だ。

 二人は今、手に手を取り師走の宵の凍てついた風に震えながら、海岸の波打ち際を歩いていた。


「覚悟はいいかい?」

「はい。もうこうする事でしかあなたと一緒になれないのね」

「ああ……僕たちは永遠に一緒だ」


 二人を取り巻く環境は窺い知れないが、こうする事でしか添い遂げられないと信じ切る二人は、極寒の海へとその身を入水じゅすいさせる。

 

 一歩、一歩、死へと歩み寄る二人に躊躇いは見られない。確実にその身を真冬の海に浸してゆく。


 ふと誰も居ないはずのこの海岸で、呼び止められた気がした。

 振り向けば胸にチクリと違和感が走る。一瞬だけ見えた矢は光となって消え、男は我に返った。――愛の結晶は人間には見えないようだ。


「僕たち何してるんだ?」

「それは私の台詞よ! 寒い寒いさむいー!」


 同じく我に返った女も、寒さと海の冷たさに耐えかねて浜辺へと駆けだす。


「なんであんたなんかと死ななきゃならないのよ! 信じらんない!」

「ぼ、僕だってなんで君なんかと! 冗談じゃない!」

 

 口喧嘩をしながら、浜辺の先に乗り捨てた男の車に飛び込み、エンジンをかけヒーターを全開にさせる。

 

「これじゃすぐに乾かない! 来る途中にホテルがあった。そこで風呂でも入ろう!」

「なんでもいいからすぐに出してよ! 凍えて死んじゃうわよ!」


 愛の消えた二人は、自ら消そうとしたその命を、再び手にしたのだった。

 



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 片思いの少女が居た。――高校に入ってからの三年間ずっと想い続けていた。

 その間どうしても振り向いてくれなかった彼が、今日どういうわけか二人で逢ってくれるという。


 信じられないという気持ちもあったが、何よりも大好きな彼だ。嬉しさが先行して疑うという事も出来ないでいた。


わりぃ。待ったか?」

「ううん。今来たとこ」


 待ち合わせの場所に一時間前から待っていた彼女は、予定の時間より一時間遅れて来た彼を責めもせず、それどころか満面の笑みで迎えた。


「じゃ、行こうか」

「はい!」


 彼は迷わず歩きだし、彼女はボウとした頭で後ろを付いて行った。

 やがてネオンが怪しげに灯る夜の街の風景が二人を包むが、彼女は彼の後姿しか見えていなかった。


「ここに入ろうぜ」

  

 彼が顎をしゃくって指し示すその先は、ラブホテルだ。


「え?」

「いいだろ? 俺の事が好きなんだよな? だったら、な?」

「で、でも……」


 彼女は処女だった。いくら大好きな彼でもいきなりのこの状況に驚き、戸惑う。


「俺さぁ今度出来た彼女と来週ヤレるかもしれねえんだよ。それでさ、お前に練習台になってもらおうと思ってさ。俺もさぁ初めてじゃん? 失敗したら恥ずいじゃん? お前俺の事が好きなんだろ? だったらwin-winじゃん。いいだろ?」

「そんな……ひどい……」


 彼女は彼の上辺だけしか知らなかった。まさかこんな性根が腐った男だとは思ってもいなかったのだ。

 いつも遠くから見守るだけの三年間だった。時折、愛を綴った手紙を送るだけの、三年間だった。


「ほら、入ろうぜ」


 彼女の腕を取り、彼が無理やり引っ張ろうとしたその時、二人の胸に突然の違和感が訪れる。


「なんだ!? うぐっ!」


 彼女の腕を離し、倒れ込んだ彼は苦しみ悶える。

 その隙をついて彼女は走りだした。――走って、走って――走った。

 泣きながら駆ける彼女は後ろを振り返らない。それが正解だ。――彼は既にこと切れていた。

 この時の彼女から取り出された結晶は、あと少しで消えてしまったであろうというくらいに、小さなものだった。


 


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 子供を溺愛する母親が居た。それは――それは盲目的な程に。


「タカシちゃん。今日もママと一緒に寝ましょうね」


 集合住宅の団地の母子家庭の一室で、母が息子に語りかける。


「タカシちゃん。今日もママと一緒にお風呂に入りましょうね」


 今日も語りかける。


「タカシちゃん。ご飯はちゃんと食べないと駄目じゃない。こぼれてるわよ」


 今日も語りかける。


「タカシちゃん。本当に大人しくて良い子ね」


 その日、母親は二階の部屋の窓の外に全裸の少女を見る。その少女は宙に浮き、自分に向けて弓を構えていた。


「どなた?」


 少女は答える代りにその弓で矢を射る。母親は特大の愛の結晶を胸から吐き出した後、我に返る。


「はっ! タカシちゃん! タカシちゃん! ……タカシぃ!」


 母親の腕には、死後数週間経った子供の亡骸なきがらがあった。

 病死だろうか、母親はその最愛の子供の死を受け入れられなくて、自我の殻に閉じこもってしまっていたのだ。


 窓の外には既に、少女の姿はなかった。




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 愛し合う少女が居た。――少女が――二人。


「あ……あん」

「舌……出して……」


 少女はもう一人の少女にリクエストすると、それに吸い付いた。


「んんんんん……!」


 お互いの舌を求め、吸い付き、唾液を交換しながらしばらく堪能したあと、細い糸を引きながら重なっていた唇を離して、二人は見つめあう。お互いの表情はとろけきっていた。


「大好きだよ……かおり」

「私も……ひかり先輩」


 ピンクを基調とした部屋には、ぬいぐるみやアクセサリー等、女の子を主張する物が至る所に置かれている。

 壁にかかったブレザーとプリーツスカートは高校の制服だろう。

 二人は今、狭いシングルベッドの上で、ひとつに重なるように密着している。


「ひかり先輩、私プリン食べたいな」

「そうね、ちょっと買い出しに行きましょうか、かおり。夜はまだ長いものね」

「じゃあコンビニに行きましょう先輩」

「はいはい」

  

 先輩と呼ばれた少女は、かおりと呼ぶ少女の頬にそっと口づけをすると起き上がった。


 外に出れば深夜ではないが、住宅街の闇が広がっている。等間隔に並んだ街灯が朧にその闇を溶かす。

 

(かおり……あそこの電柱)

(なんです? 先輩)


 歩き出して少しした頃、ひかりは小声でかおりに注意を促した。


(あっ)


 見れば電柱の陰に隠れるようにして――全裸の少女がこちらを窺っていた。


「きゃっ……」


 かおりは思わず叫びそうになったが、すぐに思いとどまり両手で口を塞ぐ。


 どう見ても全裸の少女だ。脅えた様子もない事から自分でその姿になったと思われた。コート姿の男の変質者だったら叫んでいたかもしれないが、ここはスルーした方がいいと判断した。


(なんで裸なんだろう)

(黙って通り抜けましょう)


 二人は見ないようにして横をすり抜けようとしたが、無視できない物を視界が捉えてしまった。

 その全裸の少女は弓を構えたのだ。


「先輩!」


 矢が放たれ、二人の胸に突き刺さり消える。全裸の少女はすぐに駆け出して行ってしまった。


「せん……ぱい?」

「かお……り?」


 二人は虚無感にさいなまれていた。そして失ったものが何か気付いた時、かおりは叫んだ。


「嫌だ! 嫌だ! こんなの違う! 嫌だぁぁぁ!」

「かおり!」

「私は……好き……だった……ひかり先輩が」

「う……うん」

「今は! ……抜けてしまったの……気持ちが、先輩への気持ちが!」

「私も……かおりの事、好き……だった」

「ちゃんと覚えてるよ! 私、好きだったの! ひかり先輩が大好きだったの!」


 口から出るその言葉はすべて、過去形だった。


 二人は向かい合い、両手を繋ぎ、見つめあう。涙を流しながら。


「先輩……先輩ぃ……私、私……」

「うん……うん」

「もう一度、思い出したい……このぽっかり空いた穴を、埋めたい」

「私も……かおり。私もだよ!」



 奪われてもなお、求めてやまない愛があった。


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